上層の暗雲

 聖都イズペア上層、大聖堂の深層。ミーミル教の司祭しか入れない水占の儀を行う神聖な場所。外界から差し込む光はなく、照らすのは聖別された水盤と、壁面に刻まれた古い聖句のみ

 床一面に施された紋様は怪しく部屋を照らし、そこに鎮座する者を形取らせる。


「ぅぁ……体バキバキじゃん」


 砕けた独り言を呟き、司祭様は鼻先で息を吐いた。

 指先で眼鏡を押し上げ、ずれた位置を丁寧に掛け直す。


「……ほんと丸三日篭りっぱなしって、頭おかしくなるわぁ」


 漆黒のカソックを乱暴に脱ぎ捨てると、鍛え抜かれた上半身が姿を表す。人気のない回廊を進み、自室へと入る。

 月明かりに照らされた部屋に二つ——人影が写し出される。


「来るんだったら一言欲しいわぁ、心臓に悪いよ」


「やっほー、久しぶり。調子はどうだい?司祭様」


 月明かりに照らされたのは一人の少女。乱れた白い金刺繍のワンピースに目元には青紫の花。キルギスの街の異変に関わっていた鳥兜アコニットと呼ばれる「少女」である

 もう一人は奇妙なほど体を捻らせた青瓷の顔の不気味なピエロ。キルギスに結界を張り、フタバと対峙した張本人。


 場所に似つかわしくない二人に司祭は深くため息をつく。


「ここに来るのに誰にも会ってないよなぁ?」


「勿論だよ。ピエロの魔法でここに直接お邪魔してるよ」


「あぁ、そう。にしても相変わらず目立つコンビだな。そっちは論外だし」


「手厳しぃな〜、ぼく様かなしぃ」


 ひび割れた陶器を擦り合わせるような声のピエロに司祭は眉を挟ませる。

 目に見えない手捌きの後、光が走る。風を裂く音すら、遅れて聞こえた。

 短刀は一直線に宙を切り裂き、青瓷の仮面の額へと突き立つ。


「うるさいよ、お前」


「まあ、そんな怒らないでよ。喜ぶ話があるからそれを聞かせてあげようと思ってさ」


「——喜ぶ?アラクネを無駄に消費しといてよく言えたね。あの子お気に入りだったのに、哀しく救いようのない子で」


「相変わらずの人でなしで安心したよ。でもそれを倒した奴らがこの街に今来てるらしいよ」


 アコニットの言葉に司祭の表情が固まった。思い通りのその反応にアコニットの口角は静かに上がる。


「星霊族の王女、炎王の鱗片、帝国のお尋ね者……それに——あと誰だっけ?」


「あいつっ!あの変な魔法使う男!ぼく様許さない〜!」


「とにかく、君にとってすごいチャンスじゃない?レアなが手に入る」


 書棚の前で足を止め、何気ない仕草で一冊の分厚い聖典を引き抜いた。次の瞬間、石の擦れる重い音を立てながら、壁面が横へとスライドした。


 天井は低く、曲線を描くように削られた石造り。壁一面には、淡い蒼色の魔導灯が一定の間隔で浮かび、影すらも計算された配置で落ちている。左右の壁沿いには、背の高さほどの円筒形保存槽がずらりと並ぶ。

