ブラウニーがやってきた。
西奈 りゆ
働き者がやってきた
むしゃくしゃしながら、ラインの通話を切った。友達のいうことはみんな一緒。
「そんな男、やめときなって」。これに尽きる。
前にワルだったからって、何が悪いんだろう。今もちょっとヤンチャなだけで、きっとあたしが傍にいればもっと丸くなって、本当の良さが皆にも分かるはずなのに。
それにしても、今日も帰りが遅い。新しい仕事っていうのも何か教えてもらえていないけれど、きっと入りたてで忙しいんだろう。
ようやく煮込み終えたカレーの鍋に蓋をして、あたしはこたつに包まった。
ああ、そういえば野菜くず片付けるの忘れてたな。
まあ、いいか。もうちょっと後で。
木造のボロアパートは、隙間からの冷気が冷え込む。
あたしは背中に冬の空気を感じながら、いつの間にか眠りの世界に落ちていった。
※
あたしはまだ、眠っている。正確には、眠ったふりをしている。
キッチンから、物音がするからだ。
何かを引きずるようなかすかな音がしたかと思えば、コンロにぼとんと何かが落ちるような音もする。気のせいかもしれないけど、人の話し声のようなものもしないでもないような・・・・・・。
どうしよう。
今日は凝ったレシピにしたせいで、動画を流しながら作業していた。だからスマホはキッチンラックに立てかけたままだし、うちのキッチンは玄関のすぐ隣にある。つまり、あたしのいる場所からは、キッチンの真横を通らないと外には出られないのだ。あたしは今、そこに背を向けて、眠ったふりをしている。
なんとかして、せめて後ろを確認したい。突っ伏したままあれこれ考えていたあたしは、目の前の窓ガラスに目をつけた。もちろん、新品のように綺麗じゃないけど、一昨日一足早い大掃除をして、曇り止めまでして拭きまくった箇所だ。ここなら。
いた。シンクからコンロに向かって、小さな何かが通り過ぎた。茶色い何か。気のせいかな。なんか、茶色い服を着た、人間みたいなかたちをしていた気がするけれど。
(女は度胸、女は度胸・・・・・・)
人間の不審者よりはマシかもしれないけど、これはこれで十分怖い。これって、あれ? 未確認生物っていうやつ? あれかな、「小さいおじさん」的な。
だとしたらそんなに強そうには思えないけれど、何か、何か武器になるものは。
そっと手探りでテーブルを探っていて、指に当たったのはさっき背中を掻いた孫の手だった。ああ、もう。よりによって、こんなのかよ!
まあ、よくよく考えれば、木刀の一種に思えなくもない。小さいおじさんクラスの相手なら、これでもなんとかなるだろう。視界の隅に、また影が走った。見た目、たぶん十五センチくらい。うちにある定規と、同じか、ちょっと大きいくらい。
(女は度胸、女は度胸、女は・・・・・・)
きっちり三回繰り返したあたしは、こたつ布団を蹴り上げて、孫の手を振りかざした。
※
「ぶらうにー? って、お菓子じゃないの」
「違うんでございます。わたしどもはその、ホブゴブリンとも呼ばれますが、私としてはその、ブラウニーと呼んでいただきたく」
「はあ・・・・・・」
としか、言えない。叩き潰そうとした小さな生き物は、近づいてみるとやっぱり小さな人間で、茶色いマントのような服を着た、しわくちゃのおじいさんのような顔をしていた。「ひっ」と両手で顔を覆う姿に、あたしは上げた拳、ならぬ孫の手を下げられなくなった。そして、今に至る。
一応、小皿に水を注いで出したけれど、丁重に断られた。他には牛乳しかなかったので、「いる?」と訊いてみると、「いただきます」との返事だった。
「それで、そのぶらうにーさんが、何であたしのところにいるの? っていうか、あなた何者?」
「そう。それなんでございますよ。お嬢さん」と、ぶらうにーのおじいさんは胸を張った。いって、お嬢さん、っていう歳でもないんだけどなー。ま、いいか。
「わたくしども、ブラウニーの一族は、いわば妖精の一族でございます。働き者でとおっておりまして、ニンゲンの皆様とは、古来より親睦を深めておりました」
「聞いたことないんだけど」
「もちろんでございましょう。我々が本来出歩いている地域は、主に皆様がスコットランドや、アイスランドと呼ばれている国の一部でございますから」
「へえ・・・・・・」
日本でいう、
「その、何で日本にいるの? え、何ここ。曰く付き物件とか?」
「海外旅行でございます」
あっさりしたその答えに、思わず額をテーブルにぶつけそうになった。
「まあ、何ですか。わたくしどもも、日々の雑務に追われてばかりでは味気なく思いまして、たまには羽を伸ばしましょうと」
