あこがれ【KAC20252】
竹部 月子
あこがれ【KAC20252】
私の通う高校は坂の上に建っていて、校舎よりさらに一段高いところにグラウンドがあった。
通学に裏門を使う私は、校庭まで重いカバンを背負って、長い階段を登ることになる。
自然と野球部のバックネット前で足を止めて、息を整えることが習慣になっていた。
キンッと小気味よい音が響いて、コウダイ君の打った球が太陽に向かって飛んでいく。
わが校の弱小野球部を、甲子園に連れて行ってくれると期待されているくらいのすごい選手らしい。
まだ少し冷たい春風の中で、コウダイ君が帽子をとる、額の汗をぬぐう。
次のバッターに交代する時、白い歯を見せて笑う。
それを見ると胸がキュウっとするのは、恋なのか、ただの憧れなのか。
どちらにせよ見ているだけの私には、処分に困る感情を、ため息として吐き出した。
「コウダイ見ながら、悩まし気にため息なんかついちゃってぇ」
「わひょっ!?」
突然背後からかけられた声に驚いて、一回転してフェンスにぶつかる。
声の主は、
私がコウダイ君に宛てて書いた手紙を、間違って机に入れてしまった人だ。
軽音部、ピアス、インナーメッシュ、今日はガム噛んでる、あと軽音部。
「お騒がせーぃ」
ロウ君が突然大声で叫んだのでグラウンドを振り向くと、私がフェンスを鳴らしたせいで、野球部全員から注目されていたようだ。
「ごめんなさい!」
ペコリと頭をさげて、裏門を抜け、坂を下り、河川敷の道へ駆け下りる。
コウダイ君もこっち見てた、恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい!
「コハルちゃん、速いって。チャリでも追いつけない速度ってどういうこと?」
乗って来た自転車から降りながら、ロウくんが私の隣を歩く。
「何か用? ロウくんも家こっち?」
「いや、逆方向だけど。コハルちゃんと帰るチャンス逃すわけないじゃん」
キラリっと星を飛ばすようにアイドルさながらのウインクを飛ばしてくる。やっぱりチャラい。
「ロウ君ってきょうだいいるでしょ」
「お、おう。何急に」
「お姉ちゃんでしょ」
「そう」
「姉二人で、ロウ君末っ子でしょ」
「…………ソウデス」
この女子に気安い感じ、絶対そうだと思った。
「待って、オレも当てる。コハルちゃんは……姉妹……の、姉の方!」
「残念、兄がひとりですー」
ぬおおお、外したぁと横で頭を抱えているけど、ここで諦めて帰る気はないらしい。
背負っている袋はギターケースだろうかと思ったので、目を合わせないようにしながら尋ねた。
「今日部活は? 真面目にやってないの?」
急にロウ君が立ち止まってしまったので、言い方がキツかったかと焦る。
でも私は歩き続けた。
今ここで立ち止まってしまったら、ずっとロウ君のペースに巻き込まれてしまいそうで怖かったから。
ジャンとくぐもったギターの音がして、ギョッとして振り返る。
「佐々木
河川敷の歩道のど真ん中で、エレキギターをかき鳴らそうとしているロウくん。
「ちょ、ちょ、ちょっ! やめてよっ!?」
確かにあの日、ドーナツショップで私のこと好きみたいなこと言われたりしたけど、こんなとこで自作の歌とか無くない?
ロウ君まで一気に距離を詰めて、ギターに触るのは怖かったから、ピックを振り上げている右手が降りてこないように下からガッシリ支えた。
「ウッソー」
ニヤリと笑った軽薄な軽音部に、結局自分は立ち止まったどころか、わざわざ彼のテリトリーまで戻ってきてしまったことに気付く。
間近な距離で「ね、コハルちゃん」とロウ君は囁くように言った。
「すきなひと、誰?」
少なくともキミじゃないけど! と言ってやろうと思って勢いよく顔を上げたのに。
合わせた瞳がすごく真剣で、言葉が喉にひっかかって出てこない。
どのくらい見つめ合ってしまったのか、勢い良く目を逸らしたのはロウ君の方だった。
「ごめん、言葉違った。好きなアーティストの曲、リクエストして」
ギターについたネジを回しながら言い直す彼に、再び周辺を見渡す。
「まさかここでギター弾くの?」
「アンプ無いからそんな響かないし、余裕」
そそくさと河川敷の護岸ブロックに腰を下ろしたロウ君は、リクエストしろとしつこい。
急にそんなこと言われても……と悩んでいると、弦を爪弾きながらロウくんは少し拗ねたように口を尖らせた。
「コウダイの好きなとこはいっぱい見てんのに、オレの歌は知らないんだから不公平じゃん」
「あのね、だから好きっていうか、あこがれっていうか……」
「オレだって、コハルちゃんに憧れられたーい!」
バタバタと動かした足が子どもっぽくて、思わず笑ってしまった。
「何でも弾ける?」
「あー、そう言われると自信ないから5曲くらいはチャンスちょうだい」
意外と慎重な部分もあるんだなー、と思いながら去年とても流行った曲をリクエストする。
アンプのないエレキギターは、チャカチャカと情けない音しか鳴らない。
だけど歌いはじめたロウ君の声に、対岸を散歩していたおじいさんが振り返った。
のびやかで、高音で綺麗にかすれる甘い声。
「そんなに響かない」なんていう言葉が、一番の嘘だった。
あこがれ【KAC20252】 竹部 月子 @tukiko-t
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