傘下の剣豪 ~刀を捨てたら最強でした~
雪染衛門
第1話 どこにでもいるフツーの女子中学生
真夏の夜、とある家の庭外れ。
朝が来る。
「おかしいな?」
餌やりを終え、家に戻ろうとする私を止める
私の家は、かつてこの地を治めた
「また
スマホを取り出す。パスは“
ラジオ体操もはじまらない時間。夏休みの朝練は遅めだし余裕ある。私は溜息をつくと引き返す。
段差を越えた瞬間、跳びはねる影が目に飛び込む。
「やばっ、野犬!?」
咄嗟に
「やめろっ」
何羽やられた? 視界がじんわり
「……え、
思わず声が出る。おかしい。箒がビクともしない。これ、野犬じゃない。背を向けたまま、片手で
振り返る不審者。ハムスターみたいに頬を膨らませ、意地でも
鶏の
ボサボサ頭から伸びる
青年は口の物をすっかり飲み込むと、私に話しかけてきた。
「誰だ、お前」
「いやこっちの台詞だわ」
「で?」
侍
「どっからきたの?」
奴は私の親切をミリも疑わず、
「おい、聞け?」
首根っこを掴む。朝食まで用意したんだ。こっちに主導権がある。ヒモ男調教の才能あるかも。
「いほはらはっ」
「え、なんて?」
奴は最後のひとつを飲み込む。
「井戸からだ」
待って、井戸とか成仏キャンセル界隈の方……?
胸元を見る。
「食った食った、死ぬかと思った。俺リョーマ!」
圧倒的感謝、雑な自己紹介。
「カゲローの奴、俺の
「カゲロー? ふりもみこがし?」
ふんころがしの話? 食べんの?
「菓子のことだ。城下には出回ってねえのか」
ダメ。日本語なのに何も伝わってこない。検索したら出る?
「カゲローってのは殺し屋で、ここらじゃ“
「……殺し屋、悪友?」
「それなりに名の通った奴なんだけどなー。ま、いっか」
ぜんぜん良くない。殺し屋がそれなりに有名であっちゃ困る。やっぱ警察呼ぶのが正解だわ……。検索しかけた指で、画面を長押しする。
「んで探してたら、うっかり井戸に落ちて、戻ったら俺の
いつ本性を現す? 気が気じゃない。……てか井戸ってうっかり落ちるもの?
緊張しすぎて逆に冷静さを取り戻す。
「待って」
スマホを閉じる。
「
いつから私は冷静だと錯覚してた?
「いや井戸からきたぞ俺は」
「それより傘ねえか?」
リョーマの表情が露骨に曇る。
「傘? 晴れてるのに?」
「俺の傘、井戸に立てかけといたのに、どっかいっちまってさー」
私は、ふと気づく。
こいつ、
ここは曲がりなりにも
「俺のが見つかるまで貸してくれねえか、傘」
刀貸せとか言わないだけマシか。警察沙汰は困るし。
「あ、あれでいい。ボロっちいけど!」
リョーマが勝手に神棚へ手を伸ばす。劇的にエモい唐傘が供えられてるからだ。
「それダメ触っちゃ!」
「ダメか」
可哀想なくらい素直に
「持ち主だった殿様は、手に負えない
「とんでもねえ殿様だな」
「刀にまで嫌われた殿様に、手を貸したのがあの傘らしいけど、嵐を呼び地を鳴らす化け物だったって。ヤバいっぽい」
「おっかねえ傘だな」
「その殿様の二つ名は、“傘下の”……なんだっけ」
生前の祖父が、キレッキレに語ってた先祖の昔話。
