第4話 安息の地はなく

「ちぃ……」


 ロシュの胸に開いた温かく湿った穴の奥で、蟲が小さく鳴いた。

 くちゅくちゅという微かな咀嚼音がすると、ロシュは嘔吐くような呻きをあげた。目が裏返り、ビクビクと手足が痙攣する。

 ここまでの一切を見ていたミハイだったが、遂に目を逸らしてしまった。

 あの蟲は、ロシュの心臓の壁を食い破って進入し、寄生する。ダンピールの強靭な生命力ゆえに死ぬこともできず、生きながら味わう苦痛に、憐憫を感じずにはいられない。たとえ殺意を向けた相手であっても、恨みがあるわけでもなければ、なぶるつもりもなかったのだから。

 本人も希望したことであるから異存はあるまいが、ロシュにはもう、リディアの忠実なる下僕として命を捧げる道しかない。

 ミハイの口からため息が漏れた。彼の望むところではないが、これからの道行きは3人連れになる。ロシュという未知の要素は、ミハイを大いに悩ませるのだった。


 ミハイは壁際に移動し、椅子に斜めに腰かけた。見まいとしていたが、やはり気になってちらりと視線を送ってしまう。

 苦痛に悶えても、ロシュは全く抵抗しない。リディアを腹の上に乗せたまま、のけ反って喘ぐような悲鳴を上げていた。その体がガクガクと上下し、絶頂したように震えたあと、動かなくなった。

 苦々しく思いながらも目を離せずにいると、リディアがゆっくりと顔を起こした。唇に笑みを乗せ、目じりをほんのりと赤く染めて流し目をくれるのだ。

 ドクンと心臓が鳴り、息が詰まる。自分にもあの蟲が食らいついているような気がした。

 ミハイの目に映るリディアが2人に増え、3人に増え、そしてぐるぐると回り始めた。ぐったりとうな垂れ、瞼が落ちる。音が急速に遠ざかっていく。息が上手く吸えないと、頭のどこかで考えたような気がした。



 ミハイとリディアには、昼の世界にも夜の世界にも居場所がなかった。人間には化物と恐れられ、ハンターに追われる。ヴァンパイアからは貴種ゆえに求められ追われる。どこにも安住の地はなかった。

 ヴァンパイアは、生き血を欲して人を襲うのだが、このとき血を吸い尽くして殺す場合と、眷属に加える場合とがあった。彼らは、自らの血を与えることで、人間をヴァンパイアに変えることができるのだ。そして、ヴァンパイアとなった者が次のヴァンパイアを生みだすことで、次第に増えていったのだった。

 この血分けの際に、ヴァンパイアの能力も引き継がれるのだが、代を重ねるごとに人外の能力はどんどんと劣化していった。そして、劣化の進んだヴァンパイアほど貴種に強く惹かれ、その血を焦がれるほどに欲するようになる。

 なぜか。それは、貴種の血を得ることで、劣化種も彼らに及ばずとも力のあるヴァンパイアになれるからであろう。そして、その貴種と強固な主従関係を結ぶことができる。それを「血の契約」と呼び、劣化種は神に仕える信徒の如く貴種を崇め奉るようになるのだった。その欲求は、人間の血を求める食欲にも似て、押さえ難く強いものだった。

 ただし、貴種側は劣化種を下民と蔑んでいるため、実際に「血の契約」を結んだ例は数少ない。

 ゆえに、劣化種は常に渇望し続ける。そして叶わぬ願いに絶望し、ときに徒党を組んで貴種を襲う暴挙にでることもあった。どんなに懇願しても与えられないならば、奪ってしまえということらしい。

 当然ながら劣化種が貴種に敵うわけもなく、彼らは塵と化すことになったのだが、たった1度だけ、圧倒的な数をもって貴種を倒し、最後に1人残った劣化種がその血を得ることに成功したがことがあった。貴種を喰らったのだ。

 貴種は、ヴァンパイアの頂点にして原点ではあるが、決して神聖不可侵でも、不滅でもないことが証明されてしまったのだった。

 劣化種による貴種殺し。それが、リディアが、ヴァンパイアたちから身を隠す理由だった。劣化種のみならず、貴種までも引き寄せてしまうリディアにとっては、人間のハンターなどより、同族のほうが遥かに恐ろしい敵だと言えた。

