秋犬

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。まだ高鳴る心臓の鼓動を感じながら寝汗を拭き、必死で呼吸を落ち着かせようとする。枕元の時計で時刻を確認すると、夜明けまでまだ遠い時間であった。


「……一体、何なんだよ」


 悪夢に跳ね起きるなんてガキじゃあるまいし、自分事ながら格好悪い。布団から出ると俺は台所へ行き、冷たい水を一杯飲む。また明日も仕事があるんだ。寝不足は人類の敵だ。寝床へ戻った俺は頑張って眠ろうと試みた。しかし冴えてしまった頭と恐怖に怯える身体と心が全く落ち着かない。俺は朝までそのまま過ごすことになった。


***


「まだ悪夢にうなされる、だあ?」


 結局寝不足でふらふらの俺は、この仕事の先輩の佐々木ささきさんに笑われていた。時刻は夜の九時を回ったところだ。寝不足の俺だと不安だからと佐々木さんに運転を代わってもらったのが情けない。


「で、魚に食われる夢、だっけ?」


 俺は佐々木さんに夢の内容を教えていた。夢の中で俺はルアーになって、釣り人に池に放り投げられる。必死で水面に出ようともがいているうちに、大きな魚がやってきて俺を食うというものだった。


「はい……夢占いとかでも調べたんですけど、死ぬ夢は生まれ変わり願望とかそのくらいしか出てこなくて」

「生まれ変わってどうするんだ?」

「そうですね、こんな仕事しなくてもいいような生活送りますよ」

ちげえねえ!」


 佐々木さんはまた笑った。それから車内に明るいラジオの音楽が鳴り響いた。運転中のドライバーの皆さん、安全運転でよろしくお願いしますねとDJが流暢に語る。それを聞きながら佐々木さんと俺は何だかんだと世間話を続けた。


 ラジオがちょうど十時をお知らせしたところで、俺たちが運転するライトバンが港についた。


「さて、ここからは手伝ってもらうぞ」


 佐々木さんはそう言って運転席から降りた。俺も素早く助手席から降りて、積み荷のところへ向かう。佐々木さんは用意してあったモーターボートに乗り込み、エンジンをかける準備をする。俺は積み荷をモーターボートに載せ、佐々木さんと一緒に海に乗り出していく。


「佐々木さんはこの仕事長いんですか?」

「何でもしてきたからなあ。これ専門ってわけじゃねえんだぜ」

「他には何を?」

「主に尻拭いばっかりだけどな、いい稼ぎにはなるんだ」


 不安定な海の上で、俺は操縦を佐々木さんに任せて積み荷の処理を先に行う。


 丸めたブルーシートの中に入っているのは、女の死体だ。素性はわからないが、大体二十歳前後であちこちピアス穴だらけということはわかる。海に遺体を投げる関係で全裸にしてあるが、ちっともエロくない。むしろ暗闇の中で見る真っ白な女の肉はぶよぶよしていて気持ちが悪い。


 死因は死体の様子からはよくわからなかった。俺が聞いていたのは、どこぞのヤンチャなご子息がヤンチャをしてしまってうっかり殺しちゃったから、行方不明ってことにしておいてくれということだけだった。それ以上のことはわからない。わかりたくもない。


 この仕事を初めてから、俺は悪夢を見るようになった。時には山に死体を埋めに行き、時にはぐつぐつ鍋で遺体を溶かすこともあった。薬を使って処分するのが一番臭いがキツくて嫌だった。多少疲れても、穴を掘ったりするほうが俺の性分にはあっている。


「悪く思うなよ。俺のせいじゃないからな」


 俺は心の中で女に手を合わせ、足と手にそれぞれ重いコンクリート片をつなぎ合わせる。ビニールシートごと捨てるとマイクロプラスチックがどうのこうのになるらしいので、死体は全裸にして海に捨てる。変に遺留品とかが浮かんできても困るので、服なんかは剥いて焼却処分するに限る。


 海のど真ん中に出たところで、佐々木さんと協力して女を海に捨てる。せーの、というかけ声と共にとぷんと案外軽い音を立てて、女は海中に沈んでいった。


「よし、後はお魚さんたちに任せようじゃない」


 佐々木さんはそう言って、海釣りのセットを取り出した。一応、俺たちは釣り仲間で連れ立って夜釣りをしたということになっている。そうしてしばらく釣りをして、陸へ戻る。後はどこかのタイミングで報酬をもらうだけだ。


