挫創

小狸

本編

「それで、話っつうのは何だよ。軒崎のきざき


「考えればすぐに分かるような話でしょう。特にしばらくさん。あなたのような人ならば、私が個人であなたとの相対を依頼した時点で、既にその内容を理解していてもおかしくはないのではありませんか」


「はぁ。あのな、探偵ってのは名誉職じゃねえの。仕事なんだよ。四六時中仕事モードでいるわけにはいかないだろ。そんな風に頭をフル活性させ続けたら、脳が焼き切れちまうだろう」


「そうですか。まあ、探偵の在り方は色々ありますからね」


「色々ねえ」


「ええ。令和れいわですから。多様性です」


「多様性――っつう言葉も、なかなかどうして危険な言葉だよな。全てを許容し、包括することなんて、人間にはできない筈なのに、果たして皆は当然のように、その文言を口にするものな」


「意外ですね」


「あ?」


「暫さんが、そういう言葉の在り方に疑問を呈するなんて」


「俺を何だと思ってんだお前」


「我々社会人の生き様なんて興味ないものだと思っていましたよ」


「興味はねえよ。ただ、情報は仕入れる。それが是でも非であってもな。時流を追いかけるっつうのも、探偵の仕事じゃああるんだよ。まあ、これは俺がそう思っているだけかもしれないが」


「時流を追いかける、ですか」


「そうだ。諸行無常の響きあり、行く川の流れは絶えずして、ではないが――世というものをどうも固定された概念だと思う輩がいるんだよな。俺はそれは違うと思う。それは靄を掴むように危うい行為だ。常に流れゆく世というものから、俺は溺れないように必死でしがみついているんだよ」


 それもまた、この探偵――連伽藍れんがらん暫を印象付ける言葉としては、なかなかどうして適合しない。常に不貞腐れて、世の中を斜めに見て、ひねくれているようで、意外と素直なのだ――と、軒崎後々子ごごこ警部が知るのは、もう少し後の話である。


「で? そろそろ本題に入れよ、軒崎」


 と。


 沈黙に耐えきれなくなったのか、連伽藍は言った。


「お前から俺を食事に誘うってことが、どういうことはくらいは理解しているつもりだ。どうせ事件の話だろう」


「ええ、相変わらずお察しが良い」


「おべんちゃらも前置きも要らねぇ。お前の言った通りだ。お前から誘いがあった時点から、大概予想はついていたよ。さっさと事件の概要を話して終わらせて、食事に集中しようぜ。俺はそこまでマルチタスクが得意な人間じゃあねえんだ」


「それも意外ですね。探偵というのは、おしなべてマルチタスクが得意、というか、そういう部分が突出しているからこそ、探偵をやっているのかと思っていましたけれど」


「あのな軒崎。それは真っ当な探偵の話だ。俺は現場にも行かねぇし、足も動かさない。安楽椅子探偵と言えば聞こえは良いが――そこに座りっぱなしじゃいずれ死ぬだけだ。だからこうして、老体に鞭打ってここに来ている訳だ」


「安楽椅子探偵ですか。それこそ、暫さんには似合わない言葉だと思いますけれどね」


「あ? 何か言ったか」


「何も」


 そう言って、軒崎は強引に入った。


 本題に。


「今回の事件は、殺人です。××市××駅西口から十二分の所の、マンションの下です。被害者の名前は、底月そこつきたちま。四十八歳の会社員の男性で、役員を務めています。家族構成は妻と子どもがいます」


「××駅って言えば、治安が悪いことで有名な所だな」


「ええ、ですので書籍化の際は、伏字になると思います」


「表現の自由の功罪だな」


 メタな発言を挟んで、こほん、と、軒崎は一呼吸置いた。


「被害者の容態は?」


「殺されていました。鈍器のようなもので頭を殴られ、地面に激突、脳挫傷によるショックが原因です」


「命は助からなかったのか?」


「不幸にも、夕刻から夜にかけての××駅の西口って、街燈があまりないから視野良好ではないんですよね、それに底月氏は、打撃を受けた後、街路樹の植え込みに移動している。移動させられたのか、それとも移動したのかは、定かではありません。それで発見が遅れ、救急車の中では、もう虫の息だったそうです。病院到着後、死亡が確認されました」


「そう、か」


 連伽藍は、そう言って目を瞑った。そしてすぐに、探偵の眼になった。


「目撃者は――その様子だと存在しなさそうだが、その辺りの調査はどうだ」


「はい、古井戸ふるいど警部が管轄なので、伝聞情報なのですが、男が殴打されていたという目撃者はいなかったとのことです。元々通りの多い道ではありませんから、それも仕方ないとのこと。しかし、大きな音を聞いたという住民がいました」


