エピローグ 下 灯心までは何カンデラ

 彼に触れていた手が、風に吹かれるようにして柔く離れてゆく。しかしその言葉は意味を砕くことなく、変わらずこちらへと次々に降り注ぐ。

 彼女は防護服に包まれた手を動かすと、背後にうずたかく積まれた『作品』の山を示した。


「私だけではありません。その内トケ……私の相方も、ここに来ます。今私が知るだけでも、彼以外にあと二人は心当たりがあります」


 指を折って数える彼女を注視しながら、彼はふと、疑問に思う。

 ココと名乗る彼女は。この、ドローンロイドを動かしている誰かは。果たして、人間なのだろうか。

 ヨロズハに翻訳できる言葉を使う以上は、地球の言語を話しているのだろう。だが、彼女の言うことはあまりにも、彼にとって都合が良すぎる。彼の過去を知り、彼の欲しいものを言い当てる。

 良くも悪くも、彼のためにここに来たのだということはそれだけでも嫌というほど理解できる。しかし彼女の挙動は、ドレアム達が教え込んでくれた『人が悪意を持って嘘をつく時の仕草』には当て嵌まらない。彼を誘導する様子も、今のところ見受けられない。

 閲覧させてもらった数々の記録から、彼は地球の人々が『神』と呼んでいた存在を連想する。

 突如現れ人を気まぐれに救う超常の存在や、遥か天から生命を罰し、導き、また愛する絶対的存在など。そのあり方は様々であれど、人々と立ち位置の異なるものとされる、遠い存在。


「それで、ここに来られそうなメンバーの中でも、特に私が贈る関係性について、考えてみたのですが」


 我に返る。今の天気でも述べるような自然体の穏やかさで、彼女の声は言葉を連ねてゆく。


「ひとまず私は、貴方にとっての『他者』になれればいいと思っています」


「──他者?」


 思わず、彼は聞き返した。

 出会ったばかりの相手に『友人』や『家族』のような答えを期待していた訳ではないものの、その答えは地球の文化を学んだ彼にとって、少し素っ気なく感じるものではあった。

 瞬きをしたココは、首肯する。


「はい。貴方にとって、私は今唯一の話し相手なので。まずは、私が貴方と他者の違いを示す基準になろうかなと」

 

 やや抽象的な答えに、たとえばどんな風にか、と彼は重ねて問う。

 彼女は目を軽く見開くと、緊張と期待に駆られた猫科の動物のような表情を浮かべた。揺れた栗色の髪が、その頬を縁取る。


「……たとえば、ですね」


 音質の柔らかい声に少しの慎重さを帯びさせながら、彼女は確かめるようにして続けた。


「貴方の許可をいただけるなら。貴方が忘れてしまった世界……いえ、『作品』を幾つか、貰い受けさせていただきたいです。それを私なりに作り変えて、その結果出来たものから、貴方と私の感性の違いを見ていただければと思います」


「私が忘れてしまった『作品』を、作り変える……」


 彼は今まで、ほとんど絶え間なく『作品』を作り続けてきた。時折記録された情報やそこから展開されたと思しきものを顧みることはあれど、自ら『作品』そのものを見返すことはほとんどないままに、次を次をと今自分たちを取り囲むこの山へ、積み上げ続けてきた。

 自分が作ったものに対し愚かしく、また不誠実なことをしているということはもちろん分かっていたが。それでも、何かを生み出すことは止められなかった。それだけが、彼の唯一の、心を保って生きる糧だった。──その間、自分がどれだけのものを忘れてきたのかなど、もう数えることもできない。


「はい。結局私は、一から何かを作る能力はあまり伸びなくて、遂には後から来た相方に負けてしまったのですが。何かを作り変える能力の方には、そこそこ柔軟性があるみたいでして。だから『翻案者』なんて呼び名も付いています」


 微かに懐かしむような響きを声音にくゆらせつつ、彼女はそう言って目を細めた。

 彼はしばしの逡巡の後、返答を切り出す。


「……私が忘れてしまった『作品』を引き受けてもらうのは構わないと思う。私に忘れられているより、恐らくその『作品』達も、貴女の手で生まれ変わる方が報われるだろう。貴女がそれぞれの『作品』を愛おしむ気持ちから改変行ってくれるならば、だが。だから」


 話しながら、彼は思考を纏める。

 彼女の提案が魅力的であればあるほど、尚更に、そろそろ根本的な話を聞かせてもらいたいところだった。

 ここまで彼女が敢えて話を逸らしてきたのか、それともココ自身もどう切り出したものかと考えあぐねているのかは断定しかねる。だが、作品の改変を許すかどうかも、彼女達がもたらすという『関係性』を拒絶するか受け入れるかも、まずはそれを確認した上で決めるべきだ。


「……だから、それを判断するためにも、まずは教えてもらえないだろうか。ヨロズハとの関係を、そして、貴女がどのような存在なのかを」


 言い終え、息を詰めるようにして、彼女の反応を伺う。ここで僅かなりとも忌避や誤魔化しがあるなら、後に続く内容がどんなものであれ、自分は彼女を無防備に信用すべきではない。

