エピローグ 灯心までは何カンデラ
エピローグ 上 先駆者
空は、今日も溢れ落ちてきそうな星々で満たされていた。
銀の殻から新たな『作品』が姿を現したことにも気付かず、ぼんやりとそれらを見上げていた彼は、ふと、近くから聞こえる異質な物音に我に返った。
そちらに意識を向ける。同時に、『作品』の山の隙間から、何かがゆっくりと動き出すのを、彼は知覚した。彼の他に生物など、この場に存在する訳が無いにもかかわらず。
「──」
咄嗟のことに半ば思考停止した彼の前で、その物体が、声を発する。しかし、いつも言葉を教えてくれていたひとの気配は途絶えて久しく、彼はその意味を理解することができなかった。
次いで、分厚い布に包まれた腕が伸び、周囲を取り囲んでいた『作品』を、まるで氷細工でも扱うような手つきで丁重に動かし始める。
そこでようやく、彼は思い当たった。
あれは。あそこにあったのは。かつて自分が作ったドローンロイド、その内の一体ではないのか。
瞬間、帰ってきたのか、という気の狂いそうな歓喜と、そんな訳が無い、という身を裂くような正気が、彼の内側を駆け巡った。
凝視するようにそちらへ意識を集めていると、ドローンロイドは緩慢な動作で立ち上がり、彼の方を向いた。続けてそれは先程と同じく、愛おしむような仕草で『作品』を持ち上げ動かしては、こちらへの経路を作ろうとする。
そうして、四苦八苦の末に、機械仕掛けの人の似姿は、彼の元へと辿り着いた。
『作品』の山が影を差し掛けていた一帯を、背の高い姿が超える。頭部を保護するドームの向こうから、青紫の瞳が覗いた。褐色の肌を縁取るのは、耳元までの短い栗色の髪。中性的な容姿の、女性型ドローンロイド。確か、四番目辺りに創り出したものだったと記憶している。
「──」
静かな声を発すると共に、彼女は一メートルほどの距離を置いた場所から、彼に向けて頭を下げた。彼はその仕草を知っている。かつてモーヴが時折見せていた、日本式の挨拶。
再び上向いた彼女の頬に、どこか子どものような生き生きとした笑みが浮かんでいるのを、彼は見てとる。
それは、彼の知る誰のものとも異なる笑顔だった。
彼女の表情筋の動かし方は、クルー達のいずれにも当てはまらなかった。
一拍間を置いて、ほんの少しの安堵と、莫大な落胆がなだれ落ちてくる。
特に意外な結果ではない。九割がたそうであろうとは考えていた。だが、残りの一割は、一割であったからこそ、余りにも眩かった。
目の前で扉を閉められたような虚無感に、半ば興味を失いつつ、彼は心の内で小さく呟く。それでは貴女は誰だ、と。
クルー達ではないなら、彼にとってこのドローンロイドは、そこに立つ不可解の塊でしかなかった。
不意に、それが手を伸ばし、自分と、そこに寄り添う金色の宿木へと触れた。同時に、熱を失っていた宿木に、仄かに温もりが宿った。
そうして彼女はもう一度、こちらに向けて口を開いた。
「──こんにちは。私の言葉は分かりますか? 創世者」
それは、穏やかな、磨き上げられた飴色の木のような気配を纏う、声音だった。
もう数えるのをやめた幾年月以来の、理解できる人間の言葉だった。
「──貴女は、誰だ?」
呆然とするあまり先程と同じ疑問を繰り返すしかなかった彼は、そこで、更に驚愕する。
ずっと気配の途絶えていた宿木による翻訳が、再開されている。あの頃自分同然と言えるほど近くにあった、もう二度と、聞くことがないと思っていた、あの声がする。
混乱の中、彼女がその笑みの質を変えるのが分かった。永く永く年経たような、労りに満ちた表情。私はと、囁きが先立つ。
「私は。ココ、と言います。その他にも沢山、呼び名をつけてもらってこました。
漢字の『湖子』、『先駆け』、『翻案者』、『遠神』、などなど。
好きなもので呼んでください。私も勝手に、創世者と呼ばせてもらいます。その方が言い慣れているので」
淡々と述べられた自己紹介からは、しかし納得感は得られず、代わりに更に不可思議な点が募る。
「言い慣れている……? 私は貴女と初対面であるし、そう呼ばれたこともない。……クルー達……友人達には、ヴァミルと呼ばれていたのだから」
そう伝えると、焦るでもなく、彼女は頷く。どうやらこちらのことを、誰かや何かと勘違いしていた訳ではないらしかった。
「私も、実際に貴方と話したのはこれが初めてです。ですが、かつて貴方の心を人間の言葉に翻訳していた彼女──ヨロズハが、貴方をそう呼んでいたようなので。私もそれに則っています」
「ヨロズハ……今もここにある翻訳装置のことか? ……これ、いや、彼女に自我があったと? そもそも先程から質問しているように、貴女は何者だ?」
次から次へと溢れ出てくる疑問を浴びながら、ドローンロイドは瞬きをする。目尻の下がった造形であるのに、思いの外強く感じる眼差しだった。調停役であり芯の通っていたケイシーを、彼は意識の隅で思い起こす。
「そうですね。詳しい話は、きちんとさせていただくつもりです。だから先に、私の呼び方を決めてもらえませんか? 折角名前がありますから。貴方に対しても、もしヴァミルと呼ばれたければそう呼びます」
「……いや。それはいい。今まで通り、創世者と呼んでほしい。……貴女のことは、最初に言っていた『ココ』という名前で呼ばせてもらう」
「分かりました。ちなみに、どうしてそれを選んだか、聞いていいですか?」
首を傾げた彼女に、彼は少しの逡巡の後、思ったままを答えることにした。
「一番最初に、一番滑らかに言っていたから。貴女は恐らく、そう呼ばれた時間が一番長いのだろうと思った。それから培った愛着も、その名前が一番深いのだろうとも」
そこで、彼女──ココは初めて、驚いたような表情を見せた。棗のように丸くなった瞳が、こちらを凝視する。
「……そうですか。……そう、ですね。千年近くは使った名前なので」
ほんのひと刹那だけ、その焦点が霞むように遠くを観た。ひどく近いのにひどく離れた場所を思うような、そんな眼差しだった。
「でも、他の名前も勿論、大切なんですよ。初めて付けてもらった名前であったり、相方に貰った形容であったり、先達や後進に貰った呼び名であったり」
「……そうか。沢山の関係性の中で生きてきたのだな、貴女は」
滲んだ仄かな揺らぎを、金の宿木が拾うのが分かった。羨望と、落胆と、懐古と。己の感情を刷いた声を聞きながら、彼は甘苦いそれらに浸される。
「はい。本当に、ありがたいことに」
対して彼女は、こちらを憐れむでもなく、自慢げにするでもなく。ただ飾り気のない微笑みと共に、小さく頷いた。
その表情に、今度はドレアムの影が彼女を透かした気がして、彼は内心、己を軽蔑する。自分は人間の形をしたものなら、誰でも同じに見えるのだろうか。
モーヴの、勢いの良さと礼節を兼ね備えた部分も。ケイシーの、意思が強く人との関わりを重んじる部分も。ドレアムの、冷静かつ誠実で客観的な部分も。
全て全て、彼らという個人の美徳であるというのに。
そんな彼の葛藤に気付かないように、彼女は続けて口を開く。ドームに着いたスピーカーで明瞭化された声が、夜を埋める空気を淡く揺らした。
「だから。ここへは、今度は私がそれを
「……どういうことだ?」
「そのままです。私は貴方に、関係性を贈りに来ました」
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