地下での邂逅
聖都イズペアの地下——
そこには、地上の白亜の聖堂群とはまったく異なる、もうひとつの都が息づいていた。
果ての見えぬ岩盤が天を覆い、閉ざされた空間の中心を、澄んだ水路が静かに貫いている。幾筋もの滝が岩壁の裂け目から落ち、冷たい水音が絶え間なく洞窟に反響していた。
両岸には岩を削って築かれた石造の街並みが連なり、建物はすべて外界を拒むかのように無骨で低い。崩れかけた壁の隙間からは布や木片が突き出し、露店と住居の区別も曖昧だ。
等間隔に掲げられた松明の炎だけが、この地下世界の夜を照らしており、その橙色の光が湿った石肌と水面に揺らめく影を落としていた。
水路沿いには市が立ち、巡礼者とも住民ともつかぬ人々が、抑えた声で物を売り、祈りを捧げ、日々を営んでいる。地上と光景は似ているが、人々の身なりも雰囲気も地上とは異なるものだった。
「随分と雰囲気が変わるのね」
石段を下りきったところで、ユーリ小さく息を吐いた。地上の聖都イズペアに満ちていた澄んだ空気はここにはない。湿り気を帯びた冷気と、煤と油の匂いが混じった空気が、肌にまとわりつく。
「過激な信仰者、生活困窮者、ならず者に流れ者。ここはそんな訳ありな奴らが集まる、
「だから、”案内人”はここを指定したのね」
「だな。ここなら身元不明の奴なんて山ほどいる。指名手配の俺らからしても都合がいい」
「それにしてもこの中から探すのは骨が折れるわ」
「……困ったな。ここで合流すると聞いていたが、具体的なことは教えてくれなかったからな」
そう言ってアックスは肩をすくめる。
顔を隠すようにフードを深く被った者たちが行き交い、誰も他人に深入りしようとはしない。地下の住人たちは、二人にほとんど関心を示さなかった。
かくゆうアックスらも似たようなマントで周囲に溶け込んでいる。
水路沿いの通りを進むにつれ、松明の間隔はまばらになり、闇が濃くなっていった。市の喧騒も背後に遠ざかり、代わりに水音と、足音だけがやけに大きく響く。
「……止まれ」
低く、乾いた声が闇の中から飛んできた。
松明の光が届かない岩陰に人影がある。人影の放つ覇気にアックスらは抵抗の意思はないと手を上げた。
「おい、あんたが”案内人”か?」
「——左様。
「……その名前で呼ぶんじゃねえ」
「——失礼。だがこちらも外界との関わりは警戒必須。理解して欲しい」
目深に被ったフードに体格を覆い隠す分厚いマント、背丈はそれほど大きくないものの重厚さを感じさせる。顔は影に沈み、輪郭すらはっきりしない。それでも、こちらを見据える視線だけは確かに感じられた。
「あまり時間はない。ユーリ嬢、あなたがご本人か確かめさせて欲しい」
「おい、お前たちの当主だろ。信用が無さすぎるにも程がある」
「我々は戦争によって全てを失った。人族への信用も、星霊族としての地位も……。星の子戦争でレイラ様が命を賭して終戦となり、人族との停戦協定であなたが囚われの身になって数年、私たちは生きた心地がしませんでした」
——星の子戦争。イシュタルの魔法史に置いて最大の異種間戦争。十年以上も争い合い、人族と星霊族、そして多くの種族を巻き込んでの大戦は前当主——レイラ•ストラトスフィアの絶命と次期当主のユーリを捕虜として帝国に属することで戦争の幕は閉じた。
当主を失った星霊族は息を潜めるようにして、終戦後表舞台から姿を消すこととなる。
しかし、その五年後——事態は急変する。幽閉されていたユーリ•ストラトスフィアが帝国の最新鋭の魔導飛空挺を奪取し、数名の帝国兵と共に帝都ミッドカルドから脱走してしまう。
その者は
「片手を差し出してください」
「——分かった」
ユーリは一拍だけ間を置き、ゆっくりと片手を差し出した。”案内人”も同じようにして無骨な腕を交わらせる。
その動作は慎重で、だが躊躇はなかった。触れ合った瞬間、空気が微かに震えた。それまで何もなかった腕に乱雑に交差したような紋様が浮かび上がる。
