私の彼氏はだらしない

柿井優嬉

私の彼氏はだらしない

「もー」

 私の彼氏の冬馬はだらしない。デートはしょっちゅう遅刻するし、髪は起きたままという感じでいつもボサボサだし、一人暮らししている自宅に行くと必ず散らかっている。

 しつけが厳しかった母のもとで成長してきた私は、その部屋を訪れるたびに頼まれてもいないのに掃除をしてしまう。そうすると甘えて余計に自分でやらなくなるとわかっているのに、我慢できないのだ。ただ、私が綺麗にしないとゴミ屋敷になるかもしれない。それくらい冬馬は、よく言えば物を大切にして、取っておくのである。

「あ、ちょっと、それ捨てないでよ」

 また私が室内を整理していると、冬馬が言った。

「え?」

「その、ガムのボトル。何かに使えるから」

「何かって、何?」

「わかんないけど」

「だからー、そんな調子だからどんどん物が増えていって部屋が汚くなるんじゃない。捨てるよ」

「駄目だって」

 冬馬はガムのボトルを私から奪って、大事そうにテーブルの隅に置いた。

「まったく」


「ほんと嫌になるよ」

 私は友人の敦美に冬馬のグチをこぼした。

「へいへい」

「なに、その返し」

「もうのろけは聞き飽きたってこと」

「え? どこがのろけなのよ」

「だって、堪えられない、別れる、って悩んでるレベルじゃないんでしょ? それなのに顔を合わせるたんびに彼氏の話をされたら、そりゃのろけだって思うよ」

「あ、ごめん」

「いや、別にいいけどね。私もそこまで嫌なわけじゃないから。でも、こっちの気持ちにちっとも気づいてないみたいだから、ちょっと雑に答えたの」

「そうなんだ。……やっぱりごめん」

「いいっつーの。そうやってすぐに落ち込まない!」

「は、はい」

 そこで、近くから声が聞こえてきた。

「やだね、浮かれちゃって」

「バッカじゃない」

「初めて付き合えたから、嬉しくてしょうがないんだよ」

 三人のその彼女たちは、私たちが今いる大学で同じ学部の同級生だ。私と敦美、彼女たち、そして冬馬も、ここの付属の高校から一緒で、よく知った間柄なのである。

「なんで冬馬くん、あんなのと交際することにしたんだろ?」

「ねー、あんなブスと」

「だから、今言ってたじゃん。容姿が劣るぶん掃除してくれたり、使えるからだよ。本気で彼女だなんて思ってないに決まってる」

「なるほどー」

「ちょっと、あんたたち!」

「いいよ、敦美」

「だって」

「おー、こわ。行こう」

「うん、うん」

 そして三人は教室から出ていった。


 その日の講義が終わって帰りの道で、敦美が私に問いかけた。

「なんか元気ないみたいだけど、どうかした?」

「うん……」

「昼間の悪口? 嫉妬してるだけでしょ、あんなの。気にすんなって」

「でも、冬馬、本当になんで私となんか付き合ってんだろ? あのコたちが言ってた通りなのかな?」

「違うでしょ」

「ほんとにー? 私みたいなブスを純粋に好きになる?」

「なったんでしょうよ」

「ねえ、正直に言って。どういうつもりだと思う?」

 すると、敦美は考えるような表情になった。

「やっぱり何かあると思ってるんじゃん」

「いや、大丈夫だと思うよ。思うけど、一つ、可能性としてね……」

「なに? 大丈夫だから、はっきり言って」

「あんたのとこ、お金持ちでしょ? もしかしたら、それが目当てっていうか……」

「ええ?」

 確かに私の家は、裕福でないと言ったらふざけるなと怒りを買ってしまうくらいではある。

「冬馬、あんなだし、バイトもあんまりやってないんでしょ?」

「うん」

「あいつの実家だって、高校と大学を学費が高い私立のところに通わせられるくらいなんだから、貧しくはないだろうけど、大人になったらお金の面倒は一切見ないって親から言われてるかもしれないし、困ったら頼ろうって考えてるっていうのも、なきにしもあらずかなって……」

「そっか……」

「いや、あくまで、それも最悪の、可能性の話だよ。普通に好きなはずだよ、うん。絶対にそう!」

「……」

「ごめん、嘘だよ」

「ううん。言ってくれてありがとう。十分あり得るよ。思ってなかったところからそうだって判明したら、ショックでおかしくなるかもしれなかったから、ほんとありがとう」

「待って。決まったわけじゃないからね?」

「わかってるよ。でも、客観的に『あるな』って、自分でも思う。心配しないで、大丈夫だから」

 そう口にしながら、動揺と不安で、私はどうかなりそうだった。


 彼女たち三人は意地悪だけれど、私の容姿が平均よりかなり下なのは事実だ。幼い頃、何人もの男のコにもブスと言われた。

 あの三人と私と敦美と冬馬のなかで、私と冬馬だけ高校時代に一緒のクラスになっておらず、よく知らない関係だった。つまり性格だってよくわかってないというのに、冬馬から私に付き合ってほしいと告白して交際が始まったのだ。冬馬はひいき目でなくルックスはいいし、運動はできるし、優しいから特に女性に人気だし、そんななのに、それまで一度も男性に思いを寄せられたことがない、容姿だけじゃなく取り柄もない、私なんかを好きになるはずがない。三人のコたちか敦美の言う通り、何か自分に都合がいいからに決まっている。

