AOIBLD

望乃奏汰

🏙

「なぁ、佐原、あれ見えるか?」

屋上でぬるくなった缶コーヒーを飲んでいると隣でタバコを吸っていた五尾先輩がどこかを指しながら言った。


弊社は崖のようなきつい坂道の上に立地しており眺めだけはよいのだが、指の示す先を見たとて曇天の下に林立する雑居ビル街しか見えない。


「どれすか?」

「ほら、あの壁がくすんだ青っぽいビル」

「あー。」


確かに雑居ビル群の中にひっそり隠れるように青っぽい壁の建物が見えた。


「ただのビルに見えますけど。」

「あれ、無いんだよ。」

「主語をつけてもらわないと何がないんだかわからんす。自分読解力ないんで。」

「ビルが。」

「あるじゃないすか。」

「ここから見えるけど、あの辺に実際行くとないんだよあのビル。」

そんなバカな。

「なんか目の錯覚的なやつじゃないんすか?」

「Google Earthでも出てこない。」

「はぁ。」


取り壊されたのかもしれないじゃないか。

いや、じゃあ今見えているあれはなんだということになるのだが。逆に竣工したてなのか?


先輩が嘘を言っている可能性がある。自分は実際に現地に行ったこともなければGoogle Earthも確認していないのだ。ビルだって今日初めて存在を認識したのだから。


「なんなんだろうなあれ。」

「何って言われても。」

「まぁ、でもお前にもあのビルが見えるみたいだから安心したよ。オレにだけ見えてたらどうしようかと思ってた。」


と、後ろからぎゃん。と屋上のドアが開く音がした。

「休憩時間終わりますよ。2人ともいつまでもサボってないでさっさと戻ってください。」

事務の波部さんが呼びに来た。


「なぁ、カオルちゃんはあのビル見えるか?」

先輩は俺に訊いたようにビルの方を指して波部さんに尋ねた。

「カオルちゃんって呼ぶのやめてください。ビル?どれですか?」

「あの青い6階建てくらいの。」

「あーありました。あのビルがどうしたんですか?」

「無いらしいですよ。」

「え、どういうことですか、あるじゃないですか。」

「現地にもGoogle Earthにも無いらしいです。」

「本当ですか?」

「嘘じゃないもん!オレ見たもん!」

トトロを見たみたいに五尾先輩は言った。

ヤニ吸ってるおっさんが言ってもかわいくねぇよ。


「じゃあ今日仕事終わったら見に行きましょうよ。」

マジかよ。

そんなわけで俺と五尾先輩と波部さんはあのビルが建っている場所に行くことになった。



「お待たせしました。」

「お疲れさん。」

「おつ。」


従業員通用口で待ち合わせた俺たちは五尾先輩の案内でビルのあると思われる場所を目指した。もとより、辿り着くことが出来ないビルなので正確な位置はわからない。


「無いからな。本当に。」

強ばった表情で五尾先輩がぼそっと呟いた。

しかし本当に場所もわからない建物をどうやって目指すのか。

「ちょっとこれ見てくれ。」

五尾先輩が前に一人でビルを探しに行った際、参考にと屋上から件のビルの写真をスマホで撮影したものらしい。

「写真には写るんすね。」

「写らなかったら怖いだろ。」

ありもしないビルが写真に写る方が怖いと思うのだが。

「でも写真に写るならやっぱりあるんじゃないすかそのビル。先輩の探し方が悪いだけで。ほらあれ知りません?こち亀のお化け煙突の話。あれみたく錯覚とか角度で見えないだけなのかも。」

「オレはスピリッツしか読まん。」

そんな。


椎名林檎の有名なジャケ写よりもバキバキに画面の割れた波部さんのスマホでGoogle Mapを開きながら五尾先輩の撮った写真を頼りに周りの建物の位置を確認していく。

「この隣に見える黒いビルが第三NKビル、この右下にあるのがYレジデンスですね。だとするなら、S沢町のあたりですかね。」

波部さんは迷いなく進んでいく。このスマホバキバキ姐さんの空間認識能力が高いのは意外だ。


「H沼町のあたりじゃないのか?」

五尾先輩は前回その付近を捜索したらしい。

「H沼町だとこの写真に写ってる位置のかなり奥になりますね。本当は五尾さんの勘違いでビルはあるんじゃないですか?」

波部さんは細いワイヤーフレームの眼鏡越しに五尾先輩に疑いの目を向けた。


S町は繁華街から少し離れた古い雑居ビルが立ち並ぶエリアだ。

主に事務所などが入居しているようだが(なんの事務所なのかはよくわからない)、一帯の再開発事業の関係で殆どのテナントが退去している。そのため夜になれば殆ど通行人がおらず、チカチカと明滅する切れかけの街灯だけがアスファルトを青白く照らしている。