 果たしてココは、こちらを見据え、ゆっくりと頷いた。


「はい。すみません、つい、引き伸ばすような形になってしまいました。最初にここに来た者として。始めから、順を追って説明します」


 そうして、ココが語り始めたのは。

 長い長い、一つの世界の歴史だった。

 その発端は、翻訳装置──ヨロズハというひとりの少女の、全力を賭した苦闘と、挫折と、遠い遠い未来へ向けた祈り。

 それを繋ぐのは、導きの神達の、葛藤と喜びと、遥かな年月を耐えながら積み重ねられた努力。

 そしてその末端から、精霊達の、存在そのものを燃やすような一途な希望と願いが、新たな先端を織り上げる。

 それらは間違いなく、永く永く、生まれてからこれまでを生き抜いてきた、紛れもなく命である者たちの記憶だった。


「……以上が、私がここに来るまでの経緯です」


 彼女が話し終える頃、空は薄らと、この星の淡い朝焼けに染められ始めていた。


「……」


 浮かびかけた言葉が、水面に触れた端から崩れてゆく。

 感情が分化する前の、人間の新生児になったかのようだった。

 地に複雑な紋様を描く彼の全身を、混ざり合い言語化不可能になった何かが、内側から押し潰さんばかりの重さで巡る。いっそ作り話であれとも思ったが、今まで自分が見てきた『作品』の記録や、そこからひとりでに展開されていた物語、そしてヨロズハの仕組みについての知識を僅かに残った理性で鑑みれば、それを架空のものだと言い捨てることは、とてもではないができなかった。

 恐らくはと、彼は慄くように思う。考えるのを止めてしまいたいのに、転がり落ち始めてしまえばもう手遅れだった。

 恐らくは、本当に。

 これまで数千年分の時間と、幾万個もの世界と、幾兆もの魂の行方が、他ならぬ自分に結び付けられていたのだ。そして自分は、それをこの数十年間全く知らずに、ただただ子どもが砂で遊ぶようにして、『作品』を作り続けていたのだ。


「……、」


 形を取った実感は、何も軽くすることはなく。涙を流すことができず、また自らの喉で叫ぶことのできない彼の内側を、焼き、凍らせ、温めながら切り裂こうとする。

 今は最早意識を失った金色の宿木ヨロズハが、ただ一音、意味を成さないひび割れた音声を形にするのを聴いた。言葉にならないその号哭は、自分ではなく、あの少女のためのものであるべきだと思った。


「ですから」


 半ば狂乱状態に陥りかけた彼の元に、ココの声が落ちてくる。彼女の表情を認識することさえも恐ろしかった。

 何も言えずにいる彼に、また、彼女は微笑んだ。本当に自分が聞いたものと同じ話をしていたのかと疑いたくなるような、暖かな表情だった。


「私が無事にここまで辿り着けて、本当に良かったです。きちんと、積み上げてきたものを引き継げました。──創世者」


 私は貴方を救いに来た訳ではありませんと、彼女は言った。彼女らの背景を思えば冷たくて然るべきその台詞は、極めて穏やかに、まるでこれもまた、自己紹介のほんの一部であるかのように紡がれていた。


「そもそも私は、そんな大層ことができるほど、偉い立場でもありませんし。ただ、私と対話して、私の考えと貴方の考えを比較して。それから私の作り変えたものと、貴方が作ったものの感想なども、互いに言い合えたら嬉しいと思います。……まあ、」


 そこで、彼女の笑みが、薄荷のような苦笑に変わる。


「多分自分の作ったものがお互い一番なので、そこは好きに議論を白熱させましょう。……そうして、私に貴方のことを教えてください。もしこれから貴方の新しい願いが生まれるなら、それも聞かせて貰いたいです。そのために、私はここに来ました」


「……だが」


 ようやく、思考が形になる。自分のために文字通り存在を賭したヨロズハの声を借りて、創世者は、掠れた言葉を空へ吐いた。


「それならもう、私は何も、作らない方がいい気がする。貴女方は私を創世者と呼ぶが、私は万能ではないし、全知でもない。これから何かを作れば、きっとまた何かを忘れる。貴女の友人のように、全てを失う者もきっと生まれ続ける。それならば、今あるものを守って、私はこれからを生きていくべきだと思う」


「それは……」


 ココが、目を伏せる。栗色のまつ毛の隙間から、夜に近い暮れの色が覗く。


「それは、多分。貴方の生から彩りを奪うことになります。導きの神も、これから生まれる精霊達も、皆寂しい思いをするでしょう。……あと、私もここまで磨いてきた腕を振るって貴方と張り合えませんし」


「……張り合う……?」


「実はずっと、いつか貴方を悔しがらせてみたいなと思っていまして。貴方の作品をベースにすると言っておいて何を、と思われるかもしれませんが」


「……そうなのか……」


 かつてクルー達と話していた時にはそういった、ライバル意識のようなものは向けられたことはなかったので、どう反応していいのかは分からないが。とにかく、彼女がここに来るまでに積み重ねたものをもう一つ、確認させられた気がする。


