太陽みたいなあいつ

槙野 光

太陽みたいなあいつ

「ミキ! ノート見せて! 一生のお願い!」


 あっくんが顔の前で手を合わせて、頭を軽く下げる。

 あっくんの一生のお願いって何度目だっけ。


「……また?」

「ミキちゃんミキ様お願い! 今日ミヤ先の授業で当たるんだって。放課後に職員室とか俺、絶対嫌! あそこに行ったら俺死んじゃう。人助けだと思って! なっ?」


 あっくんが上目遣いであたしを見てくるから、あたしは「えー」ってしぶりながらも結局、机の中から数学のノートを取り出すんだ。


 ノートを受け取ったあっくんは「ミキちゃん愛してる」なんて言うけど、その顔は既にあたしには向いてない。最前列の廊下側にある自席にさっさと向かって、あたしは最後列の中央からあっくんの背中を視線で追いかける。


 あっくんが席に戻るや否や、あっくんの左隣の席から美人で明るい宮沢みやざわさんが身を乗り出す。


あつし、また永澤ながさわさんのノートパクったの?」

「パクってねーよ。幼なじみのよしみで借りたんだよ」

「どうせ無理やりでしょ? ねえねえ、わたしが貸したげるからさ、今度デズニー奢ってよ」

「嫌だっての! つーかおまえ邪魔」

「あー良いんだそんなこと言って。淳が永澤さんのノート丸写ししてたってミヤ先に言っちゃおうっと」

「しつけーよ」


 あっくんが荒い口調で言うと、宮沢さんは「なんてね。まっ頑張りたまえ」と簡単に引いてあっくんの肩をぽんと叩く。


 宮沢さんの艶やかな褐色の髪が背中でさらりと揺れて、真っ暗闇なあたしの髪は肩口で鈍く揺れる。


 あっくんはあたしのこと「おまえ」なんて言わないし、あたしはあっくんの肩に気軽に触れるなんてことできない。

 

 あっくんは、隣の家に住んでいる。親同士の仲が良くて、生まれたときから一緒に育ってきた。


 幼稚園に通ってた頃、あっくんはあたしをお姫様にしてくれるって言ってた。でも、あっくんは忘れちゃったみたい。


 ねえ、あたし知ってるんだから。あっくんがミヤ先の宿題を忘れたのは、宮沢さんとスマホで夜遅くまで話してたからなんだって。あっくんとあたしの部屋が隣り合ってるの、あっくんはいつも忘れてる。


 あっくんの声ってよく響くんだよね。


 あーあ。ばかだなあ、あたし。


 はあっと口から大きく息を吐くと、「永澤ってさ、ドMなの?」なんてふざけた声が左隣から飛び込んできた。


 原田はらだ 良太りょうた


 きんきらきんの太陽みたいな髪。両耳の耳たぶを飾る銀色のピアス。

 ヤンキーみたいな見た目のくせに頭が良くて、確か親が学校にたくさん寄付してるから先生は何も言えないんだって噂で聞いた。

 隣の席になった時から、原田 良太はあたしに声を掛けてくるようになった。多分、化粧っ気がなくて髪も真っ暗な地味女が珍しいんだと思う。


 つん、とあごを逸らして無視していると「なあなあ」としつこく声が追いかけてくる。それも無視していると「ミキ、ミキちゃーん」なんて気安く名前を口にするから、あたしはイラッとして勢いよく顔を左に向けた。


「ちょっと――」


 瞬間、原田 良太と目があった。

 蛍光灯の光に照らされた原田 良太の瞳は澄んだ夜空の色をしていて、あたしは思わず言葉を呑み込んだ。


 口を閉じると、原田 良太が突然、笑顔を引っ込めて真面目な顔であたしに手を伸ばす。


 それはまるで、スローモーションみたいだった。

 

 原田 良太の綺麗な指が、肩口に付いたあたしの横髪をさらう。教室の音が全部なくなって、原田 良太の真っ直ぐな視線があたしを灼く。


「……前から思ってたけど、永澤の髪ってきれいだよな」


 心臓が大きく飛び跳ねる。あたしは、動けなかった。


 チャイムが鳴って、原田 良太が名残惜しそうに目を細めてあたしの髪から指を離す。指先があたしの左肩を掠めて、最前列から椅子を引く音がする。あっくんが慌ててあたしにノートを返しに来て、ミヤ先が入ってくる。


「ほら、席につけ」


 乱雑に置かれたノートに、皆が席に付く賑やかな音。

 

 数学の授業が始まって、あっくんがミヤ先に指される。書き写したノートを見ながら、あっくんがすらすらと答える。


 いつもはあっくんの声に意識がいくはずなのに、今日は全く集中できなかった。

 

 左肩が熱い。ううん、違う。左肩だけじゃない。風邪を引いたみたいに全身くらくらする。


 あたしは、あっくんが好きな筈なのに。


 ねえ、原田 良太。

 ――あんた、あたしのこと好きなの?


 そう言ったら、原田 良太はどんな顔をするかな。原田 良太が「そうだよ」って言ったら、あたしはどんな顔をするかな。


 自分のことなのに全く分からないや。


 ねえ。きっとあたしは、今日の放課後もあんたの「ばいばい」を無視する。明日も明後日もその次の日もたぶん何も返さない。


 でも一ヶ月後、一年後は分からない。もしかしたらいつか、あたしはあんたに言うかもしれない。


 ばいばい。

 またね、大好きって――。


 そしたらあんたは、どんな顔をして笑うのかな。


 想像して、あっくんに貸したノートに視線を落とす。左からは太陽みたいな熱い視線。あたしは更に顔を伏せた。


 あーあ。ばかだなあ、あたし。

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太陽みたいなあいつ 槙野 光 @makino_hikari

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