異世界で勇者になれそうですが、洗濯中なのであっちに行っててほしい
秋犬
正直邪魔なんだ
なんて最悪な日だ。
誰もいない夜中のコインランドリーで、俺は居酒屋の制服と俺のシャツを洗っている。思い返せばムカついて仕方ないけれど、今は洗濯が終わるのを待つしかない。
イライラしながら洗濯が終わるのを待っていると、急に稼働していた別の洗濯機のひとつが内側から開いた。故障したのかと俺が身構えていると、中からキャベツみたいな髪の色のイケイケねーちゃんが出てきた。なんか身体にぴっちりとしたボンテージ? みたいなちょいスケスケな衣装を着ている。
「そこの者、彼の地で勇者にならぬか」
ヤバい。
ヤバい奴じゃん。コスプレ? 前から洗濯機の中にいたのか? やべえ。
「我は転移の魔女。魔王軍に殲滅させられし世界を救うべくこうして参上した」
「それって日給いくら?」
「ニッキュウ、とは……」
随分と手の込んだ勧誘だ。どうせコスプレイベントのモブ役をやれとか言うんだろう? それか変な宗教か何かだ。
「1万円からなら考えてもいいぞ。弁当もつくんだろうな?」
「いや、報酬は発生しない。これは名誉なことである。今の己から変身したいと思わないか?」
「名誉だけで、そんなクソ面倒なこと誰も引き受けないだろ」
魔女とやらは何やら焦り始めている。俺は洗濯物を取り出し、乾燥機に突っ込んで金を入れる。この量なら10分くらいか。
「でも魔王軍を倒したら、なんかベランダみたいなところから民衆に手を振って紙吹雪が舞う演出みたいなのはあるが」
「いらねえよ。あと多分そこバルコニーって言うぞ」
俺は時計を見る。いつもはチャリで来ているから時間なんか気にしないでいいけど、今日に限ってチャリを盗まれてしまった。警察に盗難届を出して、それから電車でバイト先に来たけれど「お通しが高すぎる」とぶち切れた泥酔客に頭からビールをぶっかけられるというハプニングが発生した。うるせえ、キャベツの値段知ってんのか。店の前にも「席料というかお通しの値段上げるからご理解よろしくお願いちょ」って書いてあるだろうが!
そういうわけで、俺はものすごくイライラしている。ビールまみれの俺のシャツをどうにかしないといけないので、時間が微妙だけれど俺は上着だけを羽織ってシャツとついでに居酒屋のエプロンも洗濯している。クリーニング代として小銭はもらっている。完全に労災だからな。
それで今から乾燥機で仕上げて、終電に間に合えばいいのだけど。
「人一倍苦労したことを認められるのが報酬だが」
「そんな目に見えない報酬は却下だ」
魔女ねーちゃんはしばらく黙り込んだ。それでも諦めきれないのか、まだ俺に変な勧誘をしかけてくる。
「目に見える報酬なら、きっと魔王軍にさらわれた姫が……」
「女に不自由していると決めつけられて不愉快だ。それに今時トロフィーワイフなんて炎上まっしぐらじゃねえか」
「むぅ……」
乾燥機が止まったので中を確認したが、地の厚いエプロンが地味に湿っている。もう10分追加したいところだが、終電に間に合うかどうか……。
「しからば、汝の願いをひとつ叶えよう。さすれば」
「それなら、このエプロン完全に乾かせるか?」
「ええ……欲のない奴だな」
魔女ねーちゃんは明らかにドン引きしている。俺としたら、そんな格好している奴にドン引きされたくない。
「ほら、やってみせろよ。魔王がどうのこうの言うなら、このくらい簡単だろう?」
「や、やってみせよう……」
そう言って魔女ねーちゃんが何か呪文を唱えると、エプロンが急に熱を持って、そして火がついた。
「何やってるんだよ!」
「すまぬ! すまぬ!」
魔女ねーちゃんは慌てて水を出して火を消したが、エプロンには完全に焦げ目がついている。
「魔女だか魔王だか知らねえが、俺は絶対そんなところ行かねえぞ!」
「申し訳ない……」
ああ、こんな変な奴に構うんじゃなかった。エプロンも弁償するしかないな。畜生、とことんついてない日だ。俺は即座に上着を脱いでシャツを着る。魔女だか何だか知らん女が目の前にいるが、知ったことか。俺のことを変な目で見るなら見ろ。てめえのほうがよっぽど変だぞ。
俺は焦げてぐっちゃぐちゃに濡れたエプロンをひっ掴んで駅に走った。くそ、チャリがあればこんな距離あっという間なのに。でも、もう10分多く乾燥機にかけていたら終電ギリギリになって、もっと焦ったかもしれない。そこは魔女サマサマだな。一切許すつもりはないが。
俺は駅までダッシュして、ホームにいた電車に滑り込んだ。よかった、間に合った。最後の最後でいいことがあった。終電一本前だった。
〈了〉
異世界で勇者になれそうですが、洗濯中なのであっちに行っててほしい 秋犬 @Anoni
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