第2話 どこにもいない傘で戦う日陰の英雄

 柔剣道場に戻ると、薄羽うすばさんにゴミを見る目で一瞥いちべつされる。もう家帰りたいと折れかける心を鼓舞して地稽古じげいこを申し込んだ。

「嫌よ。あなたと竹刀を交える無意味さを知ってるもの。カタナけがれるわ」

「う、薄羽さんでも、あれがまぐれにしか、みみ見えないわけ?」

 こうでも言わなきゃ絶対相手してくれない。当然、場は騒然。

「あの土壇場どたんばギフテッドどした」

「髪切られてヤケなんじゃね」

抜身ぬきみかたなに挑むとか、まるで諸刃もろはつるぎ

 薄羽さんは、ガタガタな挑発を鼻で笑うとめんを被る。

「いいわ。相手してあげる」

 もう後に引けない。

「見せてもらうわ、土壇場ギフテッドとやらを」


 試合場内ラインコートの中心に立つ薄羽さん。

「このラインをまたいだら一切の希望を捨てなさい」

 地獄の門パクりどっかで聞いたような

 静かに構える姿、まさに蟻地獄ありじごく。ライン跨げる気がしない。

「刀はしっかり握らねえとあったまんねえ。冷てえと斬れ味がわりぃんだ」

 いつの間にか、竹刀を握った私の手を上から握るリョーマ。

 いや近っ……でもそれ所じゃない。

「いきなり意味わかんないんだけど」

「お前骨折ったことあるだろ」

「なんでわかんの?」

「無意識に左手かばってる。それじゃ安定してねえ」

 きっちり支えろと言わんばかりの熱が、手首に伝わってくる。いけそうな気がした瞬間、どつかれる背中。


「ちょ」


 片足がラインを越える。面越しでもわかる鋭い眼光、吸い込まれる。身体固まる。いける気がしたのは気のせい。私はただのありだった……。


「ツルギ!」


 ドキッとする。初めてだ……名前わたしを呼ぶリョーマ、謎のシミ広がるふところ全開で。

「やめろ変態」

 てかなんてタイミングで声かけてくんだこらっ。

菓子ふりもみこがし、懐に入れ忘れてたみてえだ。お前の涙で溶けた!」

 熱が一気に上がる。力が入る。

「どうでもいいわっ」


 竹刀の乾いた音が響く。


 目の前に狼狽ろうばいする薄羽さん。


 私が籠手を取っていた。


「なんで?」とざわつく周囲、私が一番聞きたい。

「そうだ、しっかり握れ。熱込めれば絶対折れねえ。心も、骨も!」

 後方腕組み悪党ワルニキ面のリョーマ。やっぱ意味わからん。でも、その笑顔を見てるとつられる。


は、何よりも強え力だ』


 ああ、そっか。


「私は剣道が好き」

 気持ちは自然と声に出た。

「何そのドヤ顔、まぐれの癖に」

 戦慄わななく薄羽さんの唇。今しかない。

「なんで剣道やってるかって? 楽しいからに決まってる」

「楽しいから? 本当になだけ?」


 大丈夫、私はもう絶対折れない。好きで十分。この気持ち、忘れたりしない。


、だろがいっ」

 一気に踏み込む。楽しい。髪伸ばしてる時くらい気分テンションアガる。うっすらでも昨日より伸びてく自分が好き。