私ですらこうだし、リョーマが飽きるのも当然。
「変な着物だな」
「
言いかけ、ヒッと声が出る。
「遅刻界隈ってこんな時なんて言い訳する? うちのじーちゃん生き返ったんで、遅れました?」
「何言ってんだ、お前」
「
いやいや言い訳考えてる場合じゃない。
「あ、おい傘!」
「それ所じゃない! 私殺される!」
玄関の傘立てを
「なんで付いてきた?」
水たっぷりなバケツを両手に、柔剣道場の廊下に立たされる私とリョーマ。
「お前が殺されるって言うからよ」
優しさの方向性がおかしい。
「んでコレなんだ? なんで持たされてんだ?」
バケツ知らない
「遅刻したから! 持って反省すんの」
「反省か!」
「うん」
「飲んでいいか、この水」
「うん……いやダメに決まってるし。反省しろっ」
「俺、反省しなくちゃなんねー心当たりがねえ」
それはそう。
「なあ、傘貸してくれ。落ち着かねえんだ」
「うっさいわ」
結局、部活をはじめられたのはギリお昼前。
ここだけの話。私は部活をなんとなくやってる。剣道選んだのは四才の時、少し通った経験があるってだけ。もはや骨折して秒でやめた記憶しかない。だから高い志も大きな夢も、小目標すらない。私もあの子みたいに……。
ちょうど視線を投げた先。「勝負あり」と下りる旗、続く
「幼少から優勝総なめにしてきただけある」
「
すごいな、かっこいいな。私も
「……わ、っつ!」
「ぼーっとしないで安土」
私の
「胴あり」と旗が風を切る。
「あの一年ヤバない?」
……どの一年?
そっと片目を開くと、私の竹刀が相手の胴を取っていた。私かっ。
「運任せだろ」
「と思うじゃん。でも安土が一本取られる所、見たことない」
「無課金で薄羽と同列とか草。フィジカルで解決すんなし」
怖いか? 私の
高速で
「全員まとめてかかってこいっ」
何してんの
私は速やかに奴の首根っこを掴む。仔猫みたいに
「お前を殺そうとしてんの、こいつか」
ただの部活に殺しがあっては困る。
目の前に
「なんだカゲローか。俺の
こいつの頭は食うか飲むかしかないんか。
面を脱ぐ部員。
「あれ、女だ」
「うちの一般通過侍がごめんね。すぐ放り出すね」
ぺこぺこする私の前で、黒髪がはらりと揺れる。リョーマの頬に一筋の血。
「あなたも消えて、安土ツルギ」
薄羽カタナはそう言った。……消えてっていきなりえぐ。
「ん、アヅチ?」
「てかリョーマ、血!」
「俺より、お前だ」
ぽろりと落ちる何か。……うっ頭が。
急な解放感と、床いっぱい広がる長い髪。
「……嘘」
唯一続けたこと。
床を舐める勢いの私に向けられる剣先。
「竹刀で物が斬れるようになるまで、私がどれだけ努力したか。想像できる?」
ちょっと何言ってるかわかんない。リョーマが
「あなた、なんで剣道やってるの?」
と聞かれても。中学は部活必須だし、あとえっと。
「遅刻するわ男とイチャつくわ、極めつけにあんなふざけた太刀筋で。私と同じですって?」
とんだことだよ。
「昔ね、一度だけ負けたことがあるの。相手は龍を
突然の自分語りどした?
