月の涙は夢を見る。

うなぎ358

月の雫


 あの夢を見たのは、これで9回目だった。


 ベッドをギシリと軋ませ、ゆっくりとした動作で枕元を手で探ってスマホを手に取ると、時間を確認する。


「まだ五時前か。もう少し寝られそうだな」


 寝汗で張りつくパジャマが気持ち悪いが冬の寒い中、室内とはいえ布団から出たいとは思わない。スマホを置いて再び目を閉じた。


 夢の内容は何度も繰り返し見てるからか、どこに何があるのかとか、どんな人々が住んでいるだとかまで分かってしまう。さらに妙なことに色や匂いなんかは鮮やかすぎて、現実と夢の境界線が分からないくらいなのだ。


「俺は本当に、この世界の人間なんだろうか?」


 ポロリと、不安が口からこぼれた。


 鮮明な夢の中で俺は空を飛ぶことができる。両腕が羽根に覆われ大きな翼へ変化させられるのだ。けど不思議なことに腕以外の部位、顔とか身体は人間のままだったりする。翼人というヤツだろうか?


 まだ朝の遠い暗闇の中、目を開けて両手を天井に向かって伸ばす。


「!?」


 ほんの一瞬だが、俺の両手が透きとおり無数の羽が生えたように見えた。


 ガバリッ! と、布団を跳ね除けるようにして飛び起きる。


 冷や汗が背中を伝う。


 手のひらを開いたり閉じたりを繰り返す。更にパジャマの袖をまくり腕も触って確かめる。


「良かった。人間のままだ」


 翼人なんて、夢や物語の中だけに存在するはずだ。



『こんなところにいたのですね』



 不意に背後から鈴の音のような声が聞こえて振り返ると、この世のモノとは思えない妖艶な女性が窓辺に立っていた。


「誰だ?」

『妾は月の精霊。そして名も無きお前は夜の雫。月が流した、ただの涙。さぁ、月に帰りましょう』


 自分を”月の精霊”だと訳の分からないことを言う女性は、透き通るような白い肢体を着崩した緋襦袢で包み、銀の髪の毛は腰ほどに伸ばされ、赤い両目は射抜くように、俺を睨む。


「人違いだ。俺には名前も心も感情もある!」

『まぁ、いいわ。そのうち嫌でも、ただの涙だと分かってしまうでしょうからね』


 嘲笑うようにニタニタ口元を歪め、夜の闇へと溶けて消えていった。夢の中で嗅いだことのある、濃厚な花の香りだけが、室内に残る。


「俺は人間だ」


 立ち上がって部屋の壁にかけられた鏡を見る。室内の闇の中ぼんやりと俺の姿が写る。


「大丈夫……俺は人間だ……」


 何度もつぶやきながら、鏡の中の俺自身に、手を伸ばそうとした、その時。



 コンコンコンコン!



 軽いリズムで、ドアがノックされた。


「開いてる」

「ヨルノ……」


 部屋のドアが開き、五年前から同棲してる恋人のヒノカが顔を覗かせ潤んだ目で、俺を見つめる。


「ヒノカ、聞いてたのか?」

「うん。ヨルノは消えちゃうの?」

「消えない」


 いや、消えないと思いたい。


「私、本当は分かってたよ。ヨルノは、もうこの世にはいないんだって……」


 まるでヒビが入ったように脳内にザザァーッと、雑音がする。


「……そっか。記憶が戻ってたんだな」


 ヒノカの”本当の彼氏ヨルノ”は、五年前に事故で死んでる。


「うん。今のヨルノは、私のサミシイ気持ちが作りだした幻なんじゃないかって……不安になったりもしたわ」


 けど本物のヨルノがいない現実は変わらないし、変わってはくれない。


「俺は幻じゃない」


 あまりにも悲しい魂からの叫びと思いに引っぱられるようにして俺は地上に、こぼれ堕ちた。すぐにヒノカを見つけ記憶を封じた。


「うん。知ってる。今までずっと一緒にいてくれたんだもの。それに……」

「……それに?」


 ふわりと俺を抱きしめて、俺を見て優しく微笑む。


「触れられるし、こんなにも温かい貴方が幻なわけないわ」

「あぁ。俺もヒノカに触れられる」


 幻なんかじゃない。と、実感できた喜びでヒノカを強く抱きしめかえした。ヒノカの髪の毛から香る爽やかなシャンプーの匂いに、次第に心が落ちついていく。



 カーテンの隙間から、細く長く朝日が入りこんできた。


 キラキラ光の粒子が舞う。



「ヨルノ!?」



 ヒノカが叫ぶ。



『……しょせんお前はただの月の涙。さぁ。別れの時です』



 頭に直接、響く月の精霊の声。



「消えたくない! ヒノカが好きなんだ!」



 ゆっくりゆっくりと、俺の全身が光の粒に変わっていく。




「私も! 私もヨルノが好き!」




 ヒノカが俺を渾身の力で抱きしめる。




『無理よ。帰りましょう』




 空気に溶けるように、光の粒子になって輪郭すら保てず俺の存在は、あやふやになっていく。




「……ヒ……ノカ……。ら……来世……で、また……あ……お……う……」




「うん! うん! 絶対だよ。またね。私の大好きなヨルノ」




 


 消える寸前、俺の”魂の記憶”が戻った。




 本当の”本物のヨルノ”は俺だったのだ。そしてヒノカは、俺が本物だと分かっていたんだと言うことも……。




 けど死んだはずの俺が何故? 五年とはいえ現世にいられたんだ?




『納得のいかない顔をしてますね?』


「あぁ」




 寄りそうように、逃がさないように、俺の隣には月の精霊が張りついついてる。




『ふふふ。月の雫は魂の流す涙ですからね。奇跡でも起きたんじゃないかしら?』


「……」




 会いたいと、なくしたくないと思って泣いていたのはヒノカだけじゃなかったんだ。




 俺もヒノカに会いたいと心から願った。




『来世の約束もしたのでしょう? なら泣くのはおやめない。でないと、また堕ちてしまいますよ』




 目を閉じて今を思う。




「そう……だな……。分かった。月に帰ろう」




 未練がないわけじゃない。けど次が、来世があるならと願いを込めて目を開ける。




 両手は羽が生えて翼になる。それだけじゃなく全身が羽毛に覆われ、輝くほどに真っ白な大きな鳥ヘと変化して、俺は月に向かって飛び立った。






 次の人生で、再びヒノカと出会うために……。


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月の涙は夢を見る。 うなぎ358 @taltupuriunagitilyann

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