エピローグ

 白い月が輝く冬の夜空へ、千尋ちひろの魂はゆっくりと昇っていった。

 それは吸い込まれるように星々の群れへと溶け、やがて輪廻に還るのだ。




 それを見送った黒衣の青年の長い睫毛が影を落とし、淡い憂いが瞳に宿る。

 彼はそっと踵を返し、千尋の気配が消えた室内へと視線を戻す。

 そこでは、蒼一が幼さの残る息子の頬を両手で包み込み、何度も名前を呼び、双葉が崩れ落ちるようにその亡骸を抱きしめ、しきりに肩を震わせている。

 

 今のふたりは深い喪失感に苛まれているだろう。だがその姿にはどこか祈りにも似た強さが窺えた。

 きっとふたりならば心配はない。支え合い手を取り合って、千尋の分まで強く生きていくのだろう。

 新しく生まれる命と共に。




 だが、部屋には気配がもうひとつ。


 黒衣の青年は静かに眼を細める。

 千尋が眠るその足元に、女性がひとり立ち尽くしていた。

 流れる黒髪、千尋とよく似た細い面。凛とした眼差しは今は虚に伏せられている。

 十二年前に亡くなった千尋の母、千歳ちとせだった。


 千歳は、泣き崩れる夫と後妻をそっと見つめていた。

 この十二年間、千歳はこの家にいてずっと見つめていた。

 幼い我が子がひとりで泣いてはいないか、夫が壊れてしまわないか。

 身重みおもにも係わらず気負ってばかりの双葉が心配で、その枕元に何度も立った。


 けれど今、千歳を縛るものは最早なにもない――

 


 

「迎えに来ました」

 そんな千歳の前に黒衣の青年が音もなく歩み寄り、そして静かに片手を差し出す。

 千歳はその手を見つめ、深く頷くと、その表情を雪華ゆきのはなのように静かにほころばせた。

 同時に千歳の姿はふわりと解け、柔らかな輝きを纏い天へと昇ると、先に行った息子を追いかけるように真っ直ぐに飛んで行く。

 黒衣の青年の瞳に、星の瞬きを残して。

 



 楡の木のいちばん高い枝先に、大きな鴉が一羽。

 生死いのちの神は、新たなる旅路へ向けて闇夜にその羽を広げた。




  完



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いのちのかみさま 成田紘(皐月あやめ) @ayame

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