「どうしたの?」

「え?」

 部屋の片づけをしていたら、冬馬が話しかけてきた。

「どうって、散らかってるから綺麗にしてるんでしょ。いつものことじゃない」

「そうだけど、表情がなんか暗いなーと思って」

「……あのさ、冬馬、バイトしないの?」

「え? してるじゃん」

「ちょっとでしょ。普通みんなもっとしてるよ」

「だって十分生活できてるんだもん。学生なんだから勉強のほうが大事でしょ」

「勉強だって、別に言うほどやってないじゃん」

「いいじゃんか、大学生なんだから。就職したらこうはいかないんだから、のんびりでさ。バイトや勉強に熱心だったら、幸子と会う回数減っちゃうよ。いいの?」

「そうか。冬馬は楽をするのが一番で、もっとそうできるように私と付き合うことにしたんだ」

「はあ?」

「こうやって私が片すから、掃除する手間が省けるもんね?」

「なに、勝手にやってんじゃん。俺、一度も片づけてなんて頼んでないよ」

「じゃあ、訊くけど、私のどこが好きなの?」

「えー……別にどこなんてないけど」

「ほら。私がいるとメリットがあるってだけなんでしょ?」

「違うよ。好きなのは好きだからで、理由なんてないんだよ。俺はあるほうがおかしいと思うけどな」

「ええ? 意味わかんない」

「だって、例えば芸能人ですごい美人の人がいて、綺麗だなと思っても、それとときめくかは別でしょ。幸子だって、例えば筋肉がモリモリの人がタイプだとしても、じゃあマッチョな人全員に恋心が芽生えるわけじゃないんじゃない? 細くてガリガリの人なのにいいなって思ったりもするよね? そういうもんだよ」

「……そんなこと言って、私のいいところが思い浮かばないだけでしょ!」

 バカな私は理詰めでは勝てないと思って、声を荒らげた。

「こんなブスで、今まで他の誰にも好きになんてなってもらったことないのに。絶対何か魂胆があるに決まってる! だまされる前に、傷つく前に、別れるー!」

「ちょっと、どうしたのって」

「うるさい! 自分は顔がいいと思って、何でも言うこと聞くと思ってんでしょ。怠け者の、女たらし!」

 私はそう言い放って、冬馬の部屋から飛びだしていったのだった。


「はー……」

 自分の家の部屋で布団にくるまって、落ち込んだ。

 何やってんだろ、私。冬馬はずっと何も変わってないのに。冬馬は顔で人を判断する人間じゃないってわかってるのに。

 だけど、それでもやっぱり、なんで私なんか? 他にもいいところなんてないのに。今日ああならなくても、不安で、どっちみち同じようなことをやらかしたよな。

 何にしても、どうしよう……。いいタイミングだから、身を引こうかな。


 それから数日間、あーだこーだと似た思考を巡らせた。

 そして夜、寝た体勢からガバッと起き上がった。

 やだ。やっぱり冬馬と別れたくない!

 私は彼の住むアパートへ走っていった。

「冬馬……」

 ゆっくりドアを開け、恐る恐る中をうかがうと、普通まだ眠る時間ではなかったが、ベッドで横になっている姿が目に入った。

 私は静かに足を踏み入れ、いつものように片付けを始めた。今日は罪滅ぼしのような気持ちだった。

「ねえ」

 その最中、今まで冬馬から聞いたことのない低い声をかけられた。

「え」

 私はビクつきながら振り返った。

「それ、捨てちゃ駄目だって言ったよね?」

「え? ああ……」

 私は、片手にゴミ袋、そしてもう一方の手に持っていたのはガムのボトルだった。

「ごめんなさい」

「ゴミじゃないってのは、感触でわかると思うけど」

「ああ」

 確かに、中にまだ入っていた。

 あれ? でも、ガムじゃないような……。

「いい使い道、思いついたんだ。それ、プレゼント。開けてごらん」

「プレゼント……?」

 私は言われた通り、そのふたを開けた。

「え……」

 そこには指輪が入っていた。小さいけれど宝石がついた、そこそこ値が張る感じのものだ。

「俺、実はこっそり別のバイトもやってたんだ、それを買うために。幸子を驚かせたかったからさ」

「……でも、なんで? 私、もうすぐ誕生日でも何でもないのに」

「誕生日間際なんかだとバレるだろ。それに、記念日とか俺そんなに気にしない。ちょっと前に指輪を目にする機会があって、幸子にあげたいなと思ったんだよ」

 ……。

「ごめんな、俺が気持ちを伝えないから、不安にさせちゃって。でも、あんまり好き好き言うほうが嘘くさくない?」

 私が勝手に騒いだだけなのに、怠け者とか女たらしだなんて言ったのに……。

「指輪ありがとう。それに、こっちこそごめんなさい……グスッ」

「いいよ、いいよ。泣かないの。そうそう、この前言ったように、好きなのに理由なんてないけど、幸子のそういう感受性が強いとこ、俺好きかも。高校のとき、行事や何かで感動するようなことがあると、すぐそうやって泣いてたよね? 違うクラスだったけど、俺、何度か見てさ。可愛く見せるための涙じゃなくて、そうやって顔をクシャクシャにして。いいなって思った覚えがあるよ」

 私の彼氏はだらしない。

 だけど、最高な人だ。この人に嫌われないように、私は私らしく堂々と、そして魅力的になれるように一生懸命生きよう。

 そう誓った。

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