 薄羽さんが何か言った。「龍」とか「子」とか。……あれ、身体止まんない。呪われたみたいで、恐い。


「世話焼けるとこもそっくりだな」


 心に直接語りかけるような声、ハッと我に返る。竹刀の間に割り込む黄色い傘。剣先が薄羽さんの喉元で沈黙してる。あわや大惨事。


「ご、ごめん薄羽さん!」

「とんだじゃじゃ馬ね」

 薄羽さんは剣先わたしはらい、背を向けた。

「もういいわ。これ以上は無意味」

 周囲のクスクス笑い、幻聴ザマアwがやまない。中学では禁止、退部が頭をよぎる。


 終わったわ……。


「あなたのツルギは熱いのね。私じゃ勝てる気がしない」

 静まる場内。唐突にぶっ込んできた薄羽さんを二度見する私。

「……必死にやってきた私がバカみたい」

 そう独りつ薄羽さん。めんを脱ごうとしない。

ってのはよ、って書くんだ」

 リョーマが震える竹刀に向かって言う。

命懸いのちがけの時間、腹決めた自分……バカにすんな。誰にでも出来ることじゃねえ」

 弾かれたように振り返る薄羽さんを、その眼は捉え続ける。


「勝ちにこだわるのは大事だ、高え理想を見上げんのもな。ただそればっかが刀を握る理由じゃねえことも知れ。強さの引き出しは人それぞれ、ってな」

「そんな奴……」

 薄羽さんの視線を感じて背筋が伸びる。

悪友あいつが言ってたことだ。お前に返す」

「……そう。そんな気してた」

 あいつ? 首をかしげる私とは逆に、薄羽さんは納得した様子で面を脱ぐ。

「ま、刀みてえに斬ること一辺倒になるなってこった。世には色んな武器ヤツがある」

「そうね」

 うるむ瞳で破顔する薄羽さん。守りたいこの笑顔。


 その時だった。


「ざけんな、まぐれで終わらせんな」

 六本の竹刀が私に向かってくる。待って、力入んない……。

だからだ? ガキかよ、寝言は寝て言え」


 ……もうマジ無理。




《傘を持って公園で遊ぶのが好きだった。開くと大きなお花みたいで、くるくる回すと飛べる気がして。でも雨じゃない日は変だよって笑われた。皆と違うのはおかしいって仲間外れにされた。好きなだけじゃダメなんだって》


 これ走馬灯っぽくねやばい死ぬ。ただの部活で死んでたまるか……でももう動けない。


《私の傘、壊されちゃった……》


「否定されていいなんてねえ」


 私の視界に広がる小さな傘大きな花、その六枚の小間花びらを各々貫く竹刀。

を否定すんじゃねえ!」

「……リョーマ」

 私の孤独を引き裂く大喝だいかつ、私のために立ち向かう背中。


「邪魔すんなコスプレ侍」

「好きだけで世の中通用するか! あめぇわ」

安土ツルギまぐれチャンバラを付け上がらすな」

 竹刀が傘に刺さって身動き取れないモブ。それでも口撃こうげきはやめない。


「うるせえなあ……」

 リョーマの声が低く響く。その瞬間、空が泣いた。

「甘くてわりぃか。そっちのがうめえだろ」

 ……うん?