「全然人居ないっすね。ゴーストタウンって感じ。」

「この時間だからな。」

「まだ七時過ぎですよ。こんなことなら昼間にこればよかったのに。不気味だなぁー怖いなぁー怖いなぁー。」

俺は感情のこもらない言葉を吐いた。

「昼間は働いていますし貴重な休日にまであなた達とわざわざ顔を合わせるのは嫌です。ほら、さっさとビルを探しましょう。」

波部さんはさらっとひどいことを言った。とはいえ終業後にこうして先輩と俺と一緒にあるかどうかもわからないビル探しに付き合ってくれるのだから暇で友達がいないのかもしれない。


「にしても、暗くてよくわからんな。」

五尾先輩はスマホの画面と暗闇に溶け込んで無彩色になってしまった建物を交互に見比べながら歩く。

「いくら街灯があるとはいえこの照度じゃ建物の色はもう判断材料にはなりませんよ。ビルの名前を見てください。マップと照合するので。」


波部さんもスマホの画面とビル名を交互に見比べている。

忙しなく目線を上下させる先輩と波部さんのその様子はどことなく鳩を連想させた。

俺より年上のいい歳した男女が暗い道でスマホ片手に鳩のように歩き回っている。ウケる。


「おい、佐原、お前も真面目に探せよ。」

「すんません。」

先輩にサボっているのがバレてしまった。

「俺この裏の方の道探してみますね。」

「おう。暗いから気をつけろよ。」

五尾先輩のこうした一言をさらっと言えるようなところが割と嫌いではない。


細い路地を抜け隣の道に出たが、先程の道とあまり代わり映えのしない雑居ビルが軒を連ねていた。

先程の鳩のような五尾先輩と波部さんの滑稽な姿を傍から見ていたのでなんとなくスマホ片手に例のビルを探すのを躊躇い、ただちょっとだけ上を見回しながらそれらしいものがないかぶらぶらと道なりに歩いた。

探すといっても先程の五尾先輩がそうであったように暗いと建物の特徴を判断するのが難しい。ましてや会社の屋上から遠目に一度だけ見た特にこれといった特徴のない建物など近くで見たところでこれだと判断出来うるだろうか。いやできない。


それにしても、地方都市とはいえそこそこ栄えている街の中にこんな人類滅亡後みたいな空間があるなんて信じられない。


S町はかつてはオフィス街としての機能を担っていたらしいが周辺の開発による都市機能の移転、鉄道・地下鉄駅から中途半端に離れている微妙な立地に加え、ビルの老朽化が進み徐々に寂れていった。

地形としてはすり鉢の底のような場所にある

ため、近年夏にとんでもない大雨が降るようになってからは道路が冠水したというニュースを目にすることもあった。


そういった場所なので今までの人生において全く縁がなく用事もなかったので当然来ることもなく足を踏み入れたのは今日が初めてだった。


と、


気が付くと道が行き止まりだった。


行き止まりというか、三方を建物に囲まれたぽっかり何も無い場所が突然眼前に現れたと言った方が正しいだろう。

これほど周りにビルが密集しているのであれば駐車場とも考えられるがこれはそうしたものとはまるで別の空間だった。


道路との境界に3mほどの高さのフェンスがあり入口は見当たらない。周りを囲む建物はその土地側の壁には窓ひとつなく巨大な壁に囲まれているかのようだった。

地表は舗装すらされておらず草木の1本も生えていない。黒々とした湿った土に覆われ、ただでさえ暗い場所の中で一際暗く、巨大な穴が空いているのかと思った。


そして、その空間の異様さを決定的に際立たせているのは、土地の丁度中央あたりに何かが突き刺さっていることだ。

通りの街灯からの僅かな光を受け、目を凝らしてようやく確認できるそれは、小さなおもちゃの電車だった。


プラレールの、青い電車が地面に突き刺さっている。


気味が悪かった。

ただただ気味が悪かった。


行き止まりでこれ以上進めないし、元来た道を引き返すことにした。



「おぅ、佐原。なんかあったか? なんか目がいつもに増して死んでんぞ。」

五尾先輩はそこらへんのビルのエントランスの階段に腰掛けながらタバコを吸っていた。

そんな先輩を波部さんは少し離れた場所から壁にもたれ腕を組みゴミを見るような目を向けていた。まぁそれはいつものことだが。


「いや、ビル無かったっす。疲れたから引き上げましょう。お腹空いたんでなんか食べに行きましょう。波部さん、五尾先輩がご馳走してくれるそうですよ。」

「行きます。他人の金で食べるご飯ほどおいしいものはないですから。」

「なんでいつの間にオレが奢ることになってんだよ。」


おそらく、先輩と波部さんに電車の突き刺さった空き地のことなんて話したら「見に行こう!」となるに決まっている。仕事終わりによくわかんねぇビルを探しに行くような奇特な人達だ。

五尾先輩に至ってはフェンスを登って電車を引き抜きかねない。ちょっとそれは見てみたい気もしたが。


「五尾先輩、お寿司が食べたいです。」

「やだよ!」

「そこは『スラムダンクかよ!』って突っ込んでくださいよ。」

「うっせぇなオレはスピリッツしか読まん。」



後日、会社の屋上から改めて見た例のビルはなんとなく、地面に突き刺さったおもちゃの電車に似ている気がして目を逸らした。

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AOIBLD 望乃奏汰 @emit_efil226

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