新しい作品が書けた。
作品が書けると「やったー!書けたぞ!」という気持ちになるのだが、「果たして、これは一体、、、」となる。
私自身は書いていて楽しいし読み返しても楽しいし普通に自分の作品読み返して「なんて面白い小説なんだ。この作者は天才かもしれない。わ、わたし~!?」と思うわけだが、本当にこれは主観的なもので、作品を書くにあたって客観性をガン無視している。
特に投稿にあたってジャンルがよくわからない。或いは該当ジャンルが無いというのに毎回頭を悩ませているというのは過去の近況ノートを見てもらえばまぁわかると思うし各種SNSにも愚痴っている。
カクヨムに向いていないのかもしれない。
私が書いているものが目新しいどこにもないようなジャンルなのかというと全くそんなことはなく、「読者を楽しませること」に中指を立てて自分の好きなものを書いているという点では完全に純文学ということになる。
ただ、これが読み手に示唆を与え深く考えさせる哲学的な内容で芸術的な文章で構成されているかというと全くそんなことはなく、全然純文学ではない。
"娯楽性、商業性などよりも芸術性、美的感覚に重きを置いている小説の総称。"
出典:ピクシブ百科事典「純文学」
https://dic.pixiv.net/a/%E7%B4%94%E6%96%87%E5%AD%A6
そう。美的感覚。これだよ。美的感覚にしか重きを置いてない。
俺が美しいと思うものしか書きたくない、、、
ならばやはり純文学なのか、、、?
そもそも小説を書くにあたっても「境界」というのは結構テーマとして内包していたりするので、ジャンル分けっていうのが本当に苦手。
だってそんなジャンルで分けられるようなもん書いて楽しいか?
楽しいか、、、普通に、、、
ラベリングという行為自体が人に興味を持ってもらうためのものであり、その時点で前提がずれてくる。
こちらからボールを投げたくない。
並べたボールをわざわざ拾いにくる奴だけが読めばいい。宣伝もしたくない。
遠くから「あそこにボールが落ちている」と認識できる程度がいい。
「ここに!ボールがあります!とってもいいボールです!受け取ってください!受け取ってください!」みたいなガツガツしたのはマジで無理。
絵も小説も音楽も陽キャでコミュ力高い奴らのためだけのものではなくて、同調圧力や内輪ノリや承認欲求に中指を立てていく私のような根暗で性格が悪い人間が孤独な思想を書き殴るためのものであってくれ、、、