傘下の剣豪 ~刀を捨てたら最強でした~

雪染衛門

第1話 どこにでもいるフツーの女子中学生

 真夏の夜、とある家の庭外れ。苔生こけむした古井戸が、月明かりをかき消すほどの光を放った。家の中まで照らしたが、一瞬の出来事で誰も気づかない。


 朝が来る。


「おかしいな?」

 餌やりを終え、家に戻ろうとする私を止めるにわとり達の騒ぎ。振り返っても、無駄に小高い段差のせいで、鶏小屋の様子はわからない。

 私の家は、かつてこの地を治めた安土あづち家の城趾じょうし近くにある。堀や石垣は残ってるけど、歴史的価値は微妙。

「またのぼんなきゃかー」


 スマホを取り出す。パスは“269つるぎ”。私の名前・安土ツルギ。


 ラジオ体操もはじまらない時間。夏休みの朝練は遅めだし余裕ある。私は溜息をつくと引き返す。趣深ウザい段差を上るたび、揺れるポニテ。その重量感だけが気分テンションアゲてくれる。


 段差を越えた瞬間、跳びはねる影が目に飛び込む。

「やばっ、野犬!?」

 咄嗟にほうきを掴んだけど、すぐに手汗びっしょり。

 雄鶏おんどりがふた回りも大きな背に飛びかかる。でも野犬は無視でむさぼり続けてる。

「やめろっ」

 何羽やられた?  視界がじんわりにじむ。もう遅い、それでも……。


 ありったけの力でいっけなーい☆、箒を叩きつける殺意殺意!!


「……え、手練てだれ?」

 思わず声が出る。おかしい。箒がビクともしない。これ、野犬じゃない。背を向けたまま、片手でわたしを捉えてる……。

 振り返る不審者。ハムスターみたいに頬を膨らませ、意地でも咀嚼そしゃくをやめない。

鶏の飼料エサをドカ食いするアホで確定。


 ボサボサ頭から伸びる茶筅髷ちゃせんまげ。某将軍サンバでしか見たことない着流し姿(さすがに全方位キラキラしてないけど)。早朝に浴びていい情報量じゃない。人畜無害そうな顔してるけど……警察に突き出すべき?

 青年は口の物をすっかり飲み込むと、私に話しかけてきた。

「誰だ、お前」

「いやこっちの台詞だわ」




「で?」

 侍仕草しぐさの処遇に悩み、一周回って客間に通した。妙に他人じゃない気がして、おにぎりまで食べさせてる。ダメ男養成の才能あるかも。

「どっからきたの?」

 奴は私の親切をミリも疑わず、鶏の餌さっきと同じ勢いで詰め込んでる。返事がない。

「おい、聞け?」

 首根っこを掴む。朝食まで用意したんだ。こっちに主導権がある。ヒモ男調教の才能あるかも。

「いほはらはっ」

「え、なんて?」

 奴は最後のひとつを飲み込む。

「井戸からだ」

 待って、井戸とか成仏キャンセル界隈の方……?

 胸元を見る。死装束ゆうれいじゃない。深まる謎。何をされてる方なの?


「食った食った、死ぬかと思った。俺リョーマ!」

 圧倒的感謝、雑な自己紹介。

「カゲローの奴、俺の隠しやがってよ」

「カゲロー? ふりもみこがし?」

 ふんころがしの話? 食べんの?

「菓子のことだ。城下には出回ってねえのか」

 ダメ。日本語なのに何も伝わってこない。検索したら出る?

「カゲローってのは殺し屋で、ここらじゃ“蟻地獄ありじごく”って呼ばれてる。俺の悪友だ」

「……殺し屋、悪友?」


 私の脳は語彙やばいやばい、力を失ってるこいつやばい


「それなりに名の通った奴なんだけどなー。ま、いっか」

 ぜんぜん良くない。殺し屋がそれなりに有名であっちゃ困る。やっぱ警察呼ぶのが正解だわ……。検索しかけた指で、画面を長押しする。

「んで探してたら、うっかり井戸に落ちて、戻ったら俺のしろなかった」

 いつ本性を現す? 気が気じゃない。……てか井戸ってうっかり落ちるもの?

 緊張しすぎて逆に冷静さを取り戻す。

「待って」

 スマホを閉じる。

異世界転移タイムスリップしてきたとか言わないよね?」


 いつから私は冷静だと錯覚してた?


