第14話 鳳凰の望む世界

「っ、うわあ!なんだぁっ!?」

「やだやだ、やめてっ!」

「キャアアア!」

——想像以上の災厄は、思っていたよりも早くに来たみたいだった。

呆然と立ち尽くすわたしの目の前には、狂ったように奇声を発して暴れ回る生徒や先生。そして、それらから逃げ惑う人々。

「なんなの……これ」

ドクンドクンと、心臓までもが危険信号を出している。それなのに、今のわたしは、まるで地面に接着剤でも塗られているかのように、足が地面から離れなくて。

ただその光景を、呆然と見ていることしかできずにいた。

「スバルッ……!助けて!」

そんなわたしを現実に引き戻したのは、悲痛な叫び声をあげてこちらに向かってくるスミちゃんで。

はっと気を取り直した。

……そうだ、この状況を、わたしがなんとかしなきゃいけないんだ。きっとこれが、鳳凰の望む世界なんだ。

わたしが、止めなきゃ。

「スミちゃん!」

「どうしようっ、スバル……!みんながおかしいの……っ!」

「落ち着いて、スミちゃん。大丈夫だから」

完全にパニック状態になってしまっているスミちゃんは、わたしに抱きついてポロポロと涙を流していた。

「わたしがなんとかする、絶対に」

「っ、ほ、本当……?」

「うん、本当。だから今は、落ち着いて鍵のかけられる部屋に避難して」

わたしの真剣な声にあてられ、スミちゃんは、少しだけ落ち着きを取り戻したみたいだった。

コクリと頷いたスミちゃんの後ろ姿を見送ると、わたしも自分に喝を入れるために、パン!と頰を叩いた。

「——行くぞ、スバル」

「鳳凰ってヤツ、ぶっ倒しに行くぞ!スバル!」

いつのまにか隣に立っていたイチくんとタイガくんに、わたしはゆっくりと頷いた。


「——行こう、2人とも!」


***


外は、朝だというのに真っ暗だった。それに、分厚い雲で覆われた空からは、無数の赤黒い羽が舞い落ちてきている。

イチくんによれば、この羽から出てくる粒子が人を凶暴化させているみたいだ。

不気味な光景に、全身の毛穴から汗が吹き出してくる。

……大丈夫、大丈夫。きっと大丈夫だから。

術を使う以外にも、鳳凰を倒す方法は絶対にあるんだから。

わたしは、猛スピードで森の中を駆け抜けていくイチくんに振り落とされないようしっかりと捕まりながら、ぎりっと奥歯を噛み締めた。

「おい、見ろよ……!なんだあれ……!」

同じスピードで、木から木へと器用に飛び移りながら移動するタイガくんが、不意に焦ったような声を上げた。彼のアイスブルーの瞳が、不安げに揺れている。

そして、つられて視線を上げたわたしの目に飛び込んできたのは——……

「鳳、凰……」

昨日の夜に見た時よりも、さらに肥大化した鳳凰の姿が、木々の隙間から見えたのだ。

夜ではわからなかった鳳凰の全貌を、初めて捉えた瞬間だった。赤黒い羽根を持つ身体からは、真っ黒な呪気。きっとそれが、青い空に蓋をしてしまったのだろう。

「急がねえとヤバそうだな……おいイチロウ、もう少しスピード上げられるか」

タイガくんがそう言った瞬間、イチくんの耳はピクリと反応し、すぐにスピードを上げた。ぐわっと、一気にわたしにかかる風圧が変わった。さっきとは比にならないくらい、スピードが上がってる。

早く行って、鳳凰を止めないと。みんなを助けないと……っ!


——そうして、昨夜の山の頂上にたどり着いたわたしたちは、空を黒い呪気とともに舞う鳳凰を見上げた。

や、やっぱり、気のせいじゃなかった。昨日よりも、ひとまわり大きくなってる……!