「今夜は寝られるといいな。どうしても辛かったら、心療内科で眠剤でも貰ってこい」


 佐々木さんにそう言ってもらったので、俺は病院にかかることにした。眠れないというとあっさり睡眠薬を処方してもらった。効果は絶大で、俺はそれから夢を見なくなった。夢なんて見ない方がいい。特に死ぬ夢なんて、縁起でもないんだから。


 夢なんかないので、俺は稼いだ金をどうするか持て余した。女遊びにはさほど興味がない。でもスリルは欲しかった。海に死体を捨てるよりももっと激しい、熱いスリルを俺は金で買うことにした。


***


 数年後、俺は久しぶりに夢を見た。ルアーになってもがいているうちに、大きな魚になって食べられる夢。酷い悪夢で目を覚ました俺は自分がブルーシートに包まれていることに気がついた。そして車に載せられて、どこかに移動させられている。


「……何やったんスか、後ろの人」

「ヤクとギャンブルで首が回らなくなって、腎臓と角膜取られた残りだとよ。おおこわ


 待てよ。これは一体どういうことだ?

 確かに俺はろくでなしになって死んだんだけど、死んでからも人間って意識があるのか?


田坂たさかさん、釣り好きですか?」

「俺は海釣りはあんまり好きじゃないな。昔流行ったバス釣りなら少し」

「へえ、俺は釣り好きですねー」


 俺は身体を動かそうとしたが、石棺の中に閉じ込められているみたいにびくりとも動かない。俺は死んでいるのだから、仕方ない。そうして俺はボートに載せられて、沖合いまで運ばれていく。


「うひぇ、ヤク中の腕だ。キモ」


 ブルーシートの中の俺を見て、おそらく処理屋の奴が顔をしかめたような気がした。これから俺は自分がどうなるか知っている。手足にコンクリ片をつけられて、海に投げ捨てられる。そして後は魚のなすがままになる。


「せーの」


 これは夢で何度も見た光景だ。光を失ったはずの俺の目は確かに水面を捉えていた。真っ暗な水の中にどぶどぶと沈んでいく俺は、一体誰なのだろう。一体俺の意識はいつまで残っているのだろうか。


 案外海の底には早く着いた。変に手足がねじ曲がっているが、死んでいるので痛みは全くない。光の届かない海の底で、おそらく俺は朽ち果てるまでこうしているのだろうと諦めの境地にいた。


 その時、俺はふと嫌なことを思いついた。もしかすると、俺たちが投げ捨てていた死体も俺の声を最後まで聞いていたのではないかということだ。俺が山に埋めた死体も、俺が骨まで燃やした死体も、もちろん海に沈めた死体も。


 俺の周りに魚が集まってきた。丸い目をした魚たちが、俺をぎろりと取り囲む。


 ゆるしてくれ。

 おれはうまくないぞ。


 死んでいるので、痛みは感じなかった。歯の生えている魚が俺をかじり、タコやイカが俺を削り取る。痛みはないが、魂が削られていくのは感じた。


 おれがわるかった。

 どうかゆるしてくれ。


 俺は魚にこいねがった。いつか俺が捨てた女が、魚になってそこにいる気がした。


 なあもしかしておれもさかなになるのか?

 おれはさかなにうまれかわるのか?


 魚になって何度も何度も食われる夢。それはこの夢のような出来事の前触れだったのだろうか。夢から覚めようとしても動かせる手足もなく、開くべきまぶたもない。ただ俺はせつなげに海流に身を任せる、ただの肉塊なのだから。


***


 魚になれたらどんなによかったことか。

 半分砂に埋まった俺の頭蓋骨を住処にした魚に俺は思う。

 結局俺は魚になれなかった。

 ただこうして、俺は覚めない夢をたゆたい続けることになった。


 これから無数の魚に、何度も何度も見つめられつづけるだろう。

 俺の魚の夢は、永遠に終わらないのだから。


〈了〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

秋犬 @Anoni

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