「いや井戸からきたぞ俺は」

 意識高いアホみたいな質問も真顔で答えるリョーマ。異世界転移とか意味わかってないだろ。

「それより傘ねえか?」

 リョーマの表情が露骨に曇る。

「傘? 晴れてるのに?」

「俺の傘、井戸に立てかけといたのに、どっかいっちまってさー」

 私は、ふと気づく。


 こいつ、RPなりきり強めのレイヤーなのでは?


 ここは曲がりなりにも城趾じょうし。稀に撮影スポットとして、特異点みたいなコスプレした人が集結アッセンブルする。今は夏休みだし。……謎、解けちゃったな。


「俺のが見つかるまで貸してくれねえか、傘」

 刀貸せとか言わないだけマシか。警察沙汰は困るし。

「あ、あれでいい。ボロっちいけど!」

 リョーマが勝手に神棚へ手を伸ばす。劇的にエモい唐傘が供えられてるからだ。

「それダメ触っちゃ!」

「ダメか」

 可哀想なくらい素直にしぼむリョーマ。教えてあげた方が良さそう。


「持ち主だった殿様は、手に負えない大虚おおうつけとかでさ」

「とんでもねえ殿様だな」

「刀にまで嫌われた殿様に、手を貸したのがあの傘らしいけど、嵐を呼び地を鳴らす化け物だったって。ヤバいっぽい」

「おっかねえ傘だな」

「その殿様の二つ名は、“傘下の”……なんだっけ」

 生前の祖父が、キレッキレに語ってた先祖の昔話。大作ながすぎてめっちゃ寝た記憶しかない。歴史に名もないし、じーちゃん盛ってたわ、たぶん。


 私ですらこうだし、リョーマが飽きるのも当然。

「変な着物だな」

RPそれまだ続けんの? これは中学うちの制服で」

 言いかけ、ヒッと声が出る。

「遅刻界隈ってこんな時なんて言い訳する? うちのじーちゃん生き返ったんで、遅れました?」

「何言ってんだ、お前」

RPなりきり侍に言われたくないわっ」

 いやいや言い訳考えてる場合じゃない。

「あ、おい傘!」

「それ所じゃない! 私殺される!」

 玄関の傘立てを一瞥いちべつしつつ、飛び出した。




「なんで付いてきた?」

 水たっぷりなバケツを両手に、柔剣道場の廊下に立たされる私とリョーマ。

「お前が殺されるって言うからよ」

 優しさの方向性がおかしい。

「んでコレなんだ? なんで持たされてんだ?」

 バケツ知らない? この状況でもブレないのはなかなかえぐい。

「遅刻したから! 持って反省すんの」

「反省か!」

「うん」

「飲んでいいか、この水」

「うん……いやダメに決まってるし。反省しろっ」

「俺、反省しなくちゃなんねー心当たりがねえ」


 それはそう。


「なあ、傘貸してくれ。落ち着かねえんだ」

「うっさいわ」

 結局、部活をはじめられたのはギリお昼前。




 ここだけの話。私は部活をなんとなくやってる。剣道選んだのは四才の時、少し通った経験があるってだけ。もはや骨折して秒でやめた記憶しかない。だから高い志も大きな夢も、小目標すらない。私もあの子みたいに……。


 ちょうど視線を投げた先。「勝負あり」と下りる旗、続くお約束の賞賛テンプレみたいなガヤ

「幼少から優勝総なめにしてきただけある」

薄羽うすばがいれば、全国制覇も夢じゃない」

 すごいな、かっこいいな。私も薄羽さんあの子みたいにずっと続けてたら、あんな風になれたのかな。胸がざわつく。


「……わ、っつ!」

「ぼーっとしないで安土」

 私のめんを掠る竹刀あいて、避けた反動で派手にコケる。試合場内コートラインに二人きり、何も起こらないはずもなく。ぎゅっと目をつぶる。もう無理、なんで入っちゃったかな剣道部。この戦いが終わったら私……。

「胴あり」と旗が風を切る。地稽古じげいこを見守る部員がどよめく。

「あの一年ヤバない?」


 ……どの一年?


 そっと片目を開くと、私の竹刀が相手の胴を取っていた。私かっ。

「運任せだろ」

「と思うじゃん。でも安土が一本取られる所、見たことない」

「無課金で薄羽と同列とか草。フィジカルで解決すんなし」

 怖いか? 私の土壇場どたんばで発揮される才能が。まーもうちょい続けようかなー。

 高速でてのひらを返す私。そんな耳を貫く威勢のいいとんでもない声。


「全員まとめてかかってこいっ」

 何してんのリョーマあいつ。素手でクイクイと煽ったかと思えば、ちぎっては投げの乱痴気らんちき騒ぎ。しれっと混ざってるけど余所者よそもの……なんで皆普通に受け入れてんの?

