妄想と空想の狭間

西しまこ

妖精はいつもそこにいる

「ねえ、うめのはなびら、どこに とんでいくんだろうねえ」

「そうだねえ。鳥さんも花びらを追いかけて飛んでいるのかもよ?」

「とりさんが⁉」

「鳥さんは、梅の花を食べているでしょう? だから追いかけていくの」

「追いかけてどうするの?」

「追いかけて、花びらを集めるんだよ。妖精さんと一緒に」

「ようせいさんと?」

「そう」

「それでね、妖精さんが集めた白い梅の花のところに『トリ降臨』するんだよ。するとね、花びらが鳥さんの周りに集まってぐるぐる回って、一緒になって天の高いところへ行くんだ。天には、妖精さんも鳥さんもたくさんいて、梅の花も他の花もたくさん咲いているんだよ」

「ぼく、そこにいってみたいなあ。どうやったらいけるのかなあ」

「ほら、そこの梅の絨毯の上を歩くといいよ。ずっと歩いてみよう」

「うん!」


 *


 子どもが小さいとき、一緒にお散歩をして、よくいろいろな質問をされました。知識があって答えられるときは正しく答えていましたが、結構こういう嘘話を聞かせていました。息子たちは目を輝かせながら聞いてくれました。一緒に物語を広げて行ったりもしました。


 小さい手をぎゅっと握り締め、どこまでもただお散歩した日々。

 息子たちが大きくなって、わたし一人で歩くようになったとき、「久しぶりに一人で歩く!」と、感動したことを今でも覚えています。自分のペースで歩くことが出来るって、なんて素晴らしいのだろう?


 今となっては、手をつないで歩くことはほぼありません。

 それどころか、彼らは好きなように自由に色々なところに行きます。

 もう、寄り添ってそばにいる時期は過ぎてしまったのだなあ。

 だけど、まだ、親元から離れてはいない。


 久しぶりに一人で歩くことが出来た解放感みたいに、「久しぶりに一人で生きる」解放感を味わう日は来るのかしら? それとも、ずっとあれこれ面倒をみて、いろいろと心配なままなのかしら?

 まだ分かりません。


 手をつないで歩いたあの日々は、幸せしかありませんでした。

 世界から息子たちを完全に守ることが出来た、幸福な時間。

 わたしは、親鳥が雛を羽でくるむように育てたように、わたしも精一杯の羽を広げて彼らをぐくんだのです。


 彼らは、わたしが作った場所から、少しずつ外に出ていきました。

 その中で、傷ついたり悲しんだりしたこともあったでしょう。

 それを肩代わりすることは、わたしには出来ないのです。

 だって、自分の人生を歩くのは、自分でしかないのだから。

 どんな道だろうと、自分の足で歩くしかないのです。


 それでも、ときどき心配になって、今でも声をかけてしまう。


「うるせーな!」


 ですよね。

 でも、ただ、心配なんです。


 *


 妖精はいる。

 いつも、そこに。

 あなたのことを心配して、よりよい人生であって欲しいと、願っている。


 幸福な妖精に、どうか気づきますように。



 妄想と空想の狭間で、ずっと一緒にいた。

 やわらかい空気の中で、ただ、愛していればよかった。

 幸福な記憶。


 わたしは今でも妄想と空想の狭間にいる。

 深淵を覗き込み、妖精と遊ぶ。

 わたし自身が幼い頃、わたしは自らそこにいた。

 妄想と空想の狭間。

 辛いことや苦しいことがあったとき、そこに逃げ込んで、物語をつくった。

 そうして、生きてきたのだ。


 妖精はいつもそこにいる。

 自分の足で歩いている人を、いつも見守ってくれている。


 妄想と空想の狭間のあたたかさが、いつまでも息子たちを支えてくれますように。





 

        了

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妄想と空想の狭間 西しまこ @nishi-shima

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