君はしあわせでしたか?

神代ゆうき

第1話

それは、

親指ほどの大きさの素焼きの人形だった。


――祖母が亡くなって一週間。

遺品整理は、淡々と始まった。


着物を着たおかっぱ頭の女の子の人形が、

柔らかく笑っている。

母は一瞥しただけで、

興味なさげに脇へ置いた。


「これ、いらないわよね。捨てる?」


不意に話しかけられ、

私は手元のスマホ――

未送信の

「もし、よかったら今度……」

で止まったメッセージ画面から

目を離した。


「ちょっと待って。

 捨てる前に確認しよう。

 お母さん、すぐ何でも片付けようとするんだから」


そう口にしながら、

私は人形をそっと取り上げた。


かすかにざらつく手触り。

指でなぞると、ところどころ凹凸があり、

そこだけ釉薬が薄くなっている。

よく見ると、

ひび割れを修復した跡があった。


(……ずっと、大切にしていたんだ)


手の中の小さな人形は

柔らかく笑っているのに、

なぜか胸の奥が落ち着かなかった。


裏返すと、

底に古びた紙が、

封をするみたいに

隙間なく貼られていた。


指で押すと、わずかにたわむ。

中に――

何かが入っている。


畳に残った線香の匂いが、

ふっと鼻をかすめた。


(おばあちゃんがここにいた気配が、

 まだ残ってるみたい)


私は息を止めて、

紙の端をつまんだ。


古い紙は乾いていて、

指先にかさりと引っかかった。

破らないように、

ゆっくりと剥がしていく。


やがて、

乾いた音を立てながら、

紙がめくれた。


その奥に、

小さく丸められた和紙が

収まっていた。


そっと開くと――。


そこには、

震えた筆跡と、

涙の跡で滲んだインクが、

静かに時を超えて残されていた。


「君の笑顔を思い出すたび、

 僕はまだ戦える気がする。


 右袖のボタンが、

 また取れかけている。

 君が笑って直してくれた場所だ。


 でも、もし戻れなかったら――

 僕と出会って……


 きみは幸せでしたか?」


喉の奥が詰まって、

息がうまく入らない。


手紙を持つ指先に力が入る。

熱いものが頬を伝い、

紙の上に一粒、落ちた。


(おばあちゃん……)


声にならない声が、

喉の奥でかき消える。


祖母は、生涯独身だった。

母は養女で、

血は繋がっていない。


それでも、この手紙だけは――

祖母の胸の奥に、

ずっとしまわれていた。


昔、母が

アルバムをめくりながら言っていた。


「おばあちゃん、

 昔はすごく綺麗だったらしいよ。

 血が繋がってたら、

 アンタも私も、

 もっと美人だったのにね」


――言い終えてから、

母は少しだけ目を伏せた。


「……なんて冗談よ。

 本当に、良い母だったわ」


……なぜ、結婚しなかったのだろう。

この手紙の人は、

おばあちゃんと、

どんな関係だったの?


私は涙を拭うと、

母のもとへ戻った。


「お母さん、

 おばあちゃんの昔の写真って、

 どこかにある?」


母は作業の手を止め、

奥の押し入れを開けた。


「これかしら?」


取り出されたのは、

黄ばんだアルバムだった。

ページをめくると、

祖母の若い頃の写真が現れた。


――その中の一枚で、

手が止まる。


セピア色の写真。


そこには、

軍服を着た若い男性と、

祖母が並んで写っていた。


祖母の笑顔は、

どこか誇らしげで、

それでいて、

儚げだった。


祖母の目元に、

小さな泣きぼくろがあった。


反射的に、人形を見る。


おかっぱの少女の目元にも、

同じ場所に、点がある。


焼きむらでも、汚れでもない。

最初からそこに

“あった”みたいに、

土に沈んだ印。


(……偶然じゃない)


「ねえ、

 この男の人……誰?」


母は首を傾げた。


「さあ……知らないわ。

 おばあちゃんが

 大切にしていた写真だけど、

 この人のことは、

 一度も聞いたことがないわね」


私は写真と人形を見比べた。


もしかして、

この人形は……。


祖母が

ずっと大切にしていたもの。

ひび割れても捨てず、

直してまで

手元に置いていたもの。


私はそっと、

人形を握りしめた。


「おばあちゃん……

 幸せだった?」


答えはない。

ただ、

写真の中の祖母の笑顔だけが、

そこにある。


(――きみは幸せでしたか?)


私は人形を裏返し、

底の空洞に

手紙をそっと戻した。


剥がしてしまった封の紙を、

今度は破らないように当てる。


指の腹で押さえると、

乾いた紙が

土に吸いつくように馴染んだ。


仏壇の前に座り、

遺影の横に

写真を立てかける。

それから、

人形をその前に置いた。


仏間の静けさが、

遠い記憶みたいに

胸に滲んだ。


それは、

私を縛るものじゃなく、

そっと背中を

押すものだった。


手を合わせる。


立ち上がって、

私はスマホの

メッセージアプリを開いた。


そこには、

他愛もない

やり取りが並んでいる。


指先が少しだけ震えた。

迷って、やめて、

また打って――

最後に一行だけ残す。


「よかったら、

 週末、

 一緒にご飯でも

 どうですか?」


送信。


すぐ返事が来るかもしれない、

と期待してしまう。


画面から目を離せない。


――この先どうなるかは、

分からない。


それでも、

送れたことが嬉しかった。


今、

伝えられるうちに、

伝えておこう。


息を吐いて、

顔を上げる。


仏壇の上で、

素焼きの少女が

柔らかく笑っていた。


まるで――

「それでいい」

と言うみたいに。

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君はしあわせでしたか? 神代ゆうき @pupukushi0423

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