1$1円

八坂卯野 (旧鈴ノ木 鈴ノ子)

いちどるいちえん(駄洒落)

 グループの解散ライブ終えて私の一幕は終わりを迎えた。

 グループの子達はそれぞれが新しい道を見つけて踏み出していく。私もありがたいことに数多くのお話を頂いたけれど引退の二文字を選択した。「よかったの?」「頑張ってみたら?」「寂しいです」「辞めないで」数多くの温かい言葉やファンレーターには感謝しかない。もちろん、申し訳なさも募るけれど、だからと言って考えを変えることなどできなかった。

 全ての事柄を処理し終えた1週間後、長く住んだ部屋を引き払い、荷物を纏めた私は成田国際空港の出発ロビーの椅子に腰掛けていた。手元にはBoston行きのチケットが一枚と必要品を入れたブーマスの無骨なアタッシュケースが一つ、ライブの千秋楽の楽屋に届けられた大切な人からの大切な贈り物だ。

 時より数人が私の姿に目を止めて立ち止まるけれど、声をかけて来る人はいない。きっとそっくりさんとでも思ってくれているのだろう。


『気をつけて来るんだよ』

『はい、調子はどうですか? 』

『問題はない、それに手術は成功したから大丈夫だ』

『うん、ほっとしました、でも、無理しないでくださいね』

『もちろん、無理はしないさ、では』

『はい、失礼します』


 力こぶを見せる可愛らしいペンギンのスタンプが押されて、クスッと笑ってしまった。真面目な人なのでこのようなスタンプを持っているなんて思いもしなかった。

 馬鹿みたいに真面目な人で、馬鹿みたいに素直な人で、馬鹿みたいにお人よしな人。それが最初の一歩のヒントをくれた人、そのおかげで私は夢を一つ叶えて、これから新しい夢を掴み取るために旅立つのだ。


 古い話ではない、私はまだ20代だし、ちょっとした過去の話だ。


 私の家は裕福じゃなかったし貧乏にかなり近かった。母は水商売の客との間に私をつくり、そして、祖母に預けてどこかに消えてしまった。だから、写真でしか母を見たことはない。祖母が頑張って働いてくれて、小学校、中学校に通い、そして近くの高校に入学した、中学ではアルバイトをしていたから、いや、言い訳だけど偏差値は低ランクだった。勉強なんて嫌いだったし、友達と連み遊んでいる方が好きだった。

 母ゆずりの整った顔立ちと流れるような髪、すっきりとしたスタイルは男受けする体つきでお男友達や男性が擦り寄って来ることがあったけれど、母のこともあり恋愛事には関わらないようにして、遊んでいたある日のこと、友達の由美がアイドルの募集オーディションに勝手に書類を出して、それが小さな芸能事務所の目に留まった。


「桂川みさとさんのお電話でしょうか?」

「はい、そうですけど?」

「八咫烏プロダクションと申しますが、応募頂いた件でお電話を致しました……」


 平凡そうな男の声と二言三言ほど会話して、翌週に指定された喫茶店に向かう。芸能事務所のマネージャーとしばらく話をして、気がつけばインディーズバンドグループのメンバーの1人になっていた。6人ユニットの最年少、芸歴もなければ学歴も底辺、そして素人、だから、あまりファンはいなかったし、自分でもファンを増やそうと努力も怠っていた。最初からセンターとの温度差は激しかったのだと思う。


「この後握手会をしま〜す!」


 地下の小さなライブハウス、数十人くらいしかいないこの場所で、握手会を開催しても私の列に並んでくれる人は片手ほどだった。


「君は面白い子だね、きっとこの先伸びるよ」


 四十歳くらいの外国人男性がそう声を掛けてくれて握手を求めてくれた。Tシャツにデニムなどのラフさが当たり前の会場で、ネクタイこそしていないが紺のスーツ姿は容姿と相まって異彩を放っていた。