「やべえぞ……このままだと、どんどん体もチカラもでかくなっちまう」

「っ……どうしよう……」

イチくんにゆっくりと降ろされたわたしは、ぐっと唇を噛む。

「しかも空を飛ばれたら、オレたちはどうしようも……っ」

悔しそうに唸ったタイガくんは、柄にもなく弱気だった。……そりゃあ、そうだよね……。わたしが、もっと強くて、チカラがあったなら。みんながこんなにも大変な思いをすることなんてなかったのに……っ。

と、その時。ふわりとわたしの体が、イチくんの柔らかいシッポで包まれる。

……まるで、イチくんに抱きしめられているみたいなその感覚に、昨夜を思い出した。


"オレのご主人様は、ずっとスバルなんだよ"


わたし、ずっとわかってた。イチくんは、わたしを信じてくれてるって。わかってたのに、わたしはそれに応えられる自信がなくて。ずっとわからないフリをしてた。

——でも、今日は。

わたしが気持ちの面で負けてたら、イチくんに失礼だから。

いつもわたしのそばでわたしを支えてくれるイチくんの隣に、堂々と立てるようになりたいから。

「イチくん、わたし、やってみるね」

わたしはそう言うと、両手で、本に書いてあった通りの印を作ってみせた。わたしが怖がってちゃダメなんだから!

一瞬、わたしの言葉を聞いてイチくんの目は見開かれた。けれど、数秒の沈黙の後、イチくんは再び鳳凰を見上げ、姿勢を低くした。

——戦う合図だった。

わたしは、深く息を吸って、汗ばんだ手のひらにチカラを込める。

そして、秘伝書に書いてあった通りに、その呪文を唱えた。


「神山流・赫炎の術!」


そう唱えた瞬間、あたりの小さな木々をも吹き飛ばしてしまうような風圧が、ぶわっと起こった。さらに、イチくんの銀色の毛並みがキラリと輝いたかと思うとイチくんは、大木の幹を踏み台にして勢いよく空中へと飛び上がった。

そうして、空を舞う鳳凰へと一直線に空中を突き進んでいく。

それはまるで、何かのチカラに乗せられているような。そのくらい、普通ではない異常なほどのチカラが感じられたのだ。

「イチロウ、今だ!」

隣でタイガくんがそう叫んだ瞬間だった。

イチくんが、ぐわっと大きく口を開けると、その先にオレンジ色の燃え盛る炎の球が集められていく。コンくんが使っていたあの攻撃とは、比べ物にならないくらい。

本能で察知した。

ぶわりと鳥肌が立って、これは危険だと知らせるように、わたしの脳内にアラートが鳴り響く。

ここにいちゃ、ダメだ……。こんなところにいたら——

「スバル!」

イチくんが鋭い咆哮を上げるのと、タイガくんが突っ立っているわたしの服の裾を加えて岩の影に隠れたのは、ほぼ同時だった。


ドォォォォォンッ!!!


その瞬間、骨の髄まで響くような轟音が鳴ったかと思うと、視界が砂埃と煙で真っ黒になった。

「ぅ……げほっ!い、イチくん……っ!」

「スバル!動くな!」

待て!と叫ぶタイガくんを無視して、わたしは慌てて岩陰から出る。

わたしのことなんてどうでもいい、わたしなんかより、イチくんだ。神山流派術を甘く見てしまっていたわたしは、予想だにしない攻撃の規模の大きさに、恐怖心さえも抱いている。そんな攻撃を繰り出したイチくんは、大丈夫なのだろうか。そんな不安がぐるぐると頭の中に渦巻く。

お願い、無事でいて……!

ようやく晴れてきた砂埃。クリアになった視界に、イチくんはいた。

「っ、イチくん!」

一見ケガのなさそうなイチくんに安堵したのも、束の間だった。

ほっと胸を撫で下ろしたわたしは、イチくんに駆け寄ろうとしたのだけれど、その瞬間に、わたしの視界はぐにゃりと歪んだ。

「……え……?」

「スバル!」

平衡感覚がなくなって、一気にわたしの体に力が入らなくなる。オオカミの姿だったはずのイチくんが、どうしてか人間の姿に戻っていて。とっさにわたしを抱き止めてくれたのはわかる。

それくらい、頭の中は冷静なのに。

どう、して……?

