クリスマスとかどうでもよくてさ

隣乃となり

クリスマスとかどうでもよくてさ


「僕、今年もクリぼっちなんだよね」


 章人あきとさんがボソリと言った。公園のベンチに二人で座りながら一通り雑談をして、二人とも口数が減ってきた頃だ。

 特に私に何かを求めるような様子でもなく、本当にただ何気なく、といった感じだった。

「おつかれさまです。クリスマスまでに彼女作ったら?」

「それが無理だから言ってるんだよ」

 章人さんが笑う。その控えめで優しい笑顔が、私はたまらなく好きだ。

「あとさ、章人さん知ってる?今の若い子はクリぼっちって言葉あんま使わないんだよ」

 私がそう言うと、章人さんは目を丸くした。

「えーうそだあ。僕も若いんですけど」

「章人さんもう25でしょ。四捨五入したらもう30歳じゃん。おじさんじゃん」

「うわー。30歳の人に謝ったほうがいいよ」


 こういうやりとりが、私は大好きだった。

 イジったり、イジられたり。心置きなくそれができるのは、お互いに信頼し合っている証拠だと私は思う。だから、嬉しい。心から楽しいと思う。


 だから、そろそろ暗くなってきたし帰ろうか、という言葉を彼の口から聞くのが毎回どうしようもないほどに悲しい。章人さんと話しているときには全く感じなかった冬の寒さを、別れ際になると突然感じてしまう。


 さりげなく公園の大きな時計を見た。16時38分。今が冬なのが恨めしい。日が早く落ちて、その分章人さんと話す時間が短くなってしまうからだ。

 すでに、空は段々と闇に染まりつつある。

 私は白い息を吐いて立ち上がった。章人さんに先に言われてしまうのが今日はなんだか嫌だったから、私が言うことにする。


「暗くなってきたから、もう帰ろう」


 マフラーに顔をうずめた章人さんが、頷いて立ち上がった。





 私と章人さんの出会いは、すこしだけ変わっているかもしれない。


 去年の四月、私が高校生になったばかりの頃。今でこそ友達の多い私だが、まだ初々しかったあの頃は、入学初日からどんどん新しい友達を作るクラスメイトたちとは対照的に、人見知りのためになかなか友達ができずクラスに馴染めなくてつらかった。人が恋しかった。会話に飢えていた。

 だからなのかもしれない。いつものようにバスに乗って帰宅している途中、隣の席に座っていた男の人が読んでいる小説が私の敬愛する作家の作品であることに気づいたとき、なぜか私は咄嗟にその人に話しかけてしまった。コミュニケーションに飢えすぎた結果がこれだった。あの時の自分は、ちょっとおかしくなっていたんだと思う。

「それ、麻村里穂さんの…」

 衝動的にそこまで言って、そこでやっと、自分が全く知らない人に話しかけているという事実にびっくりしてしまって何も言えなくなった。

「そ、うですけど…」

 突然見知らぬ女子高生に話しかけられたその男の人も、心から申し訳なくなるくらい動揺してしまっている。ごめんなさい、と謝ろうしてすぐに、でも逆に知らない人ならどう思われてもいいやと思い、急に気が楽になった。そして、あの時ほとんど無敵になっていた私はただただ軽率にその人に話しかけ続け、そのうち彼も絆されていったのか少しずつ話してくれるようになった。

 挙句の果てには、連絡先交換しましょうよ!ととてつもなく軽いノリで連絡先を迫り、交換してしまった。そこで初めて、章人という彼の名前を知ったのだ。

 別れてから、もしかしたら変なナンパだと思われたのではないかということに気づいて一人で恥ずかしくなった。

 しかし、私の予想とは裏腹にあの日から私たちのやりとりは続き、家が近いことが判明してからは毎週日曜日は家の近くにある公園で落ち合って、どうでもいいような話をするのがお決まりになっている。




 章人さんのことが好きだと気づいたのは、多分出会ってから半年くらい経った頃だと思う。


 登校するときも、授業を受けているときも、家に帰ってきても、ずっと章人さんのことを考えていることに気づいた。そして彼のことを考えているとき、私は言いようのない幸福感に包まれていることにも。この気持ちが友情を超えた何かであることは確かで、でもその時はまだ、なんて言えばいいのかわからなかった。

 でも毎週章人さんと会って話をして彼のいろいろな部分を知っていくうちに、あ、好きなんだ。とすんなり理解した。

 私はこの人が好きだ。どうしようもなく。

 その頃にはすでに、結構手遅れだった。私はあまり恋をしてはいけない部類の人に恋をしてしまったのだ。

 だって彼は大人で、私は子供。私に手を出した瞬間に彼は犯罪者だ。どう考えても最悪すぎる。こんなの健全な恋愛じゃない!

