とある試験会場にて

遠部右喬

第1話

 学校を卒業したら、試験なんて縁遠くなるものだと思ってた。だが、社会に出た今でも、俺は試験に苦しめられている。

 仕事の幅を上げる為、効率的に働く為、昇進を懸けて、毎月のように社内外の様々な試験は続く。そして貴重な休日である筈の今日も、検定試験を受ける為に、隣駅の会場に来ていた。


 公民館の小ホールを利用した試験会場には、既に三十名程の受験者が席に着いている。試験開始まで、あと三十分……テキストを見返している奴、スマホをいじってる奴、自分の手を眺めながらぶつぶつと何かを呟いてる奴……どいつもこいつも能天気なつらに見えて、それがまた俺の精神を削る。

 なんでだよ。何でお前等、そんなに前向きなんだよ。げんなりしてるは俺だけなのか。


 もういやだー!


 気付けば俺は荷物を抱え、廊下に飛び出していた。

 一体、何時からこうなってしまったんだ。俺が悪いんじゃない、社会が悪いんだ――いい歳して泣きそうになり、顔を伏せたまま廊下を駆け抜けると、結構な勢いで誰かにぶつかってしまった。慌てて顔を上げると、どう見ても堅気ではなさそうな空気を全身から立ち上らせてる男が、俺をねめつけている。相当お怒りらしく、その顔は仁王もかくやと言った表情だ。

 そういえば、この会場は今日、他の試験の会場にもなってる筈……確か……「鉄砲玉検定」。きっとこの男は、それを受験しに来てるのに違いない。

 男の手が、俺の胸倉に伸びる……が、そう簡単に掴ませたりはしない。俺はするりと男の手を躱し、後方へとんぼ返りをしつつ空中で膝を抱えた体勢から、


「申し訳ございませんでした!」


 高らかに叫び土下座を決める。見ろ、土下座検定一級保持者の、この美しい土下座を! まさか三年前に取った資格が、ここで活きてこようとは。

 周囲から微かに騒めきとクスクス笑いが起こる。俺と男に注目が集まってるのだろう、こっそりと眼を上げてみると、先程の男がドン引きしているのが伺えた。


「お……おもてを上げい」


 男の言葉に俺は顔を上げる。

 何で時代劇調なんだよ、さては、周りの目が気になってテンパるタイプか。そんなことじゃ、立派な鉄砲玉になれないぞ……俺は正座をしたまま、つい笑いそうになる表情筋を総動員し、これ以上ない位哀れっぽい顔で男を見上げる。


「あの……あれだ。今度から気を付けろや、おっさん」


 気まずそうに俺から目を逸らした男は、そそくさと去っていく。俺は立ち上がり、膝に着いた汚れを払った。良かった、五年前に「表情自在検定一級」と「馬耳東風検定三級」を取ってて、本当に良かった……って、おいおい、さっきの男、何処に行く心算だ。そっちは「鉄砲玉検定」のテスト会場じゃないぞ……え、まさか。

 男は、俺の走って来た方向……「社畜検定」の会場へと向かって行った。


 そうか……まあ、よく考えたら社畜も鉄砲玉も大して変わりないよな。精々頑張ってくれ。俺はもう、こんな生活からおさらばするぜ。そういや会社に内緒で「バックレ検定」を先月受けていたのだ。そのスキルで、明日こそ会社をバックレてやる……会場の出口に向かっていた俺の脚が止まる。

 「バックレ検定」の結果が出るのは再来週だ。もし不合格だったら、実はそのスキルは学びきれていない、つまり、役立たずいうことになるのでは……。


 俺は、静かに踵を返した。もちろん、「社畜検定」の試験会場に戻る為だ。だって、もう払い込んじゃってるんだし受験の費用が勿体ないじゃないか。


 そう胸の裡で呟く俺は「言い訳検定二級」の保持者でもあった……。

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とある試験会場にて 遠部右喬 @SnowChildA

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