 透明な水晶ガラスの中を満たすのは、薄く光る青白い溶液。

 中には人の形をしているもの、していないもの、果てはしているものまでいる。


「いつ見ても趣味が悪いね」


「お互い様だろ。それに使う機会が欲しかったんだぁ」


 隠された実験室の最奥、そこに一つだけ、他とは形の違う保存槽が置かれていた。

 硝子ではなく、白い石と水晶で組まれた棺状の容器。表面には無数の封呪式と拘束陣が刻まれ、淡く脈打つように光っている。


 それは静かに立っていた。

 人に似た輪郭を持ちながら、どこか人形めいた不自然さを宿した、細く均整の取れた身体。

 肌は陶器のように白く、血の気も体温も感じられない。


「試験体の最終調整は終わっている。場が荒れたタイミングでこの子を解き放とう」


「でもいいの?そんなことしたらこの街めちゃくちゃになるんじゃない?」


 司祭は振り返った表情は冷酷なものだった。眼鏡の奥の瞳は静かで冷えきっていて、人情など残されていなかった。


「人から体の部位を一つ取るとしたら、何が一番影響がないと思う?」


「えー、なんだろ……腕とか?」


「ぼく様、足がないと嫌だな〜」


「うーん、たしかに一理あるね。でもね、人の体の中でいらないのは”目”だよ」


 司祭は眼鏡をコンコンと指差しながら、辺りの保存槽の列をゆっくりと歩いていく。


「人はね目で見て物事を理解していると思いがちだけど、本当は違う。頭の中で見たいものを見ているんだ。

 都合の良い解釈も、神の存在も、白と黒、光と闇、善と悪、偶然と必然。それら全て見たいもの目より頭で見ようとするもの。見たいものを見ようとする、それが人だよ」 


 透明な保存槽越しに、名も用途も失った“それら”を眺める仕草は、標本を確認する研究者というより、古い絵画を鑑賞する収集家に近かった。

 怪しく微笑むその姿は少年ようなあどけなさも残している。


「どの世代の神話にも試練がある。信仰を深めるには少しのスパイスも必要だよ」


 ——コン、コン。

 遠くで、司祭の私室の扉を叩く音がした。重く、控えめで、それでいて規則正しい。司祭は我に帰ったように実験室を後にして、カソックを丁寧に着直した。


「入っておいで」


「失礼します。すみません、水占が終わった頃かと思いまして」


「うん、さきほど終わったよ。で、どうしたんだい?」


「はい。司祭様のお耳に入れておきたい情報がありまして」


 扉の向こうから現れたのは、シスターだった。ミーミル教のシスターで聖歌騎士団の団長でもある、シスターマイサ。正義感の強く、責任感のある気高いシスターである。

 長い黒髪はきっちりと編み込まれ、視線は床に落とされたまま、微動だにしない。


「うん、聞かせておくれ」


「司祭様が水占中に怪しい二人組を拘束いたしました。その者らはカルカモナ村の襲撃に関与している疑いがあり……」


「ほおぉ……カルカモナの件ね。それは話を聞いてみないとね」


 マイサの報告を聞いて、司祭はわずかに口元を緩める。まさかアコニットの話していた人物らがこんなにも早く現れるとは思ってもいなかったのである。


「そして,もう一つ。さきほど入った伝達なのですが……帝国軍が司祭様との謁見を求めているそうです」


「帝国軍が……?」


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 聖都イズペアの上層、大聖堂の円形広間。普段は限られた市民が謁見の場として使われる場所である。

 長大な半月卓の一方に司祭が腰掛け、背後の壁には巨大なステンドグラスが嵌め込まれている。


「ようこそ、聖都イズペアへ。アスエム帝国のみなさま」


「お初にお目にかかる。ミーミル教教義審問長大司祭、ロンザリア殿。まずは突然の訪問を詫びさせて欲しい」


「構いませんよ。聖都イズペアは来訪者を拒みません」


 ロンザリアの言葉を受け、三人の帝国軍兵が前に出た。黒い師団服に身を包んだ軍団兵の中で、三人の服装は少し異なっていた。銀色の刺繍が施されていて、各々違う形状の師団服に身を包んでいる。

 何も知らない人間から見ても、この三人が他の帝国兵と一線を画しているのは明白であった。


「私は帝国軍軍令部特務空挺部隊第一師団団は長、ダモン=ウォーレンだ」


「第五師団団長、フランチネル=チルベッタ=ミケランジェロと申します」


「……第三師団団長……クロギリ」


 筋骨隆々の大男に眼鏡をかけた中年の男、そしてフードを目深に被った不思議な男。ロンザリアは静かに三人の魔力を測り、警戒をより強める。


「これはこれは師団長様が三名もいらして、一体何のご用でしょうか?」


「ああ、実は帝国がずっと追っている空賊のメンバーがこの街に潜伏している可能性がある。捜査許可、そして有事の際に戦闘になる恐れがある為、通達に参った」


「空賊……それは物騒な話ですね、特徴を教えて貰えればご協力しましょうか?」


「お気遣い結構!慎重を要する任務ゆえ、こちらで対処いたします。市民などの誘導をしてもらえると助かります!」


「それはそれは。勝手に来たと思えば、自分勝手なことばかり……帝国はやり方はどうも肌に合わない」


「この機会に帝国にとって目の上のたんこぶのミーミル教を潰してもいいのだが、優先順位というのもあるしな!黙って、協力してくれ!」


 本来、帝国とミーミル教は水と油の関係。魔工学を肯定する派と否定する派で混ざり合うことのない両者が顔を合わせることが異例中の異例。

 水面下のやり取りだけで一触即発の空気がそこに漂っていた。帝国兵と聖歌騎士団は互いに睨みをきかせ、戦いの火蓋を切ってしまえばこの場が血の海になることは目に見えていた。


「とにかく!これは”停戦要求”である!指名手配の空賊たちをここで捕まえるのが、我々の最大目標。邪魔をしなければこちらとしても文句はない!」


「分かりました。くれぐれもうちの聖歌騎士団にお気をつけください」


 ロンザリアの静かな牽制にダモンは低く笑うと、踵を返して広間を後にした。重厚な扉が閉じる音が、白亜の円形広間に長く反響する。

 ロンザリアは指先を軽く組み替え、長いため息をつく。


「司祭様、さきほどお伝えした怪しい二人組なのですが…この辺りでは見ない格好をしていました」


「——なるほど。その者らが帝国軍が探している空賊の可能性もゼロではなさそうですね」


「処罰はどういたしましょう?」


「とりあえずは帝国軍を泳がせましょう。探している空賊たちの詳細を探ることを優先しましょう。頼みましたよ、シスターマイサ」


「かしこまりました」


 シスターマイサは静かに一礼すると、聖歌騎士団を従えて広間を退出した。扉が閉じると同時に広間には水音だけが満ちる。


「あぁ……これは神がくれたご褒美なのかぁ」


 喉の奥で笑いを噛み殺しながら、ロンザリアは天を仰いだ。

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無冠の空賊と終わりの魔法 P吉 @pyo-ko

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