 同学年の友達は同学年や1、2歳上の先輩で好きな人を作って付き合ったりしているのに。私だってできることならそうしたいけど、どうしても学校の人のことは恋愛対象として見れない。章人さんがくれるあの安心感を、彼らが持っているようには思えなかった。


 一時は、この年の少女にありがちな年上の男に憧れるやつね~と自分を客観視して落ち着かせようとしたが、章人さんに会うとやっぱり駄目だった。好きだ、と思ってしまう。あの笑顔はずるい。


 彼は私に性欲とか、それに似たものを向けてこない。すごく安心するけど、同時に少し悲しい。私のことを恋愛対象として見ていないことは、とっくにわかっていた。

 でも諦められないのだ。結局2年生の12月になっても学校で好きな人はできないし、私はただただ拗らせていくだけだった。


 彼が他の人と付き合ってしまうのではないかという不安がないわけではない。でも彼はいわゆる陰キャの部類で、意外にも年齢イコール彼女いない歴系男子なので、私はそこに関してはあまり心配していない。でも顔は綺麗だし優しいし、付き合いたいと思う人が出てきてもおかしくない。彼は単に出会いに恵まれないだけなのだ。だから、すこし、ほんのすこしだけ怖い。



 でももっと怖いのは、最近彼にあまり元気がなさそうなことだ。


 原因は多分、仕事のこと。


 章人さんはあまり仕事の話を積極的にしたがらない。

 だから私が知っているのは、彼は地元である新潟の高校を卒業してすぐに上京してきて、それから今に至るまでずっと同じ工場で働いているということと、その職場に嫌な先輩がいて、その人が毎日のようにパワハラまがいのことをしてくること。それくらいだ。

 その嫌な先輩というのが彼のストレス要因になっていることは、薄々私もわかっていた。でもただの学生である自分が軽率に転職をすすめることもできないし、何より章人さんは仕事の話をすることも、されることも嫌そうだった。

 でも彼が疲れをため込んでいるのは確かで、最近輪をかけて酷くなっていることにも、私は気づいている。

 何かしなきゃとは思っているものの、彼の嫌いな仕事の話をわざわざ持ち出したことによって彼を不快にさせてしまうのではないかと思うと、怖くて何もできない。

 だから私は最近、彼の以前にも増して弱々しい笑顔を見て見ぬふりしてしまっている。




 数日前から、送ったメッセージが既読にならない。さすがにこんなに反応がないのは初めてで、不安になった。

 最後に会ったのは3日前。あの時はどうだったっけ。かなり疲れていて、でもそれを悟られまいと頑張って作ったような笑顔をしていた、気がする。


 悪い想像が止まらなくなってしまう。


 学校にいる間もずっと、そのことが気がかりだった。

 電話してみようか。いや、でも忙しくて見れてないだけかもしれないし…。まだもう少し待ってみても…。

 そうしてうだうだしているうちに、いつの間にか返信が来ていた。まずはそのことに安堵した。よかった。

 文面だけ見るといつも通りで元気そうだったけれど、やっぱり漠然とした不安は拭いきれなかった。直接会って話をしたい。そうしないと本当の安心なんてできない。ああ。次の日曜日が遠く思える。


 そこで気づいた。


 その前にクリスマスがある。これを口実に会いに行けばいいのでは、と思った。

 どうせ彼も仕事が終わったらその後は予定など無いだろうし、私も親に友達と出かけてくると言えば会いに行くことが可能だ。放任主義の家でよかった。

 メッセージを通してクリスマスに予定があるか聞くと、特にないけど仕事があるから夜しか空いてない、と返ってきた。私が珍しく平日に会おうと誘った理由は、特に聞かれなかった。

 でもやはり、多少の心配はされるものだ。

 家族とかと過ごさないの?と聞かれたが、そこに関してはなんとか誤魔化した。




 クリスマス当日、私は朝から緊張していた。

 今日は、ただ章人さんと会っていつものようにだらだらと喋るだけじゃ駄目だ。何かしらアクションを起こさなければいけない。そうしなければ、私はきっとこれからもモヤモヤしながら日々を過ごすことになり、そのうち章人さんの精神が限界に達してしまうかもしれない…そんなことは考えたくないけれど、とにかく私は焦っていた。

