祠に収められていた骨は、両膝をしっかり抱え込み、鼻の上に大きな穴ぼこが一つあいた頭蓋骨を、虚ろに下向けていた。

 

「――一つ目の鬼だったんだと。額のとこみてみな」

「額……あっ」


 木崎の言うように、眼窩らしき大穴の上、額のあたりに小さな穴が開いている。


「昔ここに暮らしてた鬼を殺して土に埋めたら山が荒れて川が干上がったんだと。そこで骨を掘り出してここに祀って、したら祟りがやんだんだってさ。――グっさん、どう思う?」

「どうって……こっちはさすがに雰囲気あるけど、作りもんじゃね?」

「なるほどね。コンちゃんは?」

「ええ!? 俺!? 知らないって! 気味悪ぃし、ケツ冷たいし、もう帰ろうぜ!?」

「じゃなくて、どう思うかって聞いてんの」


 木崎の気配が変わった。

 そうと気付かず、近藤が吠える。


「どうって、知らねえよ。下らねえ。下らねえよこんな子供だまし!」

「……だよなあ。ほんっと、下らねえ!」


 急に声を荒らげた木崎に、先ほどまで怒っていた近藤も、笑ってみていた樋口も血相を変えた。何かがおかしかった。


「下らねえよ、マジで! こんな子供だましで、何が村興しだよ!」

 

 言うなり、木崎は手にしていたボトルを一息に呷るとその場に落とし、祠に向かって駆け出した。樋口は咄嗟にどうすることもできなかった。ただただ木崎の急変に驚くばかりだった。


 駆け出した木崎は大きく足を振り上げほとんど飛び込むようにして祠の――膝を抱える鬼骨キコツを蹴りつけた。雪山にも対応する厚く重い靴底が乾燥した骨を軽々と砕き、さらには朽ちた祠の壁まで突き破り、木崎の躰は祠や骨と一緒になって雪に覆われた大地に倒れ込んだ。


「お、おま、何やってんだよ!」


 樋口が叫ぶも、木崎は止まらなかった。

 雪や祠の残骸に足を取られながら立ち上がり、叫びながら蹴り、踏みつけた。何度も、何度も、憎悪をもって踏みにじり、蹴り壊していく。


「クソ! クソが! 下らねえんだよ、こんなもん!」

「お、おい木崎ぃ! どうしたんだよ! 何やっちゃってんだよ!」


 近藤が半泣きになって叫んだ。その声で我に返り、樋口は木崎を羽交い絞めにして祠から遠ざけた。


「おい! 木崎! 落ち着けよ! どうしたんだよ!」

「こいつだよ! こいつが!」


 足を何度か空転させ、木崎はようやく暴れるのをやめた。

 

「こいつだよ……こんなもんのために、俺んはさ……」


 涙を流し、今にもその場に倒れてしまいそうで、樋口と近藤は壊した祠をそのままに焚火サイトまで木崎を連れ帰った。火起こし担当が使えず苦労しながら再び世界に赤い光を広げ、躰が温まり始めたころ、木崎がポツポツと話し始めた。


「あそこらへんは、ここらへんも含めて、俺の家の山だったんだ」


 木崎の家といっても、祖父の代の話だ。

 七、八十年代、林業から不動産に移り羽振りをよくしていた木崎の家は、バブルの崩壊とともに地獄をみた。保有していた株は紙くずになり、不動産は無限に金を欲する厄介者と化し、祖父は生き延びるために土地を切り売るしかなかった。


「村の連中、俺に向かって懐かしいねえとか、適当なこと言いやがって……!」


 当然、村全体も苦しかったはずだが、地場産業で保たれていたゆえに木崎の家ほどの被害はなかった。逆に将来を見据えたとき、良いカモに見えたのだろう。村の人々は土地開発には協力せず、二束三文で木崎の家の土地を買い漁っては自分たちで再利用し始めた。


