シャンプーとコンディショナーの未来

上田ミル

夢で変えた歴史と、現実で変えた恋

「ねえ、二人とも聞いてよ! シャンプーのボトルに間違えてコンディショナー入れちゃったよ!」


「うへー、そんなことやる人いる? いましたね、目の前に!」

「おやまあ、友香ともかったらあ、やっちまいましたね!」


「しかも結構高いやつだったから捨てられなくてそのまま使ったら……髪がキシキシすぎて死にそう!!」

「どれどれ……うわっ、指が通らない!」


 すごく元気そうに見えるけど、実はめっちゃ落ち込んでる。今川友香(あたし)、高校2年生、ただいま絶賛ヘアピンチ中。


 シャンプーはまだ半分くらいボトルに残ってたし、コンディショナーはYouTubeで大流行の高いやつだったから、家族にもすごい怒られた。


 こういうときは友達に話して笑い話にするのが一番!

 予想通り二人ともゲラゲラ笑ってくれて、あたしもすこーし気が晴れた。まあ、こうなったらシャンプーインコンディショナーは捨てるっきゃないよね。(しょぼーん)


 さて、日本史の授業だ。教科書を机上に出して用意していたら。


「ねえ、さっき言ってたやつ、捨てるのなら僕にくれない?」

 小声で話しかけてきたのは隣の席の平田義孝よしたかくんだ。ちょっと長めのくせっ毛にメガネの、第一印象“地味”な同級生。


「えっ?」

 あたしはびっくりした。普段あんまり話しない子なんだもん。


 義孝くん、急に顔を真っ赤にして

「あ、いや……使うならいいんだけど……」

 って俯いちゃった。


(え、待って。もし義孝くんがそれ使うってことは……うちには同じ香りの予備もあるし、同じ匂いになるってことじゃん!?)


 考えるだけで恥ずかしさが爆発した。

(うわああああ! 無理無理無理無理!! バレたら死ぬ!!)


 彼氏いない歴17年の超絶人見知りのあたし。男子、ってだけで緊張してうまく話せないくらいなのに同じ髪の香り? 無理無理ぃ! 人に気が付かれたら恥ずかしい! 学校に来れなくなっちゃうよ!


 って思ったし、実はそれだけじゃなくて、本当は――

(実は、義孝くん、ちょっといいな、って思ってたんだよね……)


 他の男子みたいにうるさくないし、頭いいし。背も高いの。あと、歴史が好きみたいで趣味が合いそうだなーとは思ってたの。


(だからもし変な噂で迷惑かけたら嫌だ……嫌われたら最悪だし!)


 一人で赤くなったり青くなったりしてるうちに先生が来て授業が始まった。

 静まれー静まれー我がハートよ!


「じゃあ56ぺージ開いて。今日は平家物語の源平がっしぇん合戦から」


 お年を召したおじいさん先生の声はポソポソしててすごく眠くなるのよねえ……ハートは静まったけど。うーん、本当に……すごく……ねむ――――


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


「巴!! 気をしっかり持て!!」

「はっ!?」

 あたしは気が付くと馬に乗って爆走中だった。両隣には大河ドラマで見たような二人の鎧武者が馬に乗って並走している。なにこれ? あたしも鎧着てるし、なんかあちこち傷だらけ! 痛い!


「巴! 次の集落で馬を休ませるぞ! そこまで気を抜くな!」

「……は、はい!」

 すごい気迫で言われてつい返事してしまった。親にもこんな大声で言われたことない――これ、夢だよね?


 ってか、目の前の人……知ってる!

 源義仲(木曽義仲)さん、享年31歳ーーーーー!!


 どうやら夢の中であたしは巴御前になって、義仲さんといっしょに落ち延びている最中らしい。なんで!?


 この夢、すごいリアルだけど、あたしの中に状況がどんどん浮かんでくる……。


 寿永3年(1184年)1月21日。……つまり今日、義仲さんが死ぬ日だ。

 遠くに見えるのは琵琶湖。宇治川の戦いでボロ負けして、少数で山道を逃げてる真っ最中。横田河原の戦いでは6万の平家軍を数千でぶっ倒したスーパースターなのに、頼朝に警戒されて「逆賊」扱いされて追われるハメに……。


 京都では「朝日将軍」って呼ばれて民衆に大人気だったのに、政治のドロドロに巻き込まれてこんなことに。有能すぎるのも罪だよね……ほんと。


 うわ、追手の声が近づいてきた。怖すぎる。この夢、リアルすぎ。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


 木々が生い茂って薄暗い山道の途中で、とうとう義仲さんが馬を停めた。


「鎧が重うなったわ」


 あたしも、兼平さんも停めた。三人とも呼吸が荒い。ずっと馬で走りっぱなしでヨレヨレだー。


 義仲さんは、兜のせいであまり顔は見えないけど、目元がキリリとした美男だ。教科書で紹介されてたとおり。でも「見目は良いけど頭おかしい(意訳)」とか書かれてなかったっけな。そんな風には見えない、立派なお人だと思う。


 兼平さんが指をさした。

「もはや我らに軍勢はなく、気が落ちてしまわれたのでしょう。あちらは粟津の松原と申します。それがしがしばし弓で敵を防ぎます。その間に殿はあの松林の中に入られ静かに御自害なさいませ」


(あー、歴史通りだ……もはやこれまで、というやつだ)


「わかった。巴、そなたはここで去れ」

「えっ?」

 義仲さんがあたしに向かって言った。そういえば、巴御前は途中で離脱して生き残るんだっけ?


「木曽殿は最期まで女を連れていたなどと知られるのは御免だ。敵方の馬が近づいておる。さあ、早く!」

 満身創痍の主君がそう言ってる。鎧にはいくつも矢が突き立って、全身草と泥にまみれ、顔からは汗と血が縞模様みたいになって流れてる。


 言葉はきついけど、あたしを見る瞳は優しい。『生きてくれ』と心では願ってくれているのがわかる。そんな姿を見ていたら、胸が詰まりそうになって、あたしの中で本物の巴御前の感情が沸き上がった。


『嫌だ、最期までいっしょにいたい。貴方様を残して一人で生き延びたくはない。

 小さなころからずっと好きだった貴方様と共に地獄の果てまでも――』


(そうか、巴御前はこういうこと思ってたんだ――)

 彼女は主君の温情も理解していた。生きて自分の菩提を弔ってほしい、と言う主君の意図を汲んで、最後のご奉公と言って敵将の首をねじきって落ち延びる。それが平家物語『木曽最期』の段だ。


 ――でも。




「これは夢!」

「「……なんと?」」

 義仲さんと兼平さんがびっくりした。


 あたしはきっぱりと言った。

「夢なんだから、別の道を選んでもいいよね、そうしましょう! 義仲様、兄様、あの松林は行ってはいけません。深田に足を取られ、馬が動けなくなってしまいます。それよりも三人で追手の少ない方を突破いたしましょう!!」


 そう、夢だから、死なないルートだってあるかもしれない。

 あたしの中の巴御前も『よく言った!』って思ってる! 気のせいかもだけど。


「……何を言っている?」

「夢? 神仏のお告げか?」

 お、兼平さんからいいヒントきた!


「そうです! 今、お諏訪すわ様のお告げが降りました。ここから離れましょう。そうすれば生きる道が開きます!」


 そう、このへんは現在の滋賀県大津市晴嵐。ここが没地になってるから、ここから離れれば死亡ルート回避できるんじゃない?


 義仲さんと兼平さんはお互いに顔を見合わせた。死ぬときは共に、と誓い合った主従は苦笑していた。


「まるで巴とは思えぬことを言う」

 これは義仲さん。笑ってる。

「そなたの気持ちはよくわからぬが。なにか考えがあるのだな?」

 そう言ったのは兼平さん。


「はい、わたくしに付いて来てくださいませ! 露払いいたしまする!」

 ――その瞬間、あたしの意識は途切れた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


「今川ー、今川友香ー!」


(あ、今川さん、あてられてるよ!)

「はっ!」

 

 ブレザーの裾を引っ張られてハッと顔を上げる。義孝くんが小声で助けてくれた。よだれをサッと拭って、慌てて手を挙げる。


「はい! 宇治川の戦いです!」

「しぇいかい!(正解)」

 セーフ! おじいちゃん先生は呂律があまりよくないんだよね。


(……歴史、変わってないよね?)

 あたしは急いで教科書をペラペラとめくった。木曽最期の内容はまったく変わってなかった。

 義仲さんは松林の深田が凍っていて気が付かずに馬で入り込んで身動きが取れなくなり、顔に矢を受けて亡くなった。それを知った兼平さんは自害した、ってなってる。


 二人ともすごい武将だったけど、結局あの後どちらも助からなかったんだな……

 そうよねえ、夢だったんだもの、現実が変わるわけないか――


 いや、現実に変わったことがひとつある。

 あたしの気持ちだ。


 命を懸けて誰かを想う気持ちに触れて、恥ずかしいとか人目がどうとか、すごく小さく感じた。――だから、もう逃げない。


 メモ帳にサラサラと書いて、丸めて義孝くんにポイ。ドキドキしすぎて死にそうだけど、一度っきりの人生だもん。

 義孝くんがこっそり開いて、びっくりした顔でこっちを見て――笑ってうなずいた。メモにはこう書いてあった。


『さっきのシャンプーインコンディショナー、明日持ってくる。下駄箱に入れとくね』


 その笑顔に、なぜか義仲さんの笑顔が重なって、あたしは目をこすった。

(まさか……ね)


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


 ――数日後――


「で、あの混ざったやつ、本当に使ったの?」

「使ったよ。実は僕肌弱いから、洗浄力弱まるならボディソープにちょうどいいかなって」

「へぇ~、そういう使い道あったんだ」

「洗いあがりがちょっとぬるぬるしたけど、普通に使えたよ」

「くすくす」


 そんな感じで義孝くんと普通にしゃべれるようになってさ、義孝くんはあたしの初彼氏になった。

 後から聞いたけど、彼もあたしにシャンプーほしい、っていうのすごくドキドキしてたんだって。断られたらもうまともに顔見れなくなってたかも、ですって。


 勇気出してよかった!! って心の中で大声で叫んだよ……。

 

 それからは一緒に自転車で登下校するようになって(友達にヒューヒュー言われた)、高校を卒業してお互いに別の会社に就職してからもずっと連絡取るようになって……。


 今は同じ家で同じシャンプーとコンディショナーを使ってるのでした。(照)


 残業で遅くなる彼のためにカレーを作りながら、ふと思う。

 あの夢がなかったら、あたしはずっと自分の気持ちに蓋をしたままだったかもしれない。ほんのちょっとの勇気が、運命を変えた。


 だから、夢の中の三人が、運命を変えてうまく落ち延びた世界線がひょっとしたらあるかもしれない。

 そして生き残って子孫がずっと続いて目の前でカレーをおかわりする。

 そう考えた方が素敵だよね?


 ――終わり――



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 後書き:最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 2024/10/27 の近況ノートに、友香が混ぜてしまったシャンプーの実物写真を掲載しました。裏話もありますのでよかったらご覧になってね。

 https://kakuyomu.jp/users/yamabudoh/news/16818093087479917568


※2025/11/28日追記:史実的に誤っていた部分がありましたので修正しました。その他に、くどい表現やおかしな言い回しを削除or修正しました。

 キャッチコピー、いいのを思いついたので変えました。

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