若い警官はメモを取りつつ、何度か小さく頷いた。


「やってしまったことはともかく、ちゃんと通報してくれてよかったです」

「あの、最後の夜だったんで、持ってきた酒をぜんぶ飲んじゃおうと思って、みんなめっちゃくちゃ酔っぱらってたんです」

「まあ、寒いですしね。まずは凍死しなくて良かったですよ。もし酔いつぶれてたりしたら夜が明ける前に死んでたかもしれません」

「ええ、本当に。あの、壊すつもりはなかったんです。写真を撮ろうと思っただけでして、でも下が……雪が凍ってて」


 そこまで話したところで、翁がまた叫んだ。


「壊したのか!? 本当に!? それに、こんな、警察まで呼んで……!」

「おじいさん、落ち着いてください」


 若い警官が言うと、俺がやるとばかりに中年警官が抑えに入った。

 それでも。


「えらいことじゃ、えらいことじゃあ……」


 と声が聞こえた。

 

「青年会を集めんと……それに、ああ……えらいことじゃ、えらいことじゃ……」


 若い警官が顔をしかめ、樋口に向きなおった。


「それで……現場までご同行を願えますか。このあたりは人手も足りないんで、状況を見てから署で話を聞かせてください。よろしいですか?」

「はい。もちろんです。お手数かけて申し訳ありません」

「いえいえ。本当に通報してくれてよかったですよ」


 言って、警官は樋口に耳打ちした。


「もし我々を呼んでなかったら大変なことになってたかもしれませんよ」

「大変って――」

「行きましょう。暖かいうちに現場を見ておかないと」


 聞ける様子ではなかった。

 樋口と警官たちは、青い顔でどこかへ電話する翁を残し、車でキャンプ地にしていた場所に戻った。そこからは歩きだ。


 夜中に見た風景と違い、残雪に反射する光が幾度となく樋口たちの目を焼いた。溶けかけた雪が靴底を滑らせ、融解熱が森を冷やし空気を肌につき刺さるほど鋭くしていた。夜よりも歩き難い道と照りつける陽光が彼らに汗を滴らせ、また熱を奪う。


 鬼骨の祠についたとき、皆の躰は冷え切っていた。どこか遠くから聞こえてきたエンジン音が山中に反響している。翁が呼んだ村の人々だろうか。


 太陽に晒された祠を見たとき、樋口は自分の嘘が何の意味もなさなかったことを思い知らされた。


 祠は、寄りかかって壊れたというふうには見えなかった。

 グチャグチャに蹴り散らかされ、踏みつけられ、あたりにはいくつもの靴跡が残っていた。酔っ払いの千鳥足には見えない。明らかな悪意の痕跡がそこらじゅうに散らばっていた。


「……ごめん」


 樋口は、小さな声で謝った。

 

「本当だよ」


 木崎が呟く。


「でも、しょうがないよ」


 近藤が言った。


「かもな」


 木崎が吹き出すように苦笑した。

 若い警官が、中年の警官に目配せし、祠に近づき始めた。

 樋口たちは中年の警官に後ろを抑えられる形でついていく。

 やがて、若い警官が足を止めると、祠の残骸の前で屈みこんだ。


「これは……」

「はいはい。俺です。俺が壊しました」


 木崎が言った。


「あ、いや俺かも。俺めっちゃビビッてたから。ほらアレ!」


 近藤が祠の手前を指差した。雪がそこだけぽっかりとへこんでいた。


「尻餅ついたりして! めちゃくちゃ怖かったし!」

「あー、いや、俺かもです。朝、起きたら体中がめちゃくちゃ痛くて」


 樋口も調子を合わせた。

 後ろから中年の警官が呆れたように言った。


「あのね君たち。これ立派な器物損壊だからね? かばうのがカッコいいとか思ってるのかもしれないけど、立派な犯罪だから。分かってる?」

「そりゃ分かってますよ」


 樋口は言い、木崎の肩を抱いた。


「でも事情があったんすよ」


 話せば多少は――情状酌量の余地くらいあったっていい。

 そう思うようになっていた。

 しかし。


「いや、本当、通報してくれてよかったです」


 若い警官が低い声で呟いた。

 そして、骨の一本を拾い上げた。


「それに、祠を壊してくれてありがとう」

「……は?」


 樋口たちと中年の警官が揃って間の抜けた声を発した。

 警官はしゃがんだまま振り向き、手にしていた骨をかかげた。


「これ、人骨ですよ、先輩」

「――あ?」


 今度の音は中年警官だ。呆気に取られる樋口たちを一瞥し、若い警官に駆け寄っていった。

 

