◇◇月城一颯◇◇ 慶福

 二ヶ月後、Canalsは株式市場に新規上場を果たし、その一週間後にロサンゼルス支社が立ち上がることになる。

「うわあ、日差しが強そう!」


 ロサンゼルス国際空港の自動ドアの向こう側は、いいお天気で、太陽光が建物内部まで差し込み、日差しの強さが伝わってくる。

「一颯、それ重くないか? 俺持つよ」

 籍を入れ、わたしは今、村上一颯になった。

 わたしと健司は、それぞれ巨大なトランクを押して空港から外に出るドア前にいる。健司が指す重くないか? とは、わたしが肩から下げているトートバッグのことだ。


「ダメだよ。それこそちょっと重いから、まだ健司は持っちゃダメ。そのためにわたし一緒に来ることになったんだからね!」

「もうほぼ完治してるのになあ」

 健司はわたしの過保護に、たまにため息をつく。

 IPOに携わる最後の業務処理のため、ロサンゼルス支社に先に派遣された十五人より一足遅れて、健司は現地入りすることになった。わたしはみんなと一緒に先に行かなくちゃダメかな、思っていたけど、怪我をしている健司の付き添いが必要という無理無理の一ノ瀬社長の命令で、夫婦での渡米にさせてもらった。

 自動扉が開くと、どこからともなく爽やかな潮風と、真っ青な空がわたし達を迎えてくれた。


 


 扉の向こう側は、どこまでも抜けていくような大空と、花や花びらで飾られた広い芝が眩しい。ごつごつしたチャペルの壁面に太陽光が乱反射して眩しく美しい。

 白い百合と大量のグリーンを基調に飾られた何列にも及ぶ木の長椅子。その隣の広い敷地には、飲食ができる多くの白いテーブルと椅子。子供が遊べるようなかわいく、でもセンスのいい大型のエアー遊具も設置されている。

 帰国後の日本は眩しい新緑の季節だ。


 二百人以上は集まってくれた社員や知人。仕事での取引先の方々。健司とわたしの親戚。とりわけ多いのが、健司の小中高大学時代の友達とヨット仲間だ。わたしも小学校、中学校の友達にはアメリカに行く前に連絡を取った。高校、大学時代の友達にまじり、その頃の友人も多く参加してくれた。

 アメリカからも、共同アプリ開発者のジャック初め、数えきれないほどの仕事関係の方々が来日してくださっている。


 洋ちゃんが姿を見せることはなかったけれど、電報はいただいた。そして品川の叔母さんは、最初は遠慮していたけれど、わたしの説得により参加してくれることになった。

 夕凪ちゃんは健司の衣装のダメ出し係として、衣装選びからお世話になった。そして今は、おめかししたミケとチャピの面倒を、神父さんの後ろで見てくれている。


 Canalsの創業メンバー九人とその家族は、健司の親戚方と同じ席にいる。一ノ瀬社長に至っては、親戚の子なのか、小学一、二年くらいのかわいい女の子の手を引き、隣にいる赤ちゃんを抱いた綺麗な奥さんをしきりに気にしている。

 あれから一年、わたしたちロサンゼルス支社の十七人は凱旋帰国した。健司が現地の敏腕ゲームプログラマー、アンドリュー・ウイリアムズズを口説いてCanalsに引き入れ、その人とわたしが中心になって作ったアプリをリリースしたところ、大当たりになったのだ。


 AI診断を使ってバディを組ませ、家庭教師の先生と三人で冒険しながら英語力を磨くアプリだ。レベルが上がるとアイテムが獲得でき、ゲーム感覚で楽しみながらリアル英語が上達する。

 現在、月間のアクティブユーザー数はアメリカで300万人を超えた。ロサンゼルス支社の十七人はこの一年、寝る間も惜しんで開発に取り組み、へとへとになっている。それが報われて快挙になったことはとてつもない喜びだ。

