後編
あれから数十年。
おばあちゃんは既にだいぶ前に亡くなり、私たち一家もローンで苦労しながらも新しく家を買った。幸い、父も仕事都合での転勤は殆どなくなった。
おばあちゃんの家とは別に、私にも「実家」と言えるものが出来たといえる。
私は大学も卒業し就職し、やがて結婚。実家を離れてだいぶ経つ。
色々人生経験を経て、分かったことがある。
まず、結婚して当然の如く、父の実家で暮らすことになった母の苦労だ。
まだ昭和の当時、女は結婚したら夫の実家で暮らすのが当たり前だった。
おばあちゃん(母にとっては姑)と一緒に過ごすだけなら、まだ良かっただろう。だが母は姑だけでなく、叔母一家とも同居せざるを得なかった。
そんな中でも父は仕事で不在にすることが多く、母は他人の家でほぼ孤立無援の状態だったと言える。
また、三世帯同居を強いられたおばあちゃんの気苦労も、相当だったろう。
しかも私が生まれた後すぐに、叔母には娘二人が生まれた。
あの家での発言力は叔母の方が断然高く、おばあちゃんも私たち一家と叔母一家とのバランスをとるのに非常に苦労したに違いない。
私のお雛様と、あの家の七段のお雛様――
それはおばあちゃんが精一杯、バランスを取ろうとした結果ではないだろうか。
私のお雛様は一段しかないが、それだけにとても美しい。数十年を経過した今も、着物のも肌も殆ど色あせていない。
同じように美しいお雛様を、叔母も望んだのだろう。それは母親として当然のことだ。
その後すぐに続けて娘が生まれ姉妹になったのなら、なおさら。
おばあちゃんにとっては私もいとこたちも、平等に愛しい孫たちだった。
だから苦心の末、私にもいとこたちにも、その時最も良いと思ったお雛様を贈ってくれた。
私には勿論、いとこたちも幸せであれと、願いながら。
父があの時、私と母をおばあちゃんの家から引き離したのは、仕事の都合というだけではなかったのだろう。今ではそう思える。
特に、あの日電車で母が見せた厳しい横顔を思い出すと――
あの家での母の苦労はどれほどだったか。そんな中、どれほど必死で私を守ってくれたか。
色々察せられて、胸が痛くなる。
それでも私の実家では今も、春になると必ず、おばあちゃんのお雛様を飾る。
私がなかなか行けなくても、母はスマホで写真を送ってくれる。
おばあちゃんが選び、母がずっと大切にしまっているお雛様は、今も昔と変わらないすまし顔だ。
そして、母は今年は動画まで送ってくれた。
美しく飾られたお内裏様とお雛様。一緒に流れてくるのは勿論、あの懐かしい響き――
「うれしいひなまつり」のオルゴールの音色だった。
完
私とおばあちゃんとひな人形 kayako @kayako001
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます