企画を立ち上げた時、まさにこのような作品を求めていたというのは偽らざる本音である。
しかし、実際にその作品を目の当たりにした時
この作品を受け止めきれるだけの読者がカクヨム内に果たしてどれだけいるだろうか、
という危惧も芽生えることとなった。
……私「ごとき」が言うことではあるまい。
その自覚はあります。
しかし、☆の数4桁を優に超える作品が乱立する中、この傑作は私の添えた星にて、ようやく三桁に到達したばかり。
見る目が無いよお前ら、そう言いたくもなる。
少なくとも、こんな作品が埋もれたままで終わっていくのはどう考えても間違っている。
作品の内容に触れるまでもなく傑作であることは間違いない。
内容については、他のレビュアーに任せよう。素晴らしい感想を添えていらっしゃるから。
確かに、誰にでも読みやすい内容ではない。仮に映画化したとて万人に受けるような作品でもないだろう。
しかし、強烈な昏さを発するこの禍々しい作品は
カクヨムというフィールドだけに収まるような代物ではないことは保証しよう。
……畑違い?
上等じゃないか。
カクヨムという土壌は、こんな作品をも生み出すということを
世に知らしめる格好の機会だとは思わないか?
作者さま、実際の凶悪事件をもとに犯人を主人公にした小説を書くとピカイチなものを書けそうである。
人間の暗黒面を書く。これは誰にでも出来ることではない。
カクヨムで圧巻の一作を選べと云われたら、少なからぬ人がこの異色作に票を投じることだろう。
暗く、激しく、連続ドラマ小説を思い切り野蛮と殺伐に片寄せたような昭和一代記。
陰惨な描写があっても乾いた筆致のせいかとても読みやすく、その乾きが主人公の心をよく映している。
生まれ乍らの餓狼、良太郎。
その擦れっぷりには唖然となるが、使役される立場に生まれ、戦争にとられ、帝国主義崩壊の瓦礫の下からどぶねずみのように這い上がってきた日本男児の多くは程度の差はあれ、当時この良太郎のようなものではなかったか。
人殺しの味を知っている眼つきの悪い兵隊やくざ、拳にものをいわせて、女をみればとりあえず犯すかどうかを考える。生れが少し早ければ刀を手にして幕末志士の末端となり、少し遅ければ、雨のそぼ降る夜の繁華街でネオンの原色を浴びながら拳銃を片手にじっと佇んでいるしかないような男。
気質がそう出来ているのだ。
かといって裏社会に居座るでもなく、狼として都会を流離うでもない。良太郎はオラつきだけは立派なものの、ただの小悪党で、仕事といえば会社員。
そのせいか彼のやることなすこと、情けない悲哀がつきまとう。
男性読者はその情けなさに、何ともいえぬ焦燥と羞恥を覚え、思わず良太郎に叱咤を飛ばしたくなるのではないだろうか。
そのままじゃお前、「泪橋を逆に渡る」ことすら出来ないぞ。
いうまでもないが泪橋の出典は「あしたのジョー」である。
あの漫画を想い浮かべると戦後を知らない人でも良太郎最盛期の時代背景を想像しやすい。
土地と家を継ぐという旧態を振り捨てて、都会へと労働者が集まっていた頃だ。
男は強い。大人の男は、子どもよりも女よりも強い。強い。
そんな昭和的な男の沽券にすがってつまらぬ悪事を重ねていた良太郎だが、男としてこれ以上はない屈辱に打ち据えられる日がやがて訪れる。
身体的弱者として見下げていたはずの義弟の方が、秘めた陰湿さと暴力性については一枚も二枚もうわ手であり、彼は恥辱の底に叩き落されて負けるのだ。
眼つきこそ悪いものの、良太郎は小市民的であり、闘犬にすらなれなかった野良犬である。
そんな粗野な良太郎を嘲弄しながら、亡霊のように現れては消え、消えては現れていた、白皙長髪の義弟邦正。
旧時代の男女像、夫婦像、かくあれかしと謳われた価値観と共に自滅していったのが良太郎ならば、邦正は、最初から異邦人としてこの世に落ちて、おのれの諦念をほのかに嗤いながら草木の中を無為に漂うしかなかった。
――これが憎しみ以外の感情なら、俺達は昭和の六十年をどう振り返ればいいんだ
この文言は、読後、読者にも等しく突きつけられる。
さて、どう振り返ってあげたらいいのやら。
泥の河に流されるしかなかった彼らの生涯は、同様に新しい元号に押し出されるばかりの私たちのそれと、どう違う。
ぎらついた眼をして昭和の底を這いずり回った野犬の一生。啜った梨の瑞々しさを想いながら逝ったのか。
ならば、そう悪いものではなかっただろう。
良太郎も邦正も、両方向から激しく対峙しながら、その中心にはいつも女がいた。
生涯追い続けた面影の、その膝の上で眠れ。
強さ(男らしさ)
自由
この作品が僕に深く刺さった理由がこの二つです。どちらも僕が強く求めているものです。この作品ではこれら二つが徹底的に蹂躙されます。でも安心してください。激しい暴力の後にはどこか爽快感さえあって、これは、被虐嗜好とはまた別の(根っこは同じなのかもしれませんが)趣があります。
