兄妹愛を根底では信じたくなる純愛小説

滅びの季節。力作です。
禁断の兄妹愛を描いた作品ですが、
私がこの作品で重要視する点が、
何点かあります。

・「純愛」を描いている作品であること
・「不幸」を強調した作品ではないこと
・この作品が、心の傷の癒やしになる可能性を強く秘めている事

栗栖亜雅沙さんの作品は、
2025年の元旦に初めて読んだと思います。
短歌の人、
そして、アブノーマルな世界観を描く、
「大人の女性」という印象の作家さん。

俺は栗栖亜雅沙さんに憧れ、
短歌を書き始め、今も超えられませんし、
未だ栗栖亜雅沙さんを唸らせる作品は、
書けてない、と、憧れや親しみを
勝手に込めるだけ込めて相当に困らせてしまっていると思います。

まぁ、ファンなんです。
かなり強めの。

滅びの季節は、その栗栖亜雅沙さんの作品の中でも一番好きな作品。
理由は、改めて読んで判ったのですが、俺の家庭環境ですね。
俺の家庭に、血の半分繋がった兄弟が居たからです。
そして、私のその兄は、首を吊って死んでしまった。だからだな、と思います。

読み返して、今の俺に重ねて思ったのは、
朱夏、初潮が嫌な話題なんて、なんて贅沢な事言ってるんだろうと思った、
よしの、幸せな女から不幸な女に転落して、それでも一貫して女であることを疑う必要のない姿に、嫉妬してこうなりたいと思った。

けど、玄冬だ。
玄冬は、朱夏を愛していたと思う。
ただ、自分の愛が信じきれなかった。玄冬は混乱していただけだ。現実というものに対して。そして、よしのに対しての気持ちも、嘘偽りはないのだ。玄冬を、俺は庇ってやりたい。

この作品は、朱夏の手紙で終わる。
美しい魂が世に墜とされることを、ハッキリと告げて。
そこに答えがある。
命というのは美しいのですから、その命がハッキリとした形で、そこにあるということ、それが答えであり、また、それが愛と言うことが出来る筈だ。

玄冬は、悔しかったかもしれないし、
父親の感情を推察し、
自己投影の結果、義母に思い入れをし、
そして、朱夏へと感情が移っていったと看ることは出来そうではある。
それが、身体という、自身の身体が半分に裂かれており、朱夏の身体が完全なものであるということへの恨み、羨望があると看ることも出来るでしょう。

でも、それは違う。
と読書の俺が言うのはおかしいけど。

「お兄ちゃん、あの言葉信じていいの。」

この言葉以外に何が必要だろう。
信じていい。
ただそれだけを本当に最後まで信じきれれば、最初から最後まで一度も疑わず信じきれれば、良かったと俺は思います。

玄冬は、何度も屈折を経て、
妹の身体に自分の苦しみを同化した。
なら、妹の身体は自分自身であり、
だからこそ愛したと俺はとります。

ならばだ、朱夏の首を締めたのは、
自死であるし、よしののしたことを、
よく、考えてみよ。と問う。

よしのは正しい。
生き残るべきは朱夏である事を、
本能的に察した判断であるからこそ、
口を噤んでいたと俺はとる。

通底しているものは、
玄冬の「本気」という言葉。
それに対する朱夏の「信じていいの」という返事、それだけだということ。

そして、信じていいんだよ。
と朱夏に対して読者の俺は、
玄冬に代わって言ってあげたいと思う。

信じていいんだよ。
君が信じてあげなくて誰が信じるの。
その気持ちを信じること、
受け止めることは確かに、
幼い少女には重責なのかもしれないね。

でも、君は強かった。
強く、美しく、最後まで生き抜いた。

俺は、ここまで来て、
初めて読み切った時と同じ感想が口から漏れる……玄冬になりたい。
よしののお父さんのフラワーショップで働いて、それで、朱夏のことも兄として幸せにしてやる強さを持って。

玄冬の気持ちに立つと、
無念で、無念で、報われなくて、
けれど決して朱夏を憎んでなどいない。

愛していた。
そして君達には美しいものが残った。

それを大切に一緒に生きていくことが出来る。

美しくない命がないように、
美しくない愛などはない。

世間が間違っていると言おうと、
ただ信じ合って生きた君達は美しく、尊い。

俺は玄冬になりたい。
玄冬のように、朱夏を愛してやりたい。
そして、朱夏の心に、
生きるために大切な事を残して、
天国から見守ってあげることが出来たら、
どれだけいいのかな。

朱夏と、朱夏達のところへと墜とされたその烈しく美しいものを少しだけ俺は羨みつつも、玄冬になりたいと願い、なれねぇなぁと憶い、そして、この「滅びの季節」という力作から多くのものを貰えたことをもう一度感謝したい。

玄冬の声が聴こえるようだ。
朱夏にしか聴こえない、真実の愛の言霊で。