第9話  ラズリー、イーストエンドに行く

 ◇ ◇ ◇


 さて、場所と時間を戻そう。


 ここはルイシャムのフィアー探偵事務所。フィアーが意気揚々とコッツウォルズに到着した日のことである。


 フィアーから「カウンセリング施設へスパイに行く」よう頼まれたラズリーであるが、彼女は当の本人が農場でこき使われることを知らない。


 ラズリーは、フィアーが残したメモを頼りに、おてんば娘のアンナ・クラークが懇意であるというカウンセリング施設に連絡を取った。受話器の向こうから、きらびやかな女性の声が聞こえてくる。


「はい。メンタル・サロン『友愛の館』です」


「あの、すみません。その、とてもいいにくいのですが……メンタル治療、というのを受けてみたいのです」


 ラズリーの要望を聞いた瞬間、受話器の声が半オクターブ飛び上がる。


「ご新規の方ですねっ? 嬉しいです! お名前とご年齢をお願いしますっ」


 ラズリーは突然の変化に少し戸惑いつつも、言われるがまま必要事項を簡単に伝えた。なにやらカリカリとメモを取る音が聞こえた後、ラズリーは施設の予約を取ることになる。


「ラズベリーさん。直近の空き状況ですと……来週の夜8時に予約可能ですが、いかがでしょうか?」


「大丈夫です。あと、すみません。お伺いしたいことが1つあるんです」


 ラズリーは、自分が可憐なスパイであるかのような想像を膨らませながら、声色を上げて尋ねた。


「アンナ・クラークさんって知ってますか? 私は、アンナさんからこのお店を教えてもらったんですけど……」

 

 だが、ラズリーの予想に反して、電話口の女性の声がストンと落ちた。受話器からは、少しずつ不信感がにじみ出てくる。


「……失礼ですが、ラズベリーさんとアンナさんは、どういう関係で? あなたは当店をどうやって知ったのですか?」


「え? いえ、その……アンナさんとは友人なんです」


 ラズリーはとっさにうそをついたあと、落ち着きを取り戻すかのようにわざとゆっくりと話をした。


「アンナさんが最近とても元気な様子でしたので、彼女に理由を聞いたんです。すると、『友愛の館』で治療してもらったと教えてもらいました。私も悩みがありますが、アンナさんの紹介でしたら安心だと思ったんです」


「なるほど。そういう事情ですか。ご安心くださいっ!」


 女性は元のきらびやかな声な口調に戻ると、電話口からでも伝わる陽気さをもって締めのあいさつをした。


「では、来週の夜8時。お待ちしてます!」


 どうにもややこしい人と出会ってしまった、とラズリーは受話器を引き剥がしながら首をひねった。


 それから1週間が経ち、約束の日がやってきた。


 ラズリーはフィアーのロッキングチェアに勝手に腰掛けると、対面にいる友人サラに向け、電話口の女性の不審な様子と今日の予定を話して聞かせた。


「……ということで、私はカウンセリング施設に行くことになったんだけど」


「それでスパイをやるって言い出したんだね!」


 サラは自分の胸元で両手をパンとたたき、屈託のない笑みを浮かべて続けた。


「ああ、安心した……。最初聞いたとき、ラズベリーが本当に心の病気にかかったんじゃないかって、ちょっと心配だったんだよねえ。確かに、教室じゃできないお話だったかも」


「そうなの。それに教室でおしゃべりしたら、サラの大声でクラス全員にバレちゃうかなって思ってさ」


「わたしの声が大きいんじゃなくて、あなたの声が小さすぎるだけだと思うけどなあ。いつも疑問なんだけど、わたしが他のクラスメイトとおしゃべりすると、なんでラズベリーはすぐにわたしの後ろに隠れて黙っちゃうの?」


 返事の代わりに、ラズリーは顔を赤らめながら視線をそらした。一方で、彼女の態度に寛容なサラは、卓上のチョコレートを1つ摘みながら話題を変えた。


「でも、すごいよね! まさか、ラズベリーがスパイ役を任されるなんて! ラズベリーは、フィアーさんって人に本当に信頼されているんだね」


「そうかな? フィアーは私を雑に扱ってるだけだよ。まあ、私もフィアーを雑に扱ってるけど」


「一度会ってみたいなあ、フィアーさん。すごくハンサムな人なんだろうねえ。以前、ここの隣の部屋に住んでた『月青年フランク』さんみたいに」


 その言葉を聞き、ラズリーは思わず紅茶を吹き出しかけた。ハンカチを口元に当て、咳払いをしながら言った。


「……ゴホッ、ゴホッ。フランクさんが何だって?」


「フランクさんにもまた会いたいなあって。私、あの人のこと好きなんだよね~。ラブレターを書きたいと思うんだけど、住所がわからないの。ラズベリーは、フランクさんがどこにいるか知らない?」