「イチ、く……からだ、動かなっ……」

「っ……」

どうしてか、体が重い。まるで、100キロマラソンをした後みたいに、力が入らなくて。重くて。おまけに視界は砂嵐のよう。

「だから使わせたくないんだ……っ」

耳鳴りのする奥で、イチくんの悔しそうな声が聞こえる。

わたしは、何もしてないのに。戦ってくれているのは、イチくんなのに。はやく、早く動かなきゃ。鳳凰を倒せたかどうか、確認をしなきゃ安心できない。

「だい、じょうぶ……だから。イチくん」

目がまわる中、わたしはイチくんの助けを借りながら、なんとか体勢を立て直す。

「おいスバル、動くなって言っただろ!術を使えば、その反動は全て人間に返ってくるんだ!」

隣で、タイガくんが怒ってる。……あぁ、そうだったんだ。だからこんなにも、体が重いの。

「とにかく、鳳凰は……」

わたしがそう言いかけた時だった。

——わたしたちを覆うような真っ黒な影が、現れたのは。

「っ!」

「——おいおい、正気かよ……?」

「クソっ……」

ひゅっ、と喉の奥が鳴ると同時に、甲高い笑い声があたりに響いた。


「お主らの攻撃など、微塵も効かぬ。図に乗るな」


嘘、でしょ……?

傷ひとつない鳳凰の姿に、ぶわりと冷や汗が出てくる。まさか、今の攻撃が効いてないの……?

「神山の血筋も、衰えたものだな。私は失望したよ」

「っ……!」

なんで……?なんでこの攻撃が効いてないの……!?

イチくんの口先から、目に見えないようなスピードで放たれた炎は、たしかに鳳凰に直撃したはず。

それなのに、鳳凰は怪我ひとつもしてない。

「諦めるな、スバル」

「っ、」

横でキッと鳳凰を睨むイチくんが、凛とした声で言った。

「……オレがついてる」

ぐ、と私はこぶしを握りしめた。黒い空には、赤い目をしたカラスが飛び回っていて、なんとも不気味で。まるでわたしたちを嘲笑ってるみたいに、ガァガァと鳴いていた。

「お主らに足止めされる時間はない。いずれ、この世界の人間すべてが呪われる!それまで、命がけのままごとでもすることだな」

「クソッ、待て鳳凰ッ!逃げる気かよ!」

「タイガ、落ち着け」

「だってアイツ、早く追いかけねえと……!」


「待って」


わたしは、ほぼ無意識にそう呟く。

「……スバル?」

イチくんの強張った表情を見て、直感で感じたソレを確信したから。

カラスの泣く声、風で木々が擦れ合う音、わたしの早まる鼓動の音、みんなの呼吸音。

そして——。


わたしたちを囲む、大きくて強力な、呪気の気配。


「囲まれた……」

おそるおそる閉じていた目を開けると、そこにはやはり、わたしの感じた通りの光景が広がっていた。

「ここでオレたちを足止めさせるつもりだな」

「……あぁ」

わたしたちを赤い目で睨みながらヨダレを垂らす、クマやイノシシ、ウサギ、ヘビなど、山の生き物がわたしたちをぐるりと取り囲んでいた。その数、ざっと数百はいる。きっと、鳳凰がわたしたちを足止めするつもりで、呪いにかけられた動物たちを呼び出したのだろう。

ピリッと空気が変わった。さっきのように、わたしの両サイドにピッタリとくっつくようにして、タイガくんとイチくんが身構えた。

「ウォーミングアップにちょうどいいじゃねえか、なあ?イチロウ」

「グルルル……」

チラリと、イチくんの金色の瞳とわたしの目が合った。

わたしは、こくりと頷く。

わかってる、わかってるよイチくん。この動物たちは、わたしが呪いを清めなきゃ。

……神山流派術を、もう一度使わなきゃダメなんだ。こんな数百もの相手に、私が一匹一匹触れて清めていくわけにはいかない。

広範囲の攻撃及び呪いを清めることができる、あの術だけが頼りなんだ。


イチくんとタイガくんが、わたしが術を使える準備ができるまでの時間稼ぎをしてくれるから。


ダッ!と二人が地面を蹴ったのと同時に、わたしは静かに目を閉じた。

ああもう、まだ一度しか使ってないというのに、普段とは比べ物にならないくらい、体が重い。それに、術を使った直後のあのなんともいえない体の硬直と動悸が、怖いよ。苦しいまま、このまま死んじゃうんじゃないかって思うくらい。

「っ、しっかりして、わたし!」

パンッ!と、両手で自分の両頬を叩く。

わたし以外、誰にもできない。わたしがやらなくて、誰がやるの……!


「イチくんっ!行くよ!」


わたしは、お腹の底からそう叫ぶと、素早く印を作った。

わたしの声に二人は即座に反応して、イチくんは身構え、タイガくんは木の幹に飛び乗った。

呪いにかけられた動物たちは、一匹残らず、全部わたしが助けるんだから……!