「……それで、そうした理由があった上での代案なんですが」


 ココはそこで、耳に髪を掛けるような仕草をして、頭部のドームに手袋をぶつけた。あ、という小さな呟きと共に首を振ってから、彼女は気を取り直したように話を続ける。


「ひとまずは『忘却』の速度を遅らせるために、保存装置の更なる拡張も進めた上で。

 貴方の側でも何か目標を作って、それに沿って『作品』を生み出してみるのはどうでしょう? 目指すものや方向性があるなら、多少はじっくりと、細部を記憶に残しながら創っていきやすいかもしれません。……今考えたので、曖昧ですみませんが」


「……目指すもの?」


 ろくにその言葉を飲み込めない内に、彼は鸚鵡おうむ返しに呟く。やがて数秒掛けて、混乱の残る意識に理解が追いつくも、そんなものなどある訳がない、と思った。

 自分はこの『作品』に覆われた星からは出られず、一番作品を見せたかった相手も、もはやここにはおらず。

 手元にあるのは彼らが遺した、あらゆる文化のデータ記録のみ。自分の周りはもうすでに、隙間無く過去に取り巻かれている。新たな未来も、新たに得たいものも、ある訳がないだろう、と。

 しかし、その時ふと。

 目の前に、深い青が閃いた。

 所々を茶と緑で彩られた、濃紺の球。淡くたなびく白の流れが、その表面で渦を巻く。恒星が廻る球の縁から光を流し込み、水晶に変えるようにして透明な輝きを与えてゆく。

 それは、データの中にある観測映像の記憶だった。

 かつてクルー達に見せてもらった、彼らとヨロズハの、遠い遠い故郷。かつて自分の昼夜を目が覚めるような鮮やかさで染めたのは、あの美しい星で生まれた数多の文化の結晶だったことを、彼は思い出す。


「……目指す、もの……」


 心の片隅で、やめておけと、何かが言った。これ以上何かを積み重ねる前に、自分は今ここにあるものを保つべきだ、と。

 それを掻き消すように、彼女の、ココの問いかけが聞こえる。


「はい。何か、思いつくものはありますか?」


 金の宿木が、微かに震え。

 気付けば、彼は話し出していた。

 途切れ途切れだった語の繋がりはやがて、細雨が豪雨に変わってゆくように、水嵩を増して溢れていく。

『遠くへ行きたい』、『あの青い星の人々に会いたい』、『初めて出来た友人たちが、どのように生きてきたのかを知りたい』、『まだ知らない文化に出会いたい』

 一度滑らかに流れ始めた言葉は、途中で妨げようとしても、留まることなく出力され続けた。

 彼自身の語る意思を追い越すようにして、音声は翻訳を進めてゆく。そのことに半ば戸惑いながら、彼は他方で、考える。

 このとめどない言葉は単純に、ココに己の気持ちを伝えたいという願望の発露なのか、それとも。

 彼は知っていた。翻訳装置には元々、コミュニケーションの円滑化のために、言語化する内容を取捨選択する機能がある。

──それとも、彼の思いを言葉にしているのか。

 やがて、何もかもを呑み込むように高く降り積もった言葉は、最後に一つだけ願いを載せた。


『その先で。自分が生み出したもので、彼らの心を動かしてみたい』


 ようやく返された沈黙に、切々とした響きの余韻が残る中。ココは透明な覆いの奥で、目を見開いたようだった。

 次いで彼女は、いいですね、と呟くと、また笑う。それはここまで見てきた彼女の様々な笑顔の中で、一番の、満面の笑みだった。


「沢山、面白い未来が見られそうですし。その世界に生まれる精霊は、きっと、幸せですね」

 

 彼女は片足を引く。そのまま差し伸ばされた腕は、彼女の頭上にある、仄白い明け空を示す。


「やってみましょう。彼らの心に灯し届けるまでには、何カンデラ分の光が必要かは分からないけれど」


 彼はかつて閲覧した知識を拾い上げる。それは確か、一方向への光の強さを示す単位だった。

 ココは一呼吸の後、ゆっくりと瞳を細める。


「それでもいつか、遠い遠い青い星の、誰かが目にした時。

 その心に射し込むような『作品』を目指して、輝くものを一つ一つ、生み出していきませんか。……もし、」


 微かに言い淀んだ彼女は、こちらへ真っ直ぐに、右の手を差し出した。握手よりも明け透けに、自分の手にあるもの全てを映してみせるような仕草だった。

 桔梗の色が一度閉じられ、また花開く。深い瞬きと共に向けられた眼差しに、創世者は曇り無い銀と、そこに灯る暮れの陽を想う。

 今天を染める朝日に似て、しかし時に世界をその果てまで刺し貫きながら、時に沈黙をもって寄り添うような。

 そして、先駆けであるそのひとは。

 眼差しに劣らず真摯な声音で、彼に向かってこう言った。


「もし、貴方さえよければ。

 ──私達と、一緒に」

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灯心までは何カンデラ──導きの神と精霊たちと、創世者の物語── 豊森 卯来 @6262555

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