 そしてリディアを狙うスタン公爵もまた、貴種の一人なのだった。中でも、高位とされる5大貴種に数えられるほどの人物であった。



「ミハイ、大丈夫?」


 リディアに肩を揺すられ、ミハイは目を開けた。全身に冷たい汗をかいていた。意識を飛ばしていたことに気づき、慌てて部屋の中を見回した。

 ロシュが床に胡坐をかいて呆然と天井を見上げている。傷はもう癒えているようだ。気を失っていたのは、数分のことかとホッとする。


「疲れているのね。顔色が悪いわ。この頃、全然休んでないんだから」


 リディアは、不安そうにミハイの額の汗を拭きながら言った。


「お願い。自分の体のことも大切にしてちょうだい。あなたが死んだら、私も生きていられないわ」

「このくらいで死にはしない。それよりアイツが……」

「大丈夫よ。私のワームがしっかり見張りをしてくれるから」


 それでもミハイは安心できない。ロシュは、ダンピールのままでいたくない、リディアのようになりたいと言った。つまり、彼は貴種の血を欲しているのだ。

 リディアの一喝で意思を翻しはしたが、信用はできなかった。蟲に寄生されてもなお、彼女の血を求めないとも限らないだろう。それほどにヴァンパイアの本能とは危険なものだった。

 そして今、別の危機も迫っている。

 スタン公爵の黒獅子騎士団を殲滅したロシュがここにいるということは、下手人を追って公爵の手の者が、いや、公爵本人が追ってくるかもしれないということだ。どんなに巧妙にまこうとも、貴種の嗅覚の前では無意味なのだ。

 全く疫病神だなと、ミハイは呟いた。


「小僧、ここに来る前に、せめて目くらましくらいはしたんだろうな。時間稼ぎになるか分らんが」


 陶然としていたロシュが、ぼんやりとミハイを振り返り、屈託のない笑顔で答えた。


「はい、とってもいい気分です。なんか、新しい扉が開いちゃったみたいで」

「……ふざけているのか」

「なんていうか、生まれ変わったみたいな……いや、リディア様と深く奥までつながって絡み合ってる感覚っていうか……」

「もう、いい」


 ミハイが舌を打つと、リディアがクスクスと笑った。


「酔ってるみたいね。少しすれば正気に戻るわよ」

「放っておいて、移動の準備をしよう。すぐにここを発つ」

「スタン公爵は来るのかしら」

「そう思ったほうがいい」


 ミハイが立ち上がると、リディアも荷物を片付けはじめた。といっても、床に落ちたスカーフやナイフを拾って、棺に納めるくらいしかやることはないのだが。

 リディアの棺には持ち運びができるように取っ手や、ベルトが付いていて背負えるようにもなっている。見ようによっては楽器のケースのようにも見える。堅くぶ厚い板で作られ、内側には何重にも黒い布を貼って光を通さないようにしていた。昼の移動時にリディアを守るために、ミハイが手ずから作ったものだった。

 リディアは棺の蓋を閉めると、ミハイを振り返った。


「屋敷にはもう行ったのよね?」

「ああ、昼間に。大丈夫だ、ちゃんと持って来てある」


 ミハイは、部屋の隅に置いてあったズタ袋に目をやる。パンパンに膨れた袋だった。


「遺体なんか盗りに行かずに、あれを持って昼のうちに発てばよかった……」


 そうすればロシュの襲撃もかわせたかもしれないし、スタン公爵の心配もせずにすんだかもしれないと悔やむのだった。


「あら、久しぶりのディナーを用意してくれて、私は嬉しかったわよ。ま、愚痴っても仕方ないわね。それより、お母さまとはお話できた? 次は、私も一緒に行きたいわ」


 リディアににっこりと微笑まれて、ミハイは愕然とした。

 約10年ぶりに屋敷に戻ったのに、妻のことをちらりとも考えなかった自分に、心底ぞっとしたのだ。妻の墓に花を手向けることさえせず、早くリディアのもとに戻らなければと、そればかり考えていた。

 あんなに愛した妻の姿が、今では朧げにしか浮かばないなんて、いつから自分はこんな薄情な男になったのだと、ミハイは奥歯を噛みしめる。

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闇色の世界で、禁断の果実をほおばって 外宮あくと @act-tomiya

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