 握手会の料金は個人個人で受け取ることを事務所から許されていたので、皆それぞれで金額を決めている中、私は確か1円からなんて看板を出していたと思う。今考えればとても恥ずかしいことだけれど、でも、それを経験していなければ今の私がないことも確かだ。


「これ、君の握手代だよ」


 差し出されたのは紙幣、しかも、アメリカの1$札、外国貨幣を見たのはこの時が初めてで、気を遣ってくれたのか真新しい新札だった。


「君がこれの意味を理解できたら、きっと面白いことになるだろうね、そして君はアイドルだろう、これだってアイドルさ、世界中から愛されてる」

「駄洒落ですか?」

「さぁね、よければ考えてごらん、分かったらマネージャーに伝えてみるといい」


 しっかりとした握手をしてから、彼は近くで見張るように立っていた優しいマネージャーに二言三言ほど言葉を交わすと、私にウインクをして去っていった。


「ねぇ、生半可な気持ちでやるなら止めた方がいいわ、もし、本気でやるならきちんと意味を考えてみて、名刺をくれた方、あなたに期待してるって言ってたわ」


 すぐにマネージャーが駆け寄ってきて、厳し目の口調でそう口にする。


「あの人は誰なの?」

「今は内緒、でも、いい加減なら辞めてしまいなさい」


 ふっと、その言葉に苛立ちが湧く。そしてこの時の私を自分自身で褒めてやりたいと思う。普段なら、じゃぁ辞めます。と諦めてしまう事が多いのに、この時の私は違った。

 何かが心に火をつけた。

 小さな火が灯ったと言った方がいいのだろうか。私はその1$札をずっと見つめながら家路への道を歩いてゆく。電車の中で調べてみた。1$、アメリカで最も少額の紙幣、チップでよく使われる、表にはジョージワシントンの肖像で初代の大統領、裏面は白頭鷲と眼のついたピラミット、そしてONEの表記。特に変わり映えのしないただの紙幣。数多く考えては、くだらないと頭から消してゆく。けれど正解を導き出すことはできない。

 祖母が広告の裏を切って作ったメモ用紙へ、纏まらない考えを書き連ねていると、それをみていた祖母が嬉しそうに笑った。


「なに?」

「みっちゃんがそんなに真剣に調べ物をするのは久々だねぇ」

「そうかな?、でもね、答えがわからないの?」

「答えがわからない?」

「うん、これの意味を理解できたら面白いことになるって」

「答えなら出てるじゃないかねぇ?」

「え?」

「理解できたらってその人は言ったんだね、だったら、これだけ考えた事が答えになるんじゃないかい?ああ、もしかしたら正解がないのかもしれない、正解があるのかもしれない、ずっと考えてみるのも面白いことさね」


 祖母が自信満々にそう言って私の頭を久しぶりに撫でてくれる。恥ずかしいけどそれがとても嬉しかった。

 あれからどれだけのメモ用紙に言葉を綴ったのだろう。小学校と中学校とまともに使ったことのない辞書まで引っ張り出して、私は色々なことを言葉にして書き出した。2日間まるまる考えて、グループの夜間練習後にマネージャーにそれを見せてみた。

 最初は気怠そうにやる気なく見つめていた姿が、やがて私に席に座るように言って、暫くの間、そのメモの言葉を巡ってやり取りをする。この言葉はどう感じたのか?この言葉に何を思ったのか、この言葉に何を考えたのか……。受け答えをめんどくさいなんて思わなかった。自分の言葉を、自分の想いを、初めて人に真剣に聞かれて、初めて真剣に答える。それがとても新鮮でとても嬉しい。


「みさ、今、とっても楽しいでしょ?」

「うん、マネに聞いて貰えるのとっても楽しいかも」

「違うわ、誰かへと真剣に伝える事がよ、それは素質でとっても大切なことよ」


 マネージャーの笑顔を見たのも、とても久しぶりだった。

 それからの私は今までの私を脱ぎ捨てて、新しい私となって羽ばたいたと思う。

 暫くして所属していたバンドが解散となると、私は新しいユニットに入らずにマネージャーと話し合いながら、少しの間、レッスンに明け暮れた。踊り方も、歌い方も、歌詞の作り方も、なにより魅せ方も、汗を滴らせて、涙を拭い、唇を噛み、身を削るようにして真剣に取り組み、解散ライブまで続くグループのメンバーの座を手にする事ができた。