「未だに夢で
その指先が、全て捨ててきたと物語る。
「私の
結い髪を
……わかったかも。私が剣道する理由を
「剣道をチャンバラと一緒にしないで。
返す言葉がない。その場にいられなくなった。
「お、こんなとこにいたか!」
校舎裏なら誰も来ないと思ったのに。膝を抱える手に力が入る。
「食い物の匂いに釣られたら、お前がいた」
……私を探してたんじゃないんかい。
食欲ないし、ちょうどいい。
「お?」
リョーマが欲しがってた物。慌てて玄関で適当に掴んだから……。
「
小学生の傘でこんなに喜ぶ男、見たことない。
「それ持ってさっさと帰って」
「帰れってもな、俺の
「あーうざ。その
リョーマを睨みつけた途端、喉の奥が詰まる。
「泣いてんのか、お前」
「ほっといて!」
あっち行けと竹刀を振り回す。本当は見つけてくれて嬉しかったのに。見つけてほしくて、リョーマなら見つけてくれる気がして、だから傘を……。
気持ちとは逆に荒ぶる竹刀。でもすぐにビクともしなくなる。今朝の鶏小屋を思い出す。小ぶりな傘を横に、全身で
やっぱ
「来いよ、相手してやる」
不敵な笑み、見透かされそう。
「髪切られたのしんどい。
竹刀のリズムに合わせて弾ける泣き言。でも……。
「私はもっとうざい」
言い返せる程の目標も実力も、言い訳すらない自分が一番腹立つ。
「私、間違ってる」
薄羽さんの言葉が沼る。彼女は正しい。私今まで何してきたんだろ。比べるほど、自分だけがダメに見えて、息が詰まる。
「間違ってない」
無責任にしか聞こえない。イラっとする。
「食うか飲むかしか考えてない奴に何がわかんの?」
「お前はわかってんのか?」
私の攻撃は簡単に
「わかんない!」
感情が暴走して、踏み込みより速く打突する。
「わかんない、わかんないことが、わかんない!」
「それはな、正解を探そうとするからだ」
心当たりある。私は不安だとすぐ
「わかるわけねえ。そこらに落ちてねえんだからよ」
リョーマがたまに見せる眼差し。私より少し年上なのかもしれない。
「お前の答えは、お前しか引き出せねえ」
私の答えって? わかんないよ。
「……剣道やめる。やめなきゃダメだから」
「それ、お前の答えじゃねえだろ」
ぐっと竹刀に力を込め、地面に叩きつける。
「だって私、皆みたいに剣道する理由ないし!」
言ってて虚しくなる。私ってマジ中身ない……。
「何言ってんだ。理由はあるだろ」
「え?」
竹刀を拾うリョーマに
「言いたいことを言え。この時代にお前を縛るものはねえだろ」
リョーマは何に縛られてる?
「ダメなことなんてねえ、まだ捨てんな」
竹刀を私の手に押し戻すリョーマ。鬼面はふっと消えた。
「俺はまだ本音聞いてねえ。お前をやめるな」
私が私であること……。
膝から崩れ落ちる私を受け止める手。寝落ちするたびおぶってくれた祖父を思い出す。
「……剣道やめたくない」
これっぽっちしかない。でもこれが私の本音、意地や見栄を手放した丸裸の心。
さんざん泣いた後のチルい時間。
「
泣き疲れた私は、減ってく弁当を眺めながらふと呟く。
「いいじゃねえかそれで」
弁当に前のめりなリョーマ。
「いいのかな、それだけで。そんな軽い理由で」
「軽い?」
「だって他の皆は」
「
「皆は、皆のことで」
どっかの
「大して顔も浮かばねえ奴らなんか考えんな。一国の
軽く一蹴してくリョーマ。食べるのに夢中でちゃんと聞いてないのでは。その真相を探るべく私はアマゾンの奥地へ向かう勢いで、思いつく不安を投げる。
「でも! 薄羽さんに比べたら」
「どうでもいいじゃねえか、他の奴なんて」
「人を突き動かすほどの
不意打ちに息を呑む。
「信じろよ、お前の好きを」
心が震えた。
「私は……剣道が」
突然えぐい音で鳴く私のお腹。また泣きそう。
「ほら」
ふわりと香る卵焼きの匂い。
「うめえから取っといた!」
「……味知ってるし」
待って、
「しっかり食え、元気でねえぞ」
こっちの気も知らず、切ないほど保護者面のリョーマ。私の情緒返せ。ヤケクソでパクつく。
いつもと同じなのに、いつもより甘くて優しい味がした。
「楽しくやれよ」
「
その身に巣食う
「やっぱ異世界から」
言いかけて、私はやめた。
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