繰り返しますが、強さ、男らしさ、自由、健やかさ、何もかもが地面に叩きつけられ踏まれます。
でも、いきなりめちゃくちゃにされるわけでもないんです。なんて言ったらいいかな……とにかく、こんなに心乱れた読書は久しぶり。
主人公の良太郎は「強さ」を求めます。
もう一人の主人公邦正は(僕が察するに)「自由」を求めています。
二人は切っても切れない強い糸、でも細くて微かな糸で結ばれています。
お互いがお互いを強く憎んでいる。
なのに血に刻まれた共通項がどうあっても二人を離してくれない。
互いが互いにとんでもない感情を抱いている。
互いが互いをどうにか消してやりたいと思っている。
相方潰し合うはずが……いや、潰し合ったのか? でもそれにしては、あまりに綺麗なものが残りすぎている……。
さて、タイトルにもある「梨子」。
これ、「無し」に通じてちょっと縁起が悪い。なので「有りの実」なんて書くこともありますよね。このネガポジひっくり返るイメージを持って読むと、より一層楽しめると思います。
片方がネガで片方がポジ。
そういや良太郎は……派で邦正は……派だな。あっ、そういえばここでもここでも対比がある……なんて楽しみ方もできます。
まぁ一番いい楽しみ方は水割りでもロックでもなくストレートと言いますか、余計なこと考えずにこの高純度高濃度アルコールみたいな作品を読んで心臓ぶん殴られることです。
読後すぐ書いてるからちょっと整理が……(笑)。
とにかく!
男の一生
愛憎
女の影響力
自由
力
暴力
知性
知略
戦争
昭和から平成へ
なんかこの辺の言葉にビビっと来た人は読みましょう。
で、僕と同じく魂ぶん殴られてクラクラした頭で感想とレビュー書いてください。
いい読書でした、本当に。
「いつかお前の人生をめちゃくちゃにしてやる」という強い意思だけが、その人の生を繋ぐ。
そんな巨大な感情を互いに抱き合う2人からしか得られない栄養素があります。
戦前、戦時中、そして戦後と、激しく移り変わる昭和の時代。
社会背景や家父長制の男女観、当時の空気感までもが伝わる精緻な筆致で描き出されるのは、男2人の深い因縁の物語です。
いろんなしがらみに囚われ縛られ続けた彼らの、血よりも濃くて死よりも苦しい魂の軛に、みんなで悶え転げよう!
冒頭から綴られる「おとなの男はつよい——」という一連のフレーズ。
そしてタイトルにもある「梨の実を割る」描写のイメージ。
作中で繰り返されるこれらの表現を、ぜひ意識に留めながら読んでいただきたい。
2人を繋ぐ呪いの正体は何なのか。
憎しみなのか愛なのか。生を蝕む劇薬でありながら、生きる意味にすらなり得る想いを、何と名状すればいいのか。
ラストシーンまで読み終えた後、しばらく放心してしまいました。
男同士のクソデカ感情に情緒を乱されたい方は、必ず読むべき物語です。
梨畑の美しい描写から始まるこの作品。
読者は昭和史をなぞりながら、男二人の行く末を見守ることになるのだが、心かき乱されるシーンがいくつもあり、考えさせられるテーマを多数内包している。
男とは。女とは。昭和という時代は何だったのか。人間の在り方。変わるもの、変わらないもの。
暴力や性といった、見つめ辛い事柄を真摯に描いている作品でもあり、登場人物たちが皆、血の通った生々しい存在として関わってくるので、そこも見どころである。
男二人の関係は、BLやブロマンスといった表現がそぐわない独特なもので、「良太郎と邦正」としか言えない唯一無二のものである。
そんな二人の結末をどう捉えるのか。
私は「彼ららしい」と思った。あの昭和を駆け抜けた二人には、これしかないというエンディングだったと感じる。
この作品を読んだが最後、「梨」に特別な感情を乗せずにはいられなくなる――それほどまでに大好きな物語だ。
時代の変遷というのは、価値観を変える。日本は昭和から平成、戦争や経済成長の中で激動とも呼べる時代を送った。
その中にあって自分を縛り付ける価値観から逃れきれなかった男と、その男にずっと捕らわれ見続けた男の物語、なのかもしれない。
始まりの感情を、何と呼ぼう。それは憎悪と呼ぶことが正しかったのかもしれない。けれど終わりの感情は、果たしてそう呼ぶことが正しいのだろうか。
時代は流れていく。
けれど誰もがそれに従い、変わっていけるわけではない。ただ変われないまま、流されていくしかないこともあるのかもしれない。
ずっとずっと心の中に影のように落ちるものを、何と呼ぼうか。
それは決して同じ質量で、同じ向きでないもので、それでも絡まりあっている。
答えは彼らの中にしかなく、正解はきっとないのでしょう。ただ一つ言えるのは、大きすぎる感情は人生を丸ごと飲み込むのかもしれない、ということだろうか。
ぜひご一読ください。