 日本の本社の方でも、幼稚園児への英語とプログラミングの学生派遣が大きく数字を伸ばし続け、海外の方も順調だ。Canalsはいまだ嬉しい成長を続けている。

 アメリカでの新婚生活は、公私ともども充実し、幸せすぎて怖いくらいだった。

 健司は、わたしのやりたいことを尊重してくれる。わたしが忙しい時はどんどん家事もこなすし、自分も忙しくて手がまわらなくなればハウスキーパ―を手配する。

 タイパ意識もコスパ意識も高いCanals副社長、およびロサンゼルス支社長であり、わたしの頼れる夫だ。


 唯一、それ、必要? と思うことは、ジャックと二人で遅くまで打ち合わせをしなければならない時は「俺の心の安定のためだ!」と恥ずかしげもなく主張し、自分も参加する。

 そんなことをしなくたって、わたしにとって、健司以外はイケメンどころか男性にすら見えていないかもしれないのに……。

 ただただ夢中だった健司への恋心は、尊敬や人間的な特性が絡み、もっと深いものに進化した気がする。

 今回のアプリ開発に関しては完全に裏方に徹してくれていた。「一颯、これは才能なんだよ」と手放しでわたしを認め、賞賛してくれる。

 男性であり、奇しくも同じ会社の副社長という地位にいながら、部下で妻のわたしが脚光を浴びることに、心からの喝采を送ってくれる。

 わたしの喜びを純粋に自分の喜びだと感じてくれている健司。北欧神話の巨人族、ヨトゥンの大鍋を彷彿とさせる器の大きさに、ますます参って〝大好き〟が増す毎日なのだ。


 お互いがお互いを尊重でき、心から笑い合える今の関係が、心底心地いい。

 籍を入れて一年。仕事がひと段落ついたタイミングで、わたしは、健司の子供が欲しいと思うようになっていた。打ち明けてみたら「それは俺も欲しいよ」という返事が返ってきた。


 もし子供ができたら、小さいうちは自分の手で育てたい。

「長い育休に入ってもいい?」と聞いたら、幼い頃は母親が近くにいた方がいい、という考え方も同じだった。

「でも一颯は新しいコードを思いついて、それが書きたくなると思うな。もしそうなったら、それはその時に考えよう」とも言われた。

 きっとこんなにもわたしのことを理解し、認め、尊重し、柔軟に対応してくれる人は地球上どこを探してもいない。


「お姉ちゃん、そろそろだってよ」

 扉の向こう側は、緑に輝く芝のガーデンチャペルだ。

 これから、一時帰国したわたしと健司の人前結婚式が、ここでとり行われる。

「お姉ちゃん、てば、大丈夫? 震えてない?」

「ふ、二葉こそ」

「あたし、こういうの、わりと大丈夫らしい」

「あ、そうなの?」

 わたし、意外にダメみたい。


 普通なら花嫁の手を取り、一緒にバージンロードを歩く役割を担うのは父親だけれど、わたし達に、もうその人はいない。その役目を引き受けてくれるのは、唯一血のつながった妹である二葉であることが、言葉にできないほど嬉しい。二葉がここまで回復してくれたことが、アメリカに来ての最大の喜びだ。

 カリフォルニアでの治療は二葉にとてもよく合っていた。今ではほぼ普通の生活が送れている。今までの人生を取り戻すべく、アメリカの大学に入るため、勉強をしている最中だ。


 天国のパパ、ママ、今のわたしと二葉を見てくれていますか? そして祭壇の前でわたしを待ってくれている最愛の人を。

「いくよ! お姉ちゃん」

 二葉がわたしの手を強く握る。

「う、うん」

 二百人に見守られてこの長いベールのウエディングドレス姿で歩くのは、とてもとても緊張する。

 でも……わたしは遥か昔からこの光景を夢見てきたような気がする。バージンロードの先で、神父さんとともに待つ白いタキシード姿のその人限定での光景だ。

 小学生の頃から無自覚に強く望んできたシーンの中に、わたしは今入っていく。

 大好きな人と、共に人生を歩んでいくために。





「村上―! いい加減にしてよ! いつまでたってもおわんないじゃな……げ?」

「けっ。鈍いやつめ」

「村上っ! もおおおおお! 怒ったぁー」


                                 end.

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