 もちろん、全てが順調だったわけではない。大変な苦労も沢山あった。嘘も方便の建前で過ごしたことも、仕事だと割り切ったことも何度もある。けれど辞めてやろうとは考えなかったし、とても充実した日々だった。

 目の前にどんな表情があってもそれが糧になる、どんなに泣き腫らしてもそれが糧になる。そう信じる事ができたから。

 高校を卒業し、それを見届けるように祖母を失い5年が過ぎた。グループの皆がそれぞれの進むべき道を決め始めた頃、私は再びあの人に再会した。そう、マネージャーにいくら尋ねても教えてくれたなかった1$札の外国人、その人が直接に会いたいと連絡をくれたのとことで面会が実現したのだ。


「久しぶりだね、ミサ、僕のこと覚えているかな?」

「もちろん、お久しぶりです」

「いい笑顔だね、ずっと見てきたけど、いつもいい」

「中列右端、いつもそこでしたね」

「知ってたのかい?」

「スーツでライト振りまくる外国人、よく目につきましたよ」

「さすがだ」


 英語で会話しながら、彼に席を薦められてソファーへと腰を下ろす、彼も同じように対面のソファーに腰を下ろし、ポケットから1円玉を取り出しすと机の上にゆっくりと置く。

 ピカピカに光る真新しい一円玉だった。


「また、お金」

「そ、またお金、さて、どうみる?」

「そうですね、1円を笑うものは1円に泣く。で、どうですか?」

「駄洒落かい」

「ええ、円は縁です」

「excellent!合格点だ、よく成長したよ」


 両手を合わせるように打ち鳴らして、彼はポケットから名刺を差し出してきた。私はその名刺を両手で受け取って目を走らせる。英語で書かれたそれは、Bostonにある大学の言語学教授リチャード・R・スタンリーとあった。


「君の歌詞や詩集を見た。実はね、君のグループの近い将来のことをマネージャーさんから聞いてね、もしよかったら、大学に研究生として来ないかい?」

「え?」

「ドルをどう見た?」

「dollarとは言わないんですね」

「もちろん、言わなくても意味は分かるだろう」

「ええ、もちろん。1$、ダジャレなら1をIにして$でアイドル、でも、違う。苦しい時に発行されて、誰でも手にし人の間を渡りゆく、多くからひとつのスローガン、誰もが上を目指す事ができるとピラミッド頂点の叡智の目、真ん中のONE、すべてアイドルに通じるような気がしました。もちろん、それ以外にも沢山考えましたし、まだまだ、考える事だらけですけど」

「うんうん、それはアイドルだけじゃない、人生にもだよ。君は一本の道をしっかりと歩んだね。1$のように一円玉のように沢山の縁を繋いだ。新しい道を探る時も近いなら考えてみてくれ」


 差し出された手を握手会のように握る。


「握手料はいくらかな?」

「ふふ、じゃぁ、1円玉を頂きます」


 多くを話す必要はない、それは自分で考える事だ。

 グループの皆の進路が決まった頃、私は留学先の大学の試験を受けて、見事に合格を勝ち取った訳だ。研究生ではなく、大学生として、自らの足で歩んで行くために。

 私が合格したことを知ったリチャード教授は教授室で喜びのあまり転倒し、大腿骨を折る大怪我を負った。お見舞いに訪れて、連絡先を交わして今に至る。


『気をつけていってらっしゃい。帰ってきて再び戻るなら、声をかけてね』

『ありがとう、いってきます』


 マネージャーからの見送りの言葉に返事をして私は席を立つ。

 新しい舞台へと最初の一歩を踏み出したのだ。


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1$1円 八坂卯野 (旧鈴ノ木 鈴ノ子) @suzunokisuzunoki

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