第3話 ダンピールの忠誠

「さっさと起きなさい。それとも心臓をえぐり出されたいの?」


 そう言った瞬間、ロシュが跳ね起きた。折られたはずの首はもう元通りになっている。尋常ならざる動きで、部屋の出口へと跳んでいた。ちゃっかり、切られた右手を拾い上げている。


「待って! 心臓はやめて!」


 逃げるのかと、ミハイが後を追おうとしたが、ロシュは自分が蹴破ったドアの辺りで踏み止まっていた。その顔には恐怖を張り付かせていたが、逃げたい気持ちをどうにか意地で抑えているようだった。だが、リディアが首を傾げただけでビクリと身体を振るわせてしまう。


「あ、貴女は女王だ。この世の誰よりも尊い。俺は、貴女が……。すみません。さっきのは挨拶っていうか、単なる自己アピールで、俺の実力を見せ……いや、ホントごめんなさい! もうしません! っていうか、俺、黒獅子騎士団を潰したって言ったでしょ。本当なんです。貴女のために潰してきたんです! 察してください! 敵の敵は味方って言うでしょう」

「知らんな」


 ミハイは再び殺気を纏って剣を構えている。それを、ロシュはギッと睨み返した。


「味方だって言ってんだよ! 大体、伯爵は所詮人間で」

「ミハイが何ですって」

「いえ、何でもありません!」


 ミハイに対しては好戦的なロシュだったが、リディアには手の平を返したように従順だった。


「っていうか、もう分かってるんでしょ? 俺、ダンピールなんです」

「だから?」

「太陽の下も歩けるし、人間より断然強いし、再生力すごくあって、ヴァンパイアにも負けない。貴女にお仕えさせてください。護衛にはもってこいですよ」


 ミハイが懸念したとおり、ロシュはただの人間ではなかった。

 ダンピールとは、人間とヴァンパイアの間に生まれた者のことだ。

 ヴァンパイアは、人間はもちろん猛獣さえも遥かに凌駕する膂力を持ち、聴力、嗅覚、視覚もどんな生物よりも優れていた。恐るべき再生能力を持ち、たとえ飲まず食わずであっても衰えることはなく、永遠の若さを保つ。また、変身能力や、各々に固有の特殊能力まで持っていた。

 そういったヴァンパイアの能力を、ダンピールがどの程度受け継ぐかは、各個人によって大きく異なる。個体数が少ないため不確かであるが、ほとんど人間と変わらない者のほうが多いらしい。その中でも、ロシュはヴァンパイアの能力をかなり色濃く継いでいると思われた。

 これでは、まるで日の光を弱点としないヴァンパイアじゃないかと、ミハイは頬を歪めた。この男は自分たちにとって脅威でしかなく、今、ここで殺すべきだと断じる。

 ロシュはといえば、ミハイの胸の内など知らず、己の有用性を語り、懸命にリディアに仕えたいのだと嘆願を続けていた。その間に、切られた右腕は元通りにつながり、何事もなかったかのように動いていた。


「俺を貴女の側に置いてください! そのためにずっと探していたんです」

「そうねえ。確かにあんたがいれば、ミハイが休む時間も増やせるかも」

「だめだ、リディア。信用できない」


 何を言いだすんだと、ミハイは割って入る。この男が側にいたら、休むどころか返って気が休まらなくなるではないかと思う。


「こいつは、今すぐ始末する」

「待てって! ……俺、忠誠を誓いますから。決して逆らいません。どうか、リディア様……」

「だめだ」

「ミハイ。コイツのことは、私に任せてちょうだい。ね?」


 ミハイの剣は、今にも振りそうだったが、リディアが彼を止めた。可愛らしく小首をかしげるが、彼女の言葉には有無を言わせぬものがある。

 ミハイは、眉間のしわをさらに深くし、唇をゆがめることしかできなかった。


「どうして、私の居場所が分かったの?」

「御存知のはずです。貴女の、貴種の匂いが、惹きつけるんです。……お仕えさせてください。どうか、血の契約を……。俺は中途半端なダンピールのままで終わりたくない」


 30年前、帝国を滅亡に導いた「始まりのヴァンパイア」たちのことを貴種と呼ぶ。後に彼らから増えていったヴァンパイアとは、明確に区別される特別な存在だ。

 彼らは人間だったころ、身分の高い貴族だったこともあり、後の能力の劣ったヴァンパイア「劣化種」との対比から、「貴種」と呼ばれるようになった。

 ヴァンパイアは、人間には感じ取れない同族の匂いを嗅ぎ分けることができ、劣化種は本能と言っていいほどに貴種の匂いに惹かれ、彼らを求める。「血の契約」により、貴種と主従系を結ぶことに無上の喜びを感じるのだ。そして、ロシュの態度から、ダンピールにも同じ欲求があることが見てとれた。