 朝からそんな調子なので、友人たちとクリスマスの話になり、誰と過ごすのと聞かれても「好きな人」と無邪気に言うことはできなかった。


 授業なんてろくに聞かず、ずっと会話のシミュレーション。その場のノリでどうにかできることではないとわかっているからこうやってずっと考えているけれど、どれだけ頭を使っても良い言い方が思いつかない。それでも。それでも考えなければいけない。章人さんの疲れた笑顔を思い出して、胸が痛む。


 全く身が入らなかった部活も終わって学校から帰る途中、章人さんからメッセージが送られてきた。


『本当にごめん!今日仕事長引きそうだから会えないと思う。また今週の日曜に話そう』


 嘘だ。直感的にそう思った。

 おそらく彼はいつも通りの時間で仕事を終えているし、今一人で家にいる。

 そんなしょぼい嘘で私を騙せるはずがないでしょ。なんだか無性に腹が立ってきた。いくらチェリーボーイだからって、女の勘を舐めてもらっちゃ困る。

 でも、彼が嘘をついた理由が少しだけわかった。彼はきっと、誰にも会いたくないのだ。

 今週の日曜と言っているが、彼はまた何かと理由をつけて会ってくれないだろう。そんな確信めいた予感があった。そのうち彼がふっと姿を消してしまいそうで、それがものすごく怖い。

 それを止めるために私が何かをできるのは、もう今日だけしかない。

 そちらが来ないなら、私が行くだけだ。私は彼の家に行くことにした。



 元から住んでいるところは近いし、成り行きで彼の家は教えてもらっていた。途中でコンビニに寄って、割引になっていた1ピースのショートケーキを二つ買う。昨日がイブだったから、今日は少し安くなっているのだろう。

 暗い空に真っ白な息が映える。寒い。冷え切った風を受けた体が縮こまる。はやく章人さんに会いたい。あの人の温かさが欲しい。




「こんばんは」


 インターホンに映る私を見て、章人さんは傍から見てもわかるくらい動揺していた。

 さすがに追い返されたりすることはなく、彼は観念したといった様子で私を家に上げた。


「ごめん。ほんとごめん。そんなつもりじゃなくて、別にいやだったとかそういうわけじゃなくて」

 彼は見るからに狼狽えている。私が怒ってないよと言っても謝るのをやめない。私はため息をついた。

「別にいいからそんなこと。そんなことよりさ、ケーキ食べよう。ちょっとはクリスマスっぽさ出るでしょ」

 私がそう言うと、章人さんはまだ何か言いたげにしていたが、やがて諦めたのか黙って頷いた。




「最近、うまく話せなくて」

 こぢんまりとしたローテーブルでケーキを食べながら、章人さんがぽつぽつと話し始めた。

「話すのは楽しいんだけど、その次の日のこととか考えたらやっぱり気持ちが暗くなる。だからそのことしか考えられなくなって、話してても、あー俺全然ダメだ、話せてないってなるんだ」

「…ちゃんと、話せてると思うけど」

 私がそう言うと、章人さんは困ったように笑った。

「ありがとう。でもやっぱり、せっかく会って話してくれてるのに、俺が勝手に暗くなって心から楽しめてないのは君に対して失礼かなって。そんな状態の俺と話してても、君は楽しくないかなって思っちゃって」

「あのさあ!」

 思わず声が大きくなる。

「別に私は章人さんにうまく話すこととか、そういうの何も求めてないから。そうやって、私の気持ち決めつけるほうが失礼だよ」

 まさかいきなりそんなことを言われるとは思ってもみなかったのだろう。彼は困惑しているようだった。それでも私は続ける。章人さんの目を真っ直ぐに見つめながら。

「私はただ…章人さんに会えたら、それでいいの。話さなくても、一緒にいられるならそれでいいよ。気が向いたら、何か話せばいい。最近食べて美味しかったものとか、しょうもないギャグとか、仕事の愚痴とか」

 仕事、と言った瞬間に彼がさっと目を伏せたのが分かった。

「ねえ。私、今まであんまり言わないようにしてたけどさ、やっぱり心配だよ。私なんかに愚痴ってもって思うかもしれないけど、一人で抱えこむくらいなら言ってほしい。これ以上、章人さんが弱ってく姿見たくないよ」

 言いながら、泣きそうになる。どうか、届いてほしいと思う。この言葉が、彼の心にしっかりと届いてほしい。こんなに素直にものを言ったのは初めてだ。それくらい、本気で彼に受け取ってほしいと思っている。