 そのなかで余ったのが今いる山だ。

 買いこそしたが何につかえる土地でもない。彼らは木崎の祖父に小遣いを渡し管理だけさせるようになり、そのうち作業を苦にしたのか祖父は行方をくらました。それからしばらくして、村興しに使うからと鬼骨の祠が作られたのだという。


「俺がまだ五歳くらいの頃だよ。鬼さん祀ってるからって嘘っぱち教えられてさ。親と一緒んなって拝んで、掃除したりして。よく村のガキにからかわれたよ。鬼っ子だのなんだの……地獄みてえな時間」


 当然と言うべきだろう、観光客など来るはずもなく、生活は貧しかった。

 村の人々は苦しむ木崎の家を憐れみ、嗤い、小遣いを渡していい様に使った。

 両親は子供のために村を捨て、救いを求めて都会に出た。

 そして木崎本人は、


「いつかここに戻って来て、あの祠ぶち壊してやろうと思ってたんだよ」


 それは木崎の、ささやかな復讐だった。

 負の思い出の清算だったのだ。

 

「ざまあみろ。ざまあみろだよ、クソが!」

 

 残り僅かになったウィスキーを飲み干し、木崎は山に向かって叫んだ。


「くたばりやがれ! 鬼骨村がよ!!」


 虚しい遠吠えが夜闇に飲まれ、爆ぜる火の粉に散らされた。

 最高の思い出になるはずだった二泊三日は、一夜にしてすべて氷の下に沈んだ。

 誰も何も言えなくなり、一つのテントに三人で潜り込み、朝を待った。

 木崎はすっかり酔いつぶれ、近藤はときおり悪夢にうなされながら。

 そして、樋口は、いつまでも祠のことが気がかりで仕方なかった。


 あくる日、酷い顔をした三人はキャンプ地をち、無言のまま山を下り始めた。そのまま過ぎ去ってもよかったのだが、樋口の車はキャンプ地を教えてくれた民宿へと舳先を向ける。


「――グっさん、いいよ、挨拶とか。インチキ祠を建てたの、あの爺さんだぜ?」

「かもしれないけど、何も言わないほうがまずいだろ。壊したんだし」

「弁償とかいってクソほど吹っ掛けられるぞ? 黙っとけば――なんだ?」


 木崎の後を、近藤が継いだ。


「警察?」


 パトカーが一台、民宿の前に停まり、二人の制服警官が翁から話を聞いていた。

 樋口が車を停めて車から降りると、気づいた翁が顔を強張らせて駆けてきた。


「お、お、お前ら……! あの、あの祠を壊しよったんか!?」


 チッ、と舌打ちし、後部座席で木崎がボヤいた。


「迫真の演技だなクソ爺」


 樋口は不貞腐れる彼を肩越しに一瞥し、翁に深々と頭を下げた。

 

「本当に申し訳ありません。昨日の夜、散策しているときに祠を見つけまして」

「こ、壊したのか!?」


 翁が、その枯れ枝のような腕で樋口の肩を揺さぶった。


「お前ら、壊してしまったのか!?」

「……ヤバイよ、祟られる」


 と、嘲笑するような低くくぐもった声が後部座席から聞こえた。近藤だ。つられたのか木崎も小さく吹き出した。

 翁は正気を失ったかのように壊したのかと繰り返し、樋口が説明させてくださいと怒鳴ると、あいだに警察官が入った。年もほとんど変わらないように見える若い警官と、面倒そうな顔をした中年の警官だった。


「あなたが昨日の夜に通報してくれたんですか?」

「はい。俺です。正直ちょっと悩んだんですけど、やっぱ言わないとと思って」


 後部座席の二人――特に木崎の方から、失望の気配を感じた。

 しかし、いくら復讐心があったとしても、逃げるのは悪手に思えていた。こんな寒村で泊まりに来たのは自分たちだけ。遅かれ早かれ露見し、逃げたことが却って事態をややこしくするように思われたのだ。


 だったら、多少の嘘を交えて壊したこと自体は報告してしまった方がいい。

 樋口はそう考え、夜のうちに通報していたのである。

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