 何の話をしているのか、何をやっているのか。


 近藤が吹き出すように笑い、木崎に肩をぶつけた。昨日のやり取りが思い出された。作り物の骨。木崎も笑って声をかける。


「お巡りさん、違いますよ、それ作りモンです。俺、知ってますから」


 警官二人が強張った顔で振り向き、次いで樋口を見て、小さく首を横に振った。


「君たちが壊したのはこの祠であってるんだよね? 穴は掘ってない?」

「……穴?」


 樋口たちは顔を見合わせ、警官たちに近づいた。

 手にしている骨に目を凝らし、


「あっ」


 と樋口が声をあげた。

 警官が手にしているのが、本物の骨だとすぐに分かった。

 ただしそれは、表面に白い塗料が塗られていた。経年劣化によりところどころ塗装が剥がれ、日に当たったところが雪とは違う白さに――乳白色に変色している。


「これ、祠の……骨組み……」

「……本当に、君らが祠を壊してくれてよかった」


 若い警官の声は興奮している様子だった。


「おかげで、出てこれたんだ」

「出てこれたって……」


 誰ともなく喉を鳴らしていた。

 若い警官が言った。


「ずっと探してたんですよ。親父が。この村で。昔、住まいを世話してくれた木崎の爺さんの死体を」

「えっ」


 と木崎が声を失った。

 中年警官が下唇に湿りをくれて言った。


「マジか……祠に作り替えたってのか? 嘘だろ?」

「いえ、間違いないっすよ。木崎の爺さん土地を失くしたあと山の管理で股関節やっちゃって、当時としちゃ珍しい人工関節を入れてるんです。ほら、ココ」


 大腿骨だ。

 人体で最も長い骨。

 削られ、形を変えた付け根は人工関節をいれるための空洞があり、すぐ下に扉を留めていたであろう錆びた蝶番がぶら下がっていた。


「じゃあ、じゃあ、親父たちは……」


 木崎が呼吸を浅くし、途切れるような、震える声で言った。


「お、俺は、ガキの頃……爺さんの、骨に……お、お祈り、して……」


 どしゃり、と木崎が両膝を落とした。

 ザクリザクリと足音が続いた。


 ――足音?


 樋口たちは誰ともなく振り向いた。

 年老いた村人たちが、枯れ枝のような手に様々な道具を手にして立っていた。

 鎌に、斧に、鋤に、山刀――。

 村人たちの間を縫うようにして、青年会の人間だろう、いくらか若い男に支えられ、民宿の翁が連れてこられた。


「お、お前らが悪いんじゃ……ほ、祠を、祠を壊してしまうから……!」


 手にしていた猟銃が樋口たちに向いた。

 ほとんど同時に中年の警官が叫んだ。


「やめなさい! 銃を下ろせ!」


 翁が叫んだ。


「祟りじゃ! これは鬼さんの祟りじゃあ!!」


 耳を劈く銃声が、森にすむ鴉共を羽ばたかせた。


  *


 生き残れたのは、運が良かったからというほかにない。

 あるいは、若い警官が躊躇なく発砲したからかもしれない。

 死者は警官一名を含む三人。樋口たちは、木崎が一時、昏睡状態に陥るも三人とも生還を果たした。

 

 事の真相は、奇怪かつ醜悪ではあるが、ごく単純なものだった。

 

 村の資産家だった木崎の祖父は常日頃から村人たちを卑下しており、村中の恨みを買っていた。なかでも特に恨みが強かったのが民宿の翁だ。


 木崎の祖父の立場が危うくなると、持てる力の限りを尽くして苦しめた。村人たちも恨みを抱いていただけに便乗し、追い出すのではなく手元に置いて嬲りつくす道を選んだのだ。

 

 村全体で行われた迫害は次第にエスカレートし、木崎の祖父の死によって止まる。


 しかし、平静を取り戻した村人たちと異なり翁は変わらなかった。むしろ、長年に渡る嗜虐で常軌を逸しており、死後も辱めるつもりで祠に仕立て直したのだという。


 それらを伏せたまま木崎親子に管理を任せ、観光資源にしようとあれこれ手を回している様を楽しんでいたのだと。

 

 村人たちはついていけなくなっていたが、もし同情心を見せれば次は自分たちの番だと恐れた。そうするより他になく、村人たちは翁に従う振りをして木崎親子を八分にし、村から離れさせた。


 残ったのは、翁の精神への恐れと、木崎祖父より買い漁った土地が生む権力への恐れだった。誰も何も言いだせないまま時が過ぎ、旅行と称して木崎が帰ってきたことは翁の口から村中に知らされた。


 誰も逆らえなかった。逆らう気力を失っていた。

 言われるままに歓待し、言われるままに木崎たちを止めに向かい、一部は過去の過ちが露見することを恐れて本気になっていた。


 その翁は、若い警官の銃弾によって死んだ。


 以上が、翁の経営する民宿で見つかった資料と、ようやく過去から解放された村人たちの証言によって判明したことだ。


 木崎は病窓から春の兆しを見せる青空を見て呟いた。


「なんっつーか、壊して良い祠ってのもあんのな」


 ブッ、と近藤が咽た。見舞いに来ておいて、自分で持ってきた果物を自分ばかり頬張っていた。


「いや、あんなもん祠じゃないでしょ。やべーよ」


 しゃくり、と近藤が林檎にかぶりつくのを見計らい、樋口は言った。


「いや爺さんの骨を蹴っ飛ばすのはいかんでしょ」


 また一つ近藤がせき込み、木崎が痛えから笑わせんなと身を捩った。

 最高かどうかは疑問の余地があるが、樋口たちにとって、絶対に忘れられない二泊三日のキャンプとなった。


 ――だが、しかし。


 果たして、そうまでされた木崎の祖父は村人に何をしたのだろう。

 あの若い警官の親にだけ優しくしたのは、どうしてだろう。

 鬼骨の鬼とは、実は――。

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鬼の骨 λμ @ramdomyu

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