 リディアも、その貴種の一人であった。今夜、ミハイが襲われたのも彼女の移り香のせいであり、彼女に近づかんとするヴァンパイアは後を絶たないのだった。

 しかも、リディアは貴種さえも魅了してしまう。そんな貴種は他にはいない。

 それがなぜなのかミハイには分からない。分からないが、思い当たることが一つある。彼女と他の貴種は成り立ちが違っているのだ。もしかしたら、それが所以ではないかと思っている。


――俺のせいだ。


 ミハイは忸怩たる思いで拳を握る。そして、恨めし気にロシュを眺めた。

 彼は跪き、縋るように、しかしうっとりとリディアを見つめていた。

 だが、差し出されたロシュの手を、リディアは振り払って鼻で笑っていた。


「だめよ。契約したらダンピールじゃなくて、劣化種なっちゃうじゃない。太陽の下を歩けなくなったら、あんたに利用価値はないわ。それに、私を守るのはミハイの役目なの。それでも契約したいっていうの? 死ぬ?」

「了解です! 俺はただの下僕です。ずっとダンピールのまま下僕です!」

「でも、ミハイを殺そうとしたしねぇ」

「すみません。二度としません」

「言葉だけじゃ信用できないわ」

「なんでもします」

「じゃあ、そこに寝転がって」


 ロシュは素直に床に身を横たえた。危険で獰猛な狼のはずが、まるで犬のような懐きようだった。だが、狼は狼であって飼い犬ではないと、ミハイは表情を硬くしている。

 リディアが振り返って苦笑した。


「困らせてごめんなさい」

「今、始末するのが一番いい」

「そうね。あなたが、私と一緒に永遠を生きてくれるならそうするんだけど」

「……」


 ミハイは思わず目を伏せてしまう。痛いところを突かれてしまった。


「いいのよ。昼間、無防備な私を守るためには、人間のままでいなきゃいけないんだものね? そういうことにしておいてあげる」


 何も言えないミハイの横をすり抜けて、リディアは棺に向かった。そして、中をごそごそと漁ったあと、小さな瓶を持ってロシュのもとに戻ってきた。

 そして、仰向けになっている彼の腹にまたがった。


「今から、あんたは私の忠実なる下僕。いいわね」

「はい」


 リディアの人差し指に頬をつうっと撫でられて、ロシュは蕩けるような顔で頷いた。シャツの胸元を大きく開かれても、崇めるように少女を見つめている。


「目を瞑りなさい」


 優しく言われて、やはりロシュは素直に目を閉じた。リディアの小さな手に胸をそっと撫でられると、頬が朱に染まった。さらに撫でられると、眉を歪め唇を震わせて切なげな吐息を漏らした。

 が、次の瞬間、かっと目を見開き、舌を突き出す。声なき絶叫だった。わなわなと身体を震わせ、ロシュは助けを求めるようにリディアを見つめ、そして、恐る恐る自分の胸の辺りに視線を動かした。青ざめたロシュの目にうっすらと涙が浮かぶ。

 彼は、自分の胸にリディアの手が潜り込んでいるのを見てしまったのだ。


「だから、目を瞑りなさいって言ったのに」


 リディアはクスリと笑い、手を引き抜いた。そして、小瓶の中からイモムシのような蟲を摘まみ上げてロシュに見せてやった。うねうねと身をくねらせるそれは、針のような小さな歯をびっしりと生やした丸い口を開いて、ちぃちぃと鳴いていた。


「私の血を飲んで育った子なの。可愛いでしょう。私の言う事をなんでも聞いてくれるの。今から、あんたは心臓の中でこの子を飼うの。それが忠誠の証。裏切ったら、この子が心臓を食べちゃうってこと、忘れないで……」


 少女は、慈愛を込めて天使のように微笑み、ロシュの胸に空いた穴に蟲を落とした。

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