あとがき
*
捜査が終了した。終わってしまえば、成程と手を打つような事件であった。
「んで――どうだったよ、首尾はよ」
と、1カ月ぶりに会った連伽藍は、いつもと変わらず飄々としていた。
「ええ、大正解でしたよ。加害者は、このマンションの15階に住む、
「おお、そうかい――じゃあ、やはりこれは、殺人事件じゃあなく」
「ええ、自殺、でしたよ」
目を伏せて、軒崎はそう言った。
視線の先には、馬刺しがあった。
「拡大自殺――っつう言葉があるのは、お前、知ってるか、軒崎」
「ええ。殺人を行った後、自殺を行おうとすること、或いは同時に決行しようとすることですよね、でも、これはそれには該当しないんじゃないですか」
「そうだな。少なくとも、加害者――自殺者の側には、底月氏を殺す意図なんて、無かったんだからな」
今回の事件のあらましは、こうである。
まず、自宅のマンションから、飛び降り自殺を図った少女がいた。
それが萱沼迄、小学五年生である。
小学生が自殺とは、なかなかどうして現代社会の闇を感じずにはいられないが、その辺りは後の調査で判ることである。
結果的に、自殺には失敗した。
何故なら、落下した萱沼氏を受け止めた存在がいたからである。
それこそが、底月忽氏であった。
しかし――漫画や小説の世界とは違う、いくら底月氏が屈強な大男だったとしても、真下に掛るエネルギーというのは、地球上に存在する人間が誰しも受けることになる。
底月氏は萱沼氏を、身体を張って受け止めた――その反動が、彼の身体に来たのだ。
殴打の後だと思われていたのは、萱沼迄の身体が激突した痕だった。そして地面と顔とが衝突し、重症を負った底月氏に対して、萱沼氏の怪我は、大したものではなかった。そこで二人でどんなやり取りが成されたのかは、定かではない。萱沼氏は足を怪我していたが、両親には、階段から落ちたと嘘を吐いて、それを隠し通すことにした。
そして底月氏は、最後の力を振り絞って、その身を街路樹の中へと隠した。少女の自殺という選択肢を、警察から排除するために――少女を、守るために。
「――というと、聞こえは良いですが、どうして萱沼少女をそこまでして守ったのかは、定かではありません。ただ」
「ただ?」
「萱沼迄はかなり酷い肉体的虐待を受けていたことが判明し、警察の事情聴取と、厳重注意の後、この度親元を離れ、遠くの親戚に預けられることになったそうです」
「多分、聞いちまったんだろうな、底月氏は、その少女が自殺しようとした理由を。それで、守ろうと思った――だから、自らの遺体を隠蔽するような真似をした、と」
莫迦だよなぁ、自分を生きることを優先すりゃいいのになぁ。
と、連伽藍は独白のように、そう言った。
「そう考えれば、底月忽という男も、なかなかどうして、通常の側には収まりきらない器をしているよな。普通だったら、自殺しようとしている人間がいれば、声を掛け、止めようとはすれ、実際にそれを受け止めるという判断はできなかっただろう。己の順風満帆な人生を、全て棒に振っても、命を、助けたかった」
俺は、そんな底月忽という男に、敬意を表すよ、と。
連伽藍はそう言って、目を伏せた。
珍しいことだった。
「で、その後はどうなった?」
「底月氏の両親と妻が、多額の慰謝料を請求しているようでして、それらは保護監督責任を問われた、彼女の両親へと負債が駆け込むそうです。そもそもの原因は、萱沼家の虐待にありました。それが返って来た形ですね」
「因果は巡るねえ、悪いこたぁできねえや。んで、そのお嬢さんは?」
「ええ。先程も申し上げた通り、警察からの厳重注意を受けた後、親戚に引き取られることになった、とのこと。今はカウンセラーも付いて、精神的にも安定しているそうです」
「そうか、そりゃ良かった」
言って、連伽藍は馬刺しを口に含んだ。
「良かった――んでしょうかね」
軒崎は――思ったことを、口にした。
ここでこの事件の話を切り上げて、仕事の愚痴の時間にしても良かったのだが、しかしどうしても、軒崎には釈然としない部分があった。
「確かに虐待のせいとは
「じゃ、萱沼迄が少年院にでも入れば、得心がいくのか? それこそ孤立無援だぜ。軒崎」
静かに、連伽藍は言った。
「この事件は、普通に見えて、異常者しかいないと、俺は踏んでいる。まず異常なまでの自己犠牲精神を発露させてしまった、底月忽、そして異常なまでの虐待により壊れ、生死の境界が曖昧となった、萱沼迄。二人はな、
まあ――俺みたいな異常者が何を言ったところで、って話だがな。
と、馬刺しをもう一口食べた。
「…………まあ」
そういうことに、しておこう。
そう思って、納得させて。
私は箸を持った。
早く食べなければ、馬刺しはこの男の胃袋の中に収められてしまう。
手を合わせた。
命に感謝して。
「いただきます」
(「
挫創 小狸 @segen_gen
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