「さ、さあ……。たぶん近くにいると思うから、そのうちまた会えるような気がするけど」


 などとたわいないおしゃべりをしていると、壁際の鳩時計がポッポーと6時をお知らせした。誰かが無理やり押し込んだのか、飛び出した鳩は少しだけ曲がっている。


 ラズリーはチョコレートをポイと口に入れると、静かに立ち上がって言った。


「あ、そろそろ時間だ。少し早いけど、スパイに行く準備をしようかな? ちょっと着替えてくる」


「わたしはここで待ってるね。手伝おうか?」


「いいって。一人でできるし」


 ということで、ラズリーはよそ行きの準備を始めた。薄く化粧を施し、まとめ髪を整え、一張羅のチャイナドレスに袖を通し、ショートブーツを履く。


 またたく間に、箱入りの中華娘ラズベリー・マローができあがった。


 ラズリーがくるりと後ろを振り返った瞬間、サラは嬉しそうに彼女に飛びついた。


「かわいいっ!」


 サラは、チャイナドレスにシワがつくほどの強さでラズリーをぎゅっと抱きしめる。サラが力を込めるたび、ラズリーの頬はみるみる紅潮していく。


「かわいいお姫様だね! わたしの家にもって帰っていい?」


「だ、ダメだよ。……恥ずかしいから」


 サラはゆっくりと体を外すと、チャイナドレスについたシワを撫でながら言った。


「あ、ラズベリーに1つ聞きたいけど……どうしてチャイナドレスを着て行くの? これだと、少し目立ちすぎるんじゃない?」


「私の社交用の服は、これしかないからね。それに、小説で読んだ可憐なスパイは、私よりもっと派手な格好をしていたよ? それに比べたら、チャイナドレスは地味で目立たないと思う」


「わたしは小説を読まないから、そのへんはよくわかんないんだよね~。でも、気合の入ったラズベリーを見られて、とても満足!」


 サラは卓上のチョコレートを少しだけポケットに入れると、自分のカバンを背負って立ち上がった。そして、屈託のない笑みを浮かべながらラズリーの手をきゅっと握りしめた。


「イーストエンド駅までは、わたしがついて行ってあげるからね~。こんなにかわいいお姫様を1人にさせたら、悪い人にパクっと食べられちゃうもの」


「……うん。ありがと」


「じゃ、行きましょ!」


 ということで、2人は地下鉄に乗ってイーストエンド駅へと向かった。改札口から外に出ると、サラは駅前にあったカフェを指さして言った。


「あ、わたしはここで待ってるから!」


「どうもありがとう。1時間くらいで戻ってくると思う」


「気をつけて、いってらっしゃーい」


 サラはラズリーから手を離すと、ガランゴロンと駅前のカフェに入っていった。


 ラズリーは、調べた住所を頼りに進み、やがて『友愛の館』へと到着した。テナントビルの一角を借りており、他にもいくつかの店が静かに軒を連ねている。


 ビルの階段を登り、ラズリーは玄関先までやってきた。ドアには、ハイビスカスやオーキッドをあしらったステッカーが彩られている。


「お、お邪魔します……」


 ラズリーが静かにドアを開けた瞬間、異国情緒な花の芳香が彼女の鼻をくすぐった。


 そばにあったベルをチリンと鳴らすと、20後半の女性がパタパタと素足でやってきた。サリーを着て、ココナッツのアクセサリーやプルメリアの髪飾りをつけている。


 アジア人を気取っているが、どう見ても英国人である。


 女性はラズリーを見るやいなや、電話口で聞いたのと同じきらびやかな声な口調で言った。


「8時からご予約の、ラズベリーさんですかっ?」


「はい、そうです」


「私、デビーです! ずいぶんと可愛らしいお嬢さんですね。まずはお話を聞かせてくださいね。私は、すべての女性の味方ですから!」


 デビーはラズリーの靴を脱がせると、最奥の個室に案内した。


 室内は簡素な造りだった。片側には木製ベッド、片側には小さな机と椅子、天井から電球がぶら下がり、ビャクダンの芳香が匂い立つ。


 デビーはラズリーをベッドに座らせ、自身は対面の椅子に腰掛けた。鉛筆をナイフで静かに研いで集中した後、胸元にカルテを持ち上げて彼女に話しかけた。


「改めまして、友愛の館にようこそ! よろしくお願いします!」


「こちらこそ、よろしくお願いします。あっ、質問いいですか?」


 ラズリーはベッドの上で素足をぶらぶら揺らしながら続けた。


「どうしてイーストエンドにお店を構えたんですか? この町って、あんまり治安がよくないじゃないですか。ハムステッドやチェルシーみたいな、お金持ちが住むところに建てたほうがいい気がするんですけど」


「いえ、私たちにはイーストエンドでなくてはならない理由があるんです」


 デビーは楽しげに返答した。


「実は、イーストエンドは女性解放運動の聖地なのですよ」


「……えっ? 女性解放運動?」


 耳慣れない言葉を聞き、ラズリーはきょとんとして目をしばたたいた。デビーは鉛筆を指先でこすり合わせながら言った。


「先の大戦争では、国の指示のもと、女性が先陣を切って銃や弾を作りました。ですが、戦争が終わるやいなや、男たちは女性の戦争努力への貢献を無視し、居場所を奪い取ろうとしています。われわれの最初の闘争は、この場所、つまりイーストエンドで起こったのです」


 デビーは静かに立ち上がり、ドアの裏面を指さした。そこには『女性を抑圧から解放せよ。サフラジェット運動万歳!』と書かれていた。


 得も言われぬ恐怖がラズリーの足元をひたひたと登り始め、彼女は思わずつばを飲み込む。


 デビーはドアをかちゃりとロックすると、声を半オクターブ上げて言った。


「では、カウンセリングを始めていきましょう。ラズベリーさんを抑圧から解放してあげますねっ!」


 とんでもないところに来てしまった、とラズリーは激しく後悔した。










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