 章人さんも、いつの間にか私を見つめ返してくれていた。少し驚いているようだったけれど、彼も私を真っ直ぐ見つめている。そして、彼は再びゆっくりと話し始めた。

「君も、わざわざ週末に会って僕の仕事…っていうより先輩の愚痴聞かされるのは嫌かなと思ってたんだけど」

 彼は笑っていた。ただし、疲労の色が見えるあの弱った笑顔ではない。憑き物が落ちたような、清々しい笑顔だ。

「お言葉に甘えて、これからは少しだけ愚痴らせてもらおうかな」





「そういえばこのケーキ美味しいね。そんな甘くないから食べやすい」

「えーそうですか?私はもっと甘いほうが好きだなあ」

 ケーキを咀嚼しながら、部屋を見回した。来たばかりのときはあまり意識していなかったけれど、今こうやってまじまじと見ると、いかにも一人暮らしの部屋といった感じで少し笑ってしまった。

「え、なんで笑ってんの?もしかして女っ気なさすぎ笑とか思ってる?ねえ馬鹿にしてる?」

「そうかもしれないね」

「 傷つくよホント…」


 嬉しい。久しぶりに彼とこういう会話ができて、幸せだと思った。



「さっき、仕事のこと愚痴らせてもらうって言ったんだけど…」

 テーブルを拭きながら、章人さんが言った。

「実は僕、転職しようかなって思ってるんだよね」

 私はびっくりして、え!?と素っ頓狂な声をあげてしまった。それと同時に、なんだか心が晴れた気がした。

「めちゃくちゃ応援します!章人さんまだ若いからこれからなんでもできるよ」

 章人さんが柔らかく微笑んだ。

「ありがとう。そうだよね、あんな人とこれ以上一緒にいてもどうにもなんないし。何より僕はまだ若いからさ!今からでも俳優とか目指そうかな」

「え、なりたかったの?」

「いや別に」


 それから私たちはだらだらといつものようにくだらない話をした。久しぶりに、私たちの間に穏やかな時間が流れていた。




「うわ。もうこんな時間」

 スマホの画面には、20:03と表示されていた。少し開いたカーテンの隙間からも、すっかり暗くなった空が見える。

「わ、本当だ。家まで送っていくよ」

 慌てて立ち上がってコートを羽織る章人さんの後ろ姿を見ていたら、なんだかどうしても抱きつきたくなった。でも、まさか行動に移してしまうとは自分でも思わなかった。

「え」

 驚いて振り返った章人さんに顔を見られたくなくて、冬の匂いがする彼のコートに顔をうずめる。

「どした…?え?」

 章人さんがおろおろし始めてしまったので、私は彼から体を離す。向き直った彼の瞳の中に困惑と、それとは別のなにかも見えて、そんなことでも私は嬉しかった。

「あったかそうだなって思って」

 私ははにかんだように笑った。こういうときは素直になれないのだ。それでも大丈夫。いつか、絶対に本当の気持ちを言える。

「うん、あったかいよー。大丈夫?出れそうかな」

 少しぎこちない彼の声に、私は頷く。こういうときに手を出してこないところが彼らしくて、胸がきゅっとなる。




「ありがとう、本当に。君がいてくれてよかった」

 歩きながら、章人さんが言った。そんなセリフを素で言えちゃう人なのだ、彼は。かなりさらっと言うので、不思議と言われても照れない。

「うん。頑張ってね、いろいろ。とにかくストレスため過ぎないこと!」

「はいわかりました。頑張るよ」

 私の家が見えてきた。もうちょっとで、お別れ。

「ねえ」

 章人さんの声が少し緊張を帯びる。でもなんとなく、いやな緊張ではなさそうだった。

「純粋に疑問なんだけど、なんで俺のことそんなに心配してくれるの」

 彼の少し赤くなった顔を見て、彼は多分、私が思っているより鈍感ではないんだなと思った。「あなたに会えればそれでいい」とかほとんど告白みたいなセリフだったし、ついにはさっき抱きついてしまったけれど、彼はもう気づいているのだろうか。

「まあなんだっていいじゃないですか」

 私は意味ありげに笑って、少し歩くスピードを速める。

「あ、待ってよ!」

 章人さんが負けじと早足でついてくる。

「来年ね」

「え」

「来年教えてあげるから」


 私は家の前で立ち止まり、くるっと章人さんへ向き直った。


「来年のクリスマス、またこうやって二人で過ごそうよ」


 章人さんは一瞬ぽかんとしていたが、すぐにあの柔らかい控えめな笑みを浮かべてしっかりと頷いた。


 来年こそは、言えますように。

 そんなことを思いながら、私は彼に別れの挨拶をする。


 外は凍えるくらい寒かったけれど、今の私たちはちゃんと温かさに包まれていた。

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