「神山流派術・雪花の術!」


最初この術の漢字を見たときに、綺麗な術の名前だな、と思った。

可憐で、煌びやかで、雪の世界に来たと錯覚してしまうような白い攻撃なのだろうか、とも思った。

——まさにその通りだった。

イチくんの咆哮から、キラキラと輝いた雪の結晶たちがふわりとあたりに舞い上がる。時間が止まったかのような感覚で。

術の範囲の場所だけは、まるでそこが白い世界になったようだった。凶暴化した動物たちも、それに見惚れるように動きを止める。


中で、雪の結晶が、巨大なクマの頭の上にはらりと乗った。

それは、クマの体温によってじわりと溶けると、そのままクマを包み込むように光った。

それは、他の動物たちも一緒だった。わたしたちを取り囲んでいた数百もの動物たちは、雪の結晶に触れると、ゆっくりと目に光を取り戻して行ったのだ。

「これが……雪花の術……」

ポツリと呟くと、わたしは自分の両手が作り出している印をジッと見つめた。

……初代の神山家の人は、どんな人だったのだろうか、と。

「……ぅっ……!」

ドクンッ!と、これから術の反動が来ると知らせるような動悸が、わたしを襲った。

やっぱり、苦しい。それに、さっきよりも意識が朦朧とし出している。

「っ、スバル……」

すぐさまタイガくんが駆け寄ってきて、バランスを保てないわたしの体を支えてくれる。ホワイトタイガーとこんなにも触れ合えるなんて、こんな経験がある人、この世界でわたしだけなんじゃないか。なんて、頭の中はどうしてか、そんな呑気なことを考えている。息も続かなくて、視界もぐわんぐわんして、苦しいのに。

おさまれ、おさまれ。早くおさまれっ。

一刻も早く、鳳凰を追いかけないといけないのに。立ち上がらなきゃ……っ!

ようやくおさまってきた動悸にホッと胸を撫で下ろしながら、わたしは立ち上がる。

「イチ、くん……っ、大丈夫……?」

イチくんは、まわりを警戒するようにオオカミの姿のままそばに立っていて。彼によりかかるようにして目をつむると、次第にその体が人間の骨格へと変わっていく気配がした。

「どこも……痛くない……?」

「っ、」

「戦うのも、わたしができたらよかったんだけど……」

代わってあげたいけれど、術を使った後の反動も考えると、その苦しみを味わわせることになっちゃう。

って、そもそも代われないけどね。

無言のままのイチくんが気になって顔を上げた瞬間、視界に入った黒い影を認識すると同時に、わたしは無意識にイチくんを突き飛ばしていた。

イチくんの資格を狙うようにして猛スピードで突っ込んできたのは、赤い目をしたカラス。

雪花の術で清めそこねてしまった一体だろうか。それはもう、避けられないほど私の目の前まで迫っていて。

「スバル!」

漆黒のクチバシが鼻先に触れそうになった。


——ダメだ、これ、私、やられる。


そう思った刹那。

ザシュッ!と、空気を割くようにして真横から飛んできた空気砲のような物によって、目の前から呪いにおかされたカラスの姿はなくなっていた。

「……え……?」

思わずつむった目を、おそるおそる開く。

なにが……起きたの?

今の攻撃。タイガくんの使うツメでも、キバでもない。イチくんは、私が突き飛ばしてしまったせいで、体勢的にも何もできなかったはず。

じゃあ、今のは——……


「最高戦力が二人もおるっちゅーのに、なんやその防御力ゼロのカスっぷりは」


柔らかい声色からは想像もできないほど、トゲのある言葉たち。おまけに色の濃い関西弁。

ハッと息を呑んだ。

「挙げ句の果てにはご主人様に守らせるやと?」

「……藤井」

イチくんが、驚いたように目を丸くして私の背後に立つ人影を見つめた。

——そう、今、不意をつかれてやられそうになってしまったわたしを助けてくれたのは。

「勘違いすんやないで、借りを返すだけや」

木の幹に寄りかかりながらわたしを指さすコンくんは、金髪をさらりと揺らして素敵に笑った。


「行きたいんやろ?鳳凰んとこ」


その表情はまるで、ついてこい、と言っているみたいだった。

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アニマルミッションズ! 太門空多 @0sky0

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