 私は速やかに奴の首根っこを掴む。仔猫みたいに虚無きょむ顔になるの好き。と、されるがままだった仔猫が、急に虎の威で私を押しとどめる。

「お前を殺そうとしてんの、こいつか」


 ただの部活に殺しがあっては困る。


 目の前にはだかる特殊クセつよ脇構わきがまえ。リョーマの目が細められる。

「なんだカゲローか。俺の菓子ふりもみこがしどこやった!」

 こいつの頭は食うか飲むかしかないんか。

 面を脱ぐ部員。

「あれ、女だ」

「うちの一般通過侍がごめんね。すぐ放り出すね」

 ぺこぺこする私の前で、黒髪がはらりと揺れる。リョーマの頬に一筋の血。

「あなたも消えて、安土ツルギ」

 薄羽カタナはそう言った。……消えてっていきなりえぐ。


「ん、アヅチ?」

 私の名フルネームに首をひねるリョーマ。あ、名乗るの忘れてたわ。

「てかリョーマ、血!」

「俺より、お前だ」

 ぽろりと落ちる何か。……うっ頭が。

 急な解放感と、床いっぱい広がる長い髪。


「……嘘」


 唯一続けたこと。本気ガチで伸ばしたのに。ポニテの重量感からしか得られない栄養があったのに……。


 床を舐める勢いの私に向けられる剣先。白練しろねりの胴着が眩しい薄羽さんの竹刀。

「竹刀で物が斬れるようになるまで、私がどれだけ努力したか。想像できる?」

 ちょっと何言ってるかわかんない。リョーマがかばってくれなかったら私、マジ殺されたのでは?

「あなた、なんで剣道やってるの?」

 と聞かれても。中学は部活必須だし、あとえっと。

「遅刻するわ男とイチャつくわ、極めつけにあんなふざけた太刀筋で。私と同じですって?」

 とんだことだよ。


「昔ね、一度だけ負けたことがあるの。相手は龍をまとう子だった」

 突然の自分語りどした?