「大きな音――殴打されている音か?」


「そうだと思います。一度――がん、と、どん、の中間くらいの音だと言っていましたね。それが、一度聞こえてきたらしいです」


「ふうん、現場に争った形跡はあるのか?」


「いえ――どうやら一方的に殴打され、その一撃が底月氏の命を極限ギリギリまで奪い、底月氏は植え込みまで最後の力を振り絞って移動し、そこで事切れた、と見ています。争った形跡はありませんでした」


「じゃあ、解決じゃねぇか」


「そうは問屋が卸さないんですよ。犯人の特定が、まだなされていません。それに加えて、被害者を殴打した物についても、特定が至っていません。それに、最期の瞬間の前に、植え込みまで移動した理由も、未だ判りません」


「何も判っていないじゃねぇか」


「ええ」


 そう言って、軒崎は烏龍茶を飲んだ。


「科学捜査の結果待ちの間、少しでも証拠を集めようと、こうして暫さんの所を訊ねた、という塩梅です。どう見ます? この事件」


「証拠、ねえ。現場を見てねぇから何も言えねぇが――」


 と、連伽藍は言う。


 まあ、元より安楽椅子探偵であるこの男が現場を見に行くこと、もとい、動くことはまずない。


「まずは、底月氏の身辺捜査だよな。恨まれるような男だったのか」


「ええ――それが」


 底月氏は、会社でも、家庭でも、信頼の置かれている人物であった。


 少なくとも、殺人事件に巻き込まれるような人物ではなかった――普通の、幸せな人間だったのである。


「普通の――幸せな、ね」


 連伽藍は何か言いたげであったが、面倒くさいので軒崎は無視した。


 どうせ普通は何かとか、幸せとは何かとか、そういう類の異端者側からの視点だろう。


 連伽藍暫という男については、他の警察関係者よりは、軒崎は理解しているつもりである。


「じゃそうだな――その辺りの考察は省くとして、底月氏が、何かの事件に巻き込まれたという可能性は、どうだ。元から××市――というか××駅付近の治安は、お世辞にも良いとは言えないだろう。例えば、底月氏が、見てはいけない何かを目撃してしまい、その制裁を下された、とか」


「見てはいけない何か――その可能性も一応確認したんですけれど、現場周辺から妙な車や人影が立ち去ったという証拠は、ありませんでした。周囲の監視カメラも確認しましたけれど、これと言って特には」


「成程。ちなみに、底月氏の出で立ちはどうだ」


「中肉中背と言ったところです」


「なるほどね、一般の成人男性なりの抵抗力は持っているってこった」


「どういうことです」


「そのままの意味だよ。通常人を殺すってこたぁ、結構な労力を要することは、お前も知っての通りだ。ただ頭を殴っただけじゃ死なない、当たり所が悪けりゃ確実だろうが、一人の、生きている人間だぜ。照準は動く。まあその辺りは司法解剖の結果待ちだろうが、思っている以上に、上手くいくものじゃあない」


「それは、そうですね」


「そして同時に――一撃で死んだかどうか判らないということは、。いちいちぶん殴った後、心音を確認していたら話は別だが、殴られてはいどうぞと胸を差し出すような莫迦は、この世にはいないわな。そして攻撃回数が増えるほど、加速度的に、周囲に露呈する確率というのも上昇していく。当たり前だな、人を殴れば音が出る。確実に人を殺したい者は、過剰に攻撃を行うだろうし、極力犯人から離れたいものは、攻撃回数を減らして生きている可能性を上げちまう。令和の今の世だ。スマホから救急に連絡すりゃ、一発だわな。つまり何が言いたいかというと、


「それは――そうですが」


 しかしそうなると、話は変わって来る。


 それこそ司法解剖の結果が待たれるけれど、犯人は確実に一撃で、底月氏を仕留めたということになる。そんなことが可能だろうか。


「偶然、ということはありませんか? 偶然打撃が成功して、被害者を一撃で殺害せしめた――とか」


「それにしちゃ、違和感が多いとは思わねぇか?」


「というと?」


「いやな。底月氏は、打撃された後、動いた形跡があるのだろう? 動かされたっつう場合もあるが、現状遺体を動かす意図は理解できないし、警察の調べでは、少なくとも打撃の後数十秒は、意識が残っていたということだ。


「いや、待って下さい。じゃあ、敢えて被害者は、通報しなかった、ということですか。そんなこと――有り得るんでしょうか」


「有り得ないことはねぇよ」


 と、連伽藍は言った。


「警察や救急に頼りたくない――や、頼ってはいけない、かな。何か後ろ暗いことでもあったんじゃねぇの、あるいは――」


「いやいやいや」


 流石に軒崎は、言葉を遮って続けた。


「それはないですよ。被害者の経緯いきさつはあらかた調べ終えています。何も後ろ暗いところがない、勤勉な男性ですよ。それこそ、警察の調べを信用していただきたいものですね」


「そうかい、そりゃ結構」


 意外と引き際を弁えているというか――あっさりと引かれたので、こちらの方が戸惑ってしまった。


 そう――そうなのだ。少なくともこの国の警察は――自家撞着になってしまいがちだが、優秀である。そういう繋がりを見逃すことはない。特に令和のこの世、インターネットの発展によって、誰でもがどこでも繋がることができるようになった。それは逆説的に言えば、昔より証拠が残りやすいということでもある。機械は人間と違って、実直で真面目である。アクセスログや位置情報など、それらを辿ることなど、造作もない。特に今回は、人が一人亡くなっている。皆、警察への協力は、惜しまない、信用と信頼が、構築されている。


「その優秀な警察が束になって考えりゃ、その内真相にも辿り着くだろ」


「それが、そうは問屋が卸さないんですよね」


「あ?」


「付近の監視カメラ、スマホ、通行人の取材で判ったことと言えば、先程挙げたことくらいのもので、それ以外はさっぱりなんですよ」


「ふうん、つまり、底月氏を殺害した犯人は、未だ逮捕の目途が立っていない、と言って良いんだな」


「ええ、残念ながら」


「そうかいそうかい」


 言いながら、連伽藍は烏龍茶を飲んだ。二人共下戸なのである。


「どうでしょう、探偵という立場から見て、この事件の犯人、に至る何かでも良いです。思いついたことはありますか」


「くくく、羽振りの良い頃なら、昔のよしみで無料で請け負ったんだが、生憎生活困窮していてね――これでも異常者なものでな。そうだな、依頼料はこれくらいでどうだ」


 と、指で金額を提示した。


 決して安くはない金額であった。


 異常者――と、自罰的に連伽藍は己のことを言う。


 これは別段、社会において異常者という括りがあるだとか、超能力者のことをそう呼んでいるとか、そういうことではない。彼が勝手に、自称しているのである。


 それでも、連伽藍と似たような立場にいながら、彼のように職を――居場所を見つけられた者というのは、少ない。


 警察という仕事をやっていて、軒崎は特に、そう思う。


 冒頭、軒崎は「多様性」という言葉を使ったけれど、あの言葉だって、連伽藍暫のような異常の側の者からすれば、余計な選別でしかないのだろう。


 むしろ、無理矢理土俵に引っ張り上げ、異常だと糾弾する、正常者側の強権発動にも見えて仕方がない。そういう世の仕組みを見ていると胸が痛むが、今は、軒崎は警察官であり、依頼人である。


「良いでしょう、それで手を打ちます――では、後々に、例の口座振り込みということで宜しいですね」


「ああ、頼む」


「それで――見解をお聞きしたいのですが」


「そう――だな」


 と、そう言って、残っていた烏龍茶を飲み干し、もう一杯を頼んだ。


「俺なりの見解、というか――これは純粋な疑問なんだがな。お前ら、この事件を、殺人だとばかり思い過ぎなんじゃないのか? そりゃ法治国家で、日夜犯罪者が検挙される、そんな世の中でこんなことが起きちゃあ、そう思わざるも得ない気持ちも十二分に理解できるんだが」


「――つまり、こういうことですか」


 限界が来て、軒崎はたずねた。


、と」


「あー、厳密には殺人ではない、いや、殺人になるのかな、その辺りの法律的定義は、俺には良く分からない。そっちで定義してくれ。、と、これだけは断言できる」


「――? 殺そうとした訳ではなく、殺人ではない、それでも、人殺しではある? どういうことです、堂々巡りではないですか」


「そう焦るな。そうだな――じゃあ、これでどうだ。死亡推定時刻近くに、姿? 


「っ――それは、確認していない情報ですが、何故」


「いいか、一度で覚えろよ」


 こうなった連伽藍は止まらない。仕方なく、軒崎はメモ帳を取り出した。


「まず、監視カメラの映像確認と、マンション付近の整形外科のある病院の往診歴、そして、マンションの住人の中から小学生から中学生の者を洗い出せ。そこに合致した奴が、今回の事件の――まあ、加害者だな」


「ちょ、一寸ちょっと待って下さい。どうしてそこまで断定できるんですか」


「調べてみれば、全てが判る」


 そう言って連伽藍は、新たに頼まれた烏龍茶を、一気に飲み干した。




(続)

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