Ⅷ.蝶になる


 自主練の後は逸見くんと一緒に帰ってますよ。もちろん彼にもあの日のことは秘密です。お洒落なお家に呼んでもらってお茶をしたとしか話してません。ギリギリ嘘じゃないラインを攻めました。翌日から急に親しくなっていたら根掘り葉掘り聞かれてたかもしれません。そこまで考えて距離を置いていたとしたら、諏訪さんは策士なだけじゃなくて配慮の行き届いた人だなって思います。私は少し寂しいですけどね。


 他に変わったことと言えば、彼女の周囲に舞っていた蝶々があれきり姿を見せないことでしょうか。……ああ、背中に生えた羽もそうですね。1週間くらい見ていたら当たり前の風景になっちゃって。でも、諏訪さんの周りから蝶々が消えた日と違って寂しいとは思わなくて――というか、思わなくなりました。いないことに慣れたわけじゃありません。あの蝶々たちは私の周りにいてくれるようになったから、寂しくないんです。


 蝶々たちが現れるようになったのはいつからでしたかね。よく覚えてません。最初は諏訪さんと私を間違えているのかと思って誘導したりもしてたんですけど違うみたいで。彼女の周りにいた蝶々たちと同じで彼女と私以外の人には見えてないみたいです。彼女の背中の羽も私達以外には見えないみたい。見えていたら大騒ぎだからいいんですけどね。


 あ、そうそう。何度か試してみたけど、私達でも蝶々と彼女の背中の羽に触れることは出来ないみたいです。残念ですけど、もし羽に触れてしまっていたら彼女は普通に生活出来なくなっていただろうから、見えてるけど触れられないこの状態がベストなんですね。きっと。


 背中――。背中と言えば、最近どうも背骨の両脇がムズムズして掻いちゃうんですよね。汗を掻いてすぐ拭かないから慢性的に乾燥してるのかもしれません。自分の手でも届くには届くんですけど不恰好なので、100均で孫の手を買ってきました。これでいつ痒くなっても安心です。


「鳴沢さん」


「諏訪さん!? 話すの久しぶりだね」


 背中の痒みとも上手く付き合えるようになってきた頃、あの日以来話していなかった彼女に話し掛けられました。あの時と同じように帰りのHRが終わって教室の雰囲気が緩くなったタイミングで。逸見くんのことは好きですけど、彼と話すのは全然緊張しないのに、彼女と話すときはどうして上がってしまうんでしょう。やっぱり場数がものを言っているんでしょうか。


「今日、部活と自主練休んで早く帰ろう」


「遊びのお誘い?」


「ううん。あの時と逆のことするの。今日は私が見せてもらう番ね。場所は貸してあげる。頑張って」


 虫の知らせって言うじゃないですか。何故だか私、彼女に声を掛けられるまで気付かなかったんですけど、いつも私の周りをひらひら舞っていた蝶々たちが一頭残らずいなくなっていたんです。彼女の周囲から蝶が消えてその日に私は初めて声を掛けられて――。


 あの日と同じように部活の面子と逸見くんに許可を取ってから、前回の記憶と予言めいた不気味な言葉に怯えながら、電車を乗り継いで彼女の家まで着いていきました。――視界いっぱいに広がるナミアゲハに似た模様の羽にぶつからないように気を付けながら。気を付けなくたっていいのはわかってるんですけど、気分的に。


 そこから先は――語るまでもないかもしれませんね。最初から諏訪さんが羽化した部屋に通されて、一面だけ家具が置かれていない壁の前に立たされました。彼女は少し離れたところから私を見守っているんでしょう。視線を感じて背中がムズムズしてきました。そういえば、まだ服を脱いでいませんでした。


 急いで制服を脱ぎ捨てたら喉元から何かが迫り上がってきて、おえっと吐き出しました。白い糸です。何度も何度もそれを繰り返して、ビィィィン……ビィィィン……と音をさせながら強度を確かめたら、いよいよです。次に私が目を覚ましたら、背中に彼女と同じような羽が生えているんでしょうか。あんな派手な羽、絶対私には似合わないのに。そもそも私が再び目を開けることは出来るんでしょうか。瞼が勝手に下りてきて――。

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羽化 片喰 一歌 @p-ch

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