「未だに夢でうなされる。だから私は、誰にも……の子にも負けない」

 その指先が、全て捨ててきたと物語る。

「私のカタナは重いの。まぐれのあなたとは違う」

 結い髪をほどく薄羽さん。私よりずっと長かった。

 ……わかったかも。私が剣道する理由を訳。

「剣道をチャンバラと一緒にしないで。剣道部うち木偶でくぼうはいらない。楽しい思い出作りなら他の部よそでやって」

 返す言葉がない。その場にいられなくなった。




「お、こんなとこにいたか!」

 校舎裏なら誰も来ないと思ったのに。膝を抱える手に力が入る。

「食い物の匂いに釣られたら、お前がいた」

 ……私を探してたんじゃないんかい。

 食欲ないし、ちょうどいい。うずくまったまま弁当を突き出す。それともうひとつ。

「お?」

 リョーマが欲しがってた物。慌てて玄関で適当に掴んだから……。

山吹色きいろだ、すげえ! かっけえ! ありがとう!」

 小学生の傘でこんなに喜ぶ男、見たことない。

「それ持ってさっさと帰って」

「帰れってもな、俺のしろが見えねえ」

「あーうざ。そのめんど」

 リョーマを睨みつけた途端、喉の奥が詰まる。


「泣いてんのか、お前」

「ほっといて!」

 あっち行けと竹刀を振り回す。本当は見つけてくれて嬉しかったのに。見つけてほしくて、リョーマなら見つけてくれる気がして、だから傘を……。

 気持ちとは逆に荒ぶる竹刀。でもすぐにビクともしなくなる。今朝の鶏小屋を思い出す。小ぶりな傘を横に、全身で竹刀わたしを受け止めるリョーマ。陰から覗く瞳。


 やっぱ只者じゃない様子がおかしい。手練れがすぎる。


「来いよ、相手してやる」

 不敵な笑み、見透かされそう。せきを切ったように竹刀に乗る私の感情(物理)。

「髪切られたのしんどい。薄羽カタナ剣道マウントうざい。泣く」

 竹刀のリズムに合わせて弾ける泣き言。でも……。

「私はもっとうざい」

 言い返せる程の目標も実力も、言い訳すらない自分が一番腹立つ。

「私、間違ってる」

 薄羽さんの言葉が沼る。彼女は正しい。私今まで何してきたんだろ。比べるほど、自分だけがダメに見えて、息が詰まる。


「間違ってない」

 無責任にしか聞こえない。イラっとする。

「食うか飲むかしか考えてない奴に何がわかんの?」

「お前はわかってんのか?」

 私の攻撃は簡単にいなパリィされた。竹刀と小学生の傘が互角に渡り合ってる。それだけリョーマには私の心が見えてる。比べて私は自分の気持ちすら……。

「わかんない!」

 感情が暴走して、踏み込みより速く打突する。

「わかんない、わかんないことが、わかんない!」

 理解不能わからないがゲシュタルト崩壊しそう。乱れる呼吸に打ち込みも不規則になる。こんなの剣道じゃない、楽しくない。

「それはな、正解を探そうとするからだ」


 心当たりある。私は不安だとすぐ他人スマホ見がちだし。ネットミームは言葉をかざるのは、自その副産物信のなさの表れ


「わかるわけねえ。そこらに落ちてねえんだからよ」

 リョーマがたまに見せる眼差し。私より少し年上なのかもしれない。

「お前の答えは、お前しか引き出せねえ」


 私の答えって? わかんないよ。


「……剣道やめる。やめなきゃダメだから」

「それ、お前の答えじゃねえだろ」

 ぐっと竹刀に力を込め、地面に叩きつける。 

「だって私、皆みたいに剣道する理由ないし!」

 言ってて虚しくなる。私ってマジ中身ない……。


「何言ってんだ。理由はあるだろ」

「え?」

 竹刀を拾うリョーマに鬼面ホログラムが浮かぶ。ひびの入った“仁”の文字が不吉だった。

「言いたいことを言え。この時代にお前を縛るものはねえだろ」


 リョーマは何に縛られてる?


「ダメなことなんてねえ、まだ捨てんな」

 竹刀を私の手に押し戻すリョーマ。鬼面はふっと消えた。

「俺はまだ本音聞いてねえ。お前をやめるな」


 私が私であること……。


 膝から崩れ落ちる私を受け止める手。寝落ちするたびおぶってくれた祖父を思い出す。

「……剣道やめたくない」

 これっぽっちしかない。でもこれが私の本音、意地や見栄を手放した丸裸の心。温かい手リョーマはただ黙って胸を貸してくれた。着流しがべしょべしょになっても。




 さんざん泣いた後のチルい時間。

真剣ガチな空気読まずに、だけで剣道するのは違うかなって」

 泣き疲れた私は、減ってく弁当を眺めながらふと呟く。

「いいじゃねえかそれで」

 弁当に前のめりなリョーマ。

「いいのかな、それだけで。そんな軽い理由で」

「軽い?」

「だって他の皆は」

って誰だ?」

「皆は、皆のことで」

 どっかのみたいな中身のなさに、米が空を舞う。

「大して顔も浮かばねえ奴らなんか考えんな。一国のあるじじゃあるまいし」

 軽く一蹴してくリョーマ。食べるのに夢中でちゃんと聞いてないのでは。その真相を探るべく私はアマゾンの奥地へ向かう勢いで、思いつく不安を投げる。

「でも! 薄羽さんに比べたら」

「どうでもいいじゃねえか、他の奴なんて」


 私もどうだってそんなにうまいかいいってことか、その弁当はよ


「人を突き動かすほどのが、軽いわけねえ」


 不意打ちに息を呑む。

「信じろよ、お前の好きを」

 心が震えた。

「私は……剣道が」


 突然えぐい音で鳴く私のお腹。また泣きそう。


「ほら」

 ふわりと香る卵焼きの匂い。

「うめえから取っといた!」

「……味知ってるし」


 待って、しろってコト!? 心臓爆発するが?


「しっかり食え、元気でねえぞ」

 こっちの気も知らず、切ないほど保護者面のリョーマ。私の情緒返せ。ヤケクソでパクつく。


 いつもと同じなのに、いつもより甘くて優しい味がした。


「楽しくやれよ」

 数多あまたの戦場を越えた先の景色を知る笑顔。

は、何よりも強え力だ。忘れんな」

 その身に巣食う鬼面のろい

「やっぱ異世界から」

 言いかけて、私はやめた。

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