羽ないじゃんとは、言わずにおいた。「ところが」と、ぶらうにー、いや、ブラウニーは声に力を込める。
「ふと見れば、こんなに散らかったキッチン。わたくしども、もとより皿洗い、掃除、片づけ、粉ひきなど、専門にしておりました。放ってはおけません!」
「え、ボランティア?」
「いえいえ。最近はそうした風習も廃れつつありますが、一杯のミルクや一杯のかゆを供えておいていただければ、我々は充分です。もっとも、そうしていただけないところには、我々はもとより現れないのが本来でございますが」
言われてキッチンを見に行くと、野菜くずはすべてゴミ箱に捨ててあり、ニンジンを切ったあとのまな板の染みは綺麗になくなっていた。ついでに言えば、ガスコンロの汚れまで落ちている。さっきまでとは一転。あたしは、賞賛のまなざしをぶらうにーに送った。
たまたまとはいえ、さっき牛乳(ミルク?)をあげておいて正解だった。ちょうどレトルトのおかゆは切らしていたし、一から作るのも面倒だったから。
「なるほどね。ブラウニーさんがいい妖精なのは、よく分かりました」
いそいそとこたつに戻ったあたしは、テーブルに直接あごを置いて、ブラウニーと目線を合わせた。「ご理解いただき、光栄です」と、うやうやしく礼をしてみせるブラウニー。仕草は高貴といえば高貴なんだけど、着ているのがしわくちゃのマントと、コートのような布切れだけなので、残念ながらさまにはなっていない。
「じゃあさ、そのブラウニーさんに訊きたいことがあるんだけどさ」
はて?という顔をして小首をかしげたブラウニーに向かって、あたしはにんまり笑った。
「昔読んだんだけどさ、両想いになれない男女がいてさ。妖精の王様が、部下に命じて、男のほうに、女のほうに向くよう、まぶたに惚れ薬を」
「それは、フィクションの話でしょう」
ばっさり言い捨てられて、いや、あんたもフィクションの存在でしょうと言い返しそうになったけれど、現にあたしの目の前に存在しているわけで。ああ、ややこしい。一気に白けたあたしは、「あーあ」と大きな口を開けて、寝っ転がった。
「大ちゃんは、強くて優しい男なのよ。何で分かんないかなー」
みんな、そうなんだ。あたしが好きな男の良さは、どうやらあたしにしか見えない。逆を言えば、あたしの好きな男たちは、あたしにしか良さを認めてもらえない。
これって、ウィンウィンの関係じゃん。
「そういうところだと思いますが」
心の声を見透かしたように、ブラウニーが言った。思わず飛び起きて、あたしはブラウニーの顔を睨みつけた。
「心読めるなら、そう言っておいてよ」
「そういうわけではありませんが、わたくしも長く存在しておりますがゆえ」
「あんたさ。手伝ってもらったのはいいけど、牛乳あげた時点でチャラだよね? 何で追加で、頼まれてもない説教なんかされないといけないわけ?」
言い過ぎた、というより、完全な八つ当たりだったと気づいたときには、遅かった。ブラウニーは、皺に埋もれた悲し気な目を向けて、言った。
「しあわせですか?」
ブラウニーは、まばたきした瞬間にいなくなっていた。
さっきまでブラウニーが手を浸して牛乳を飲んでいた小皿だけが、ブラウニーが今までそこにいたことを、物語っていた。
※
別れると伝えたときの
連絡はあっさりと途絶え、大輝の来なくなったキッチンは、中途半端に出番を失いつつも、ギリギリのところで稼働し続けている。
一度ひどいふられ方をして、直後に運が悪く大風邪をひいた。薬をもらっても熱が下がらず、でも一人暮らしだし、もうダメだと思った。部屋はゼリーの空容器や栄養ドリンク、鼻水まみれのティッシュなんかがあちこち散らばって、けれど片付ける気力も湧かず、どんどん不衛生になっていった。
いつの間にか、深い眠りについていた。額には、覚えのない濡れタオルが置いてあり、キッチンからは、だしの良い香りがした。小鍋に、卵がゆができていた。
あれからあたしはまず、あたしのことを大事にすることにした。
そうすれば、良い恋に出会えそうな気がする。これは、勘だけどね。
でね。そしたらまた、あの働き者の妖精が訪れてくれるような、そんな気がするんだよね。そしたら、ちゃんと謝ろう。そして、ありがとうって、まっすぐ言おう。
今までのあたしがずっと避けてきた、向き合うということから逃げずに。
そのときを、あたしは心から待っている。
ブラウニーがやってきた。 西奈 りゆ @mizukase_riyu
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