 リョーマは輩ごと傘を振り回す。軽く人知越えてるありえん馬鹿力すぎ


「覚えとけ」

 身体からオーラを放つリョーマ。虹彩こうさいは青く光り、黒かった瞳がぼんやり白く染まる。眠ってた祖父の昔話がよみがえる。


――雲を呼び 風に舞い いかづちと化す さながら龍が如く。


「まぐれが重なったら、まぐれじゃねえ」

 リョーマの真っ当な主張とともに、輩が柔道畳クッションまで吹っ飛ぶ。部活は平穏を取り戻した――って言いたい所だけど、風圧で私も飛ばされる。

 次こそ死ぬ。これもうただの部活じゃない……。


《開くと大きなお花みたいで、くるくる回すと飛べる気がして》


 お洒落カフェシーリングファンを思わせるそよ風が頬をで、目を覚ます。焦るほど近い天井。ゆっくり回転してたのは穴だらけの傘。


「私、飛んでる……?」


 リョーマの腕に守られて。





 雨上がり、ひぐらし夏の終わりセミファイナルを嘆く頃。

「ごめんなさいツルギ、髪切るのはやりすぎた」

 カタナとは名前で呼び合う仲になってた。

「好きなら、好きってもっと早く言えばよかったのよ」

「あの空気で? カタナの重さ知った後で?」

「ツルギの言葉なら、それはツルギだけの物。私は否定しないわ」

 私を見下すことのない目。

「熱いツルギに気付かされた。……ありがと」

 カタナはき物が落ちたように穏やかだ。


「勝負はおあずけ。髪が伸びるまで待ってあげる」

「そんなで大丈夫そ? また勝ち逃げされたい?」

「あなた本当、四才の頃からムカつくわね」

 嫌味を言うカタナに浮かぶ、古参面の笑み。彼女は今まで以上に強くなる。私も土壇場ギフテッド謎のフィジカルバフに頼らず、カタナに勝ちたい。そんな目標ができた。

「で、傘の陰にいた侍アンサング・ヒーローは?」

「リョーマなら井戸で洗濯するって、先に」




 私は走る、全速力で。あの古井戸に向かって。

『彼を見て、うちに伝わる古い話を思い出したの』

 走りながら、カタナの言葉を思い返す。


『“忘八ぼうはちつら”――戦乱の世に生まれた八つの呪い。一度被れば最後、刀を握るたび心をむしばむ。やがてと化す、“侍殺し”のめん


 私の竹刀を拾った彼は、様子がおかしかった。やっぱあの鬼面ホログラムが……。


『彼が呪いを受けたのは四才。真剣やいばを握れぬまま、侍の道を断たれた。武を何より好んでいたのに……』


 彼は、と言った。「この時代にお前を縛るものはねえ」って。ねえ、どんな気持ちで背中押してくれた? 自分の好きもゆるされないのに……私に「信じろ」なんて、なんで笑って言えたの?


『武家の生まれながら刀を持てず、国中に臆病者うつけあざけられ、遂には肉親にまで命を狙われた。その孤独と苦しみ……計り知れない。きっと、幸せじゃなかった』


 やけに私を心配してたのは、彼もそうだったから。味方になろうとしてくれて。


 全てがパズルのピースみたいにハマってく。


 私、言っちゃったよ。食うか飲むかしか考えてない奴って。謝んなきゃ。


『彼の名は、安土あづち――』


「リョーマ!」

 息を切らしながら叫ぶ。古井戸はただ光を放つだけで、何も返ってこない。


『ツルギ、タイムスリップってあると思う?』

 カタナの想像通り、リョーマはきっと意図せずここに来た。だからもう……。


 後悔が、喉を締めつける。遅かった……。







 膝から崩れ落ちる私を受け止める手。この温かさに覚えがある。

 ボサボサ頭から伸びる茶筅髷ちゃせんまげ。逆光の中、暢気のんきに笑う彼。

「泣き虫なとこは似てねえな」

 何度も彼の名を呼んだ。もう呼べないかもしれないから。


「私思い出したの、じーちゃんの話」

 止まらない涙が何よりも別れを悟らせる。

安土龍真あづちりょうま。“傘下さんか剣豪けんごう”と呼ばれた男……私のご先祖」

 二ッと悪戯いたずらっぽく笑うリョーマ。

「遅刻理由もあながち嘘じゃなかった! 祖先よみがえったし」

「何言ってんだ、お前」


 ごめんねとありがとう、夢が叶って傘で飛んだの嬉しかった。色々伝えたい時に限ってしょーもない話ばかり。


「穴だらけにしちまった、ごめん」

 壊れた傘をうやうやしく差し出すリョーマ。

「もう使えねえか?」

「そも使わないわ!」

 こんな話してる場合じゃない。引き留めたい。

「マジ帰る気?」

 リョーマにとって元の世界は過酷ヤバい、だから。

「俺のがある、向こうにな」

「なんで?」

 怖くない? 不安じゃないの?

「お前が笑ってる。それが答えだ」


「いかないで」が言えなかった。泣き面くしゃくしゃにして笑ってた。


 リョーマが釣瓶つるべに足をかける。

「お前の味、忘れねえ!」

「最後まで飯の話かよっ」

 それでも、嬉しかった。

「じゃあ、またな」

 リョーマの身体がゆっくり沈む。井戸に遮られる視線。駆け寄ろうとした瞬間、親指を立てたサムズアップした拳が突き上げられる。I'll beまた戻っ backてくるぜとか言いそう。思わず吹き出した。


 光は消えた。


 この世界はリョーマにとって息抜きになったかな。


『きっと、幸せじゃなかった』

 そんなことないよ。だって、リョーマは――日本一規格外のぶっ飛んだ侍だから。




 目まぐるしいこの時代だからこそ、『好き』を忘れたくない。

 好きは人を想う優しさをくれる。好きは、前に進む勇気をくれる。

 もし見失いそうになったら、見上げよう。

 神棚に飾った二本目きいろの傘を。

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傘下の剣豪 ~刀を捨てたら最強でした~ 雪染衛門 @yukizomemon

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