「……なにこれ?」
「星霊族の魔力は全種族の中でも稀有なもの。この現象は星霊族同士でなければ起き得ません」
“案内人”は納得したのか、腕を引っ込めると片膝をついた。地下の土埃に膝をつくその所作には、演技めいた誇張は一切ない。むしろ、必要最低限の動きでありながら、はっきりとした意味を伴っていた。
「よくぞご帰還なさいました、当主様」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
水路から外れた細い通路の奥、行き止まりの岩壁に向かって”案内人”は止まることなく進み続ける。
「……おい」
アックスが思わず声を漏らすより早く、案内人の身体は岩壁へと溶け込んだ。
衝突音はない。石に触れたはずのマントは、波紋のように揺らぎ、そのまま向こう側へと消えていく。
「幻術魔法……」
「さすが星霊族様だな。ここまで自然な術式は見たことない」
“案内人”につづいて岩壁にぶつかるようにして進むと、そこには地下とは思えぬ
石の床、低い卓、揺れる燭台。おそらく普段からここに潜伏しているのか多少の生活感もちらばっている。
「ここは結界を何重にも張っております。外から感知されるご心配もないかと」
「仲間は他にいないのか?」
「私一人でございます。当主様を目立つことなく故郷へと送り届けるのが私の使命、単独でなければ足がつきます」
相変わらず淡々と話す口調にアックスの調子を崩されてばかりである。安心できる空間に落ち着いたのか、ユーリはゆっくりと口を開く。
「みんなは元気?」
「はい。当主様がご帰還されるのをみな喜んでおります。グランハルト様も心待ちにしております。そしてアックス殿、あなたにお願いしたいことが一点あります」
「ん?何だ?」
「アックス殿を筆頭とした無空の蛇の方々にも我らが故郷——ギンヌンガ•ガップにお越しいただけると助かります」
「ああ、そのつもりだ。とにかく帝都圏から脱出したい」
アックスの意思を確認すると、”案内人”は静かに頷くと宙に地図を描き出す。描き出されたのは、聖都イズペアを中心とした広域図だった。
「ギンヌンガ•ガップに向かうのは難しくありません。ただ東に向かうのみ、いずれ
迷いの霧——始まりの地ギンヌンガ•ガップをを囲むように展開された広範囲高度結界魔法。
世界樹ユグドラシル一帯を覆う異常現象。場所の特定はおろか正常に進むことさえも叶わない星霊族以外は攻略不可能である。
「”案内人”とはそういう意味なのね」
「実は聖都イズペアの上空には魔力探知が張り巡らされています。対象は魔工学を使用した魔力反応。飛空挺で移動すればすぐに気付かれます」
「ミーミル教らしいな。じゃあ上空以外でのルートだと海上だけか」
「ご明察です」
地図が切り替わり、聖都から東へ伸びる海路が浮かび上がる。聖都イズペアの裏側は、港のように大きく開けていた。港は半円状に港を抱え込んでおり、外海からの視線を遮るように、自然の岩礁と人工の壁が入り混じっている。
「港付近はかなり監視が厳しく、ミーミル教には水上での機動力を得意とする艦隊部隊もいる為、港側に飛空挺を回すことも難しいでしょう」
「上空は魔力探知、水上は艦隊部隊……。かなり隙がないな」
「警戒が及ばない海域で飛空挺を待機させ、港から小型の船で向かいましょう。タイミングを見計らって私の魔法で船ごと幻術で隠します」
今後の作戦が固まってきた頃合いで、静かにユーリが口を挟む。地図も消え、燭台の炎だけが揺れる室内。
その声は小さいが、場の視線を一斉に集める
「その艦隊部隊の数は多いの?」
「いえ、少数で構成された戦闘要員で表向きはシスターとしてミーミル教に属しているらしいのですが、まだ情報が少なく……」
「おい、もしかしてそいつらって……」
「聖歌騎士団……彼女らはそう呼ばれております」
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