第3話 炎の瞳

 目を覚ますとそこは、地下の一室だった。闇に沈んだ暗灰色 あんかいしょくの石は足裏にヒヤリとした感触を伝え、身震いするほど冷たい。

 ふと、焦点が合わず、ぼやけた視界の向こうに、青白い顔をした一人の少年が、隣の牢に横たわっているのが見えた。

「誰……?」

 彼は、漢人の高僧が身に纏うような濃紫の光沢のある袈裟 けさを身に付けていた。だが顔は土気色で息も絶え絶え、床には おびただしい血痕と、大きな血溜まりが見えた。耳を済まして呼吸音に全神経を尖らせる。

──まだ生きている!死なないで!

「今、助けにいくわ」

 アイシャは床に落ちている小石を掴み、彼に当たらないようそっと隙間から投げ入れた。音に反応して意識を取り戻してくれるのを願って。

 だが、彼はまぶたをピクリと動かしただけで方で荒い息をしているのが伝わってきた。

 カツーン、と音を立てて石は転がった。彼は目を覚まさない。自身の持つ、巫覡 シャーマンとしての「能力」の一つを使えばあるいは助けられるかもしれないが……。一刻も早く、この牢を脱して彼の傷を手当しなければ。

 しかし今ここで、自らの「能力」を使うことはできれば避けたかった。有能な巫覡シャーマンは、大きな「能力」の動きを察知すれば、すぐここに向かってくるだろう。斑目の一族の長老である、ジャハーンの母、老巫覡のバナフシャは、凄まじい「闇見くらみ 」という、見えないモノを視る特殊な能力と不思議な目を持つ。この少年が酷い傷を負い、ここに囚われているのは、一族の異民族に対する嫌悪と憎しみが元になっているのは間違いなかった。

 漢族が僧を使って間諜スパイを送り込むのはいつもの事ではあるが……。何かがおかしい。何か裏がある。この少年をこのまま死なせてはいけない。

──私の能力は、未熟だ。使い方を誤れば彼だけでなく、斑目の一族、ひいてはこの吐蕃トルファン のザラストラルの民にも被害が及ぶかもしれない。

 ザラストラルの民は、この西域のトルファンだけでなく、南方のインド大陸、カシュガルの先、遥か西方のトルコまで点在している。

 ザラストラルとは、彼らが信仰する宗教の開祖の名だ。『斑目の一族』はザラストラルの中でも異能の巫覡シャーマンを多数生み出してきた特殊な部族だった。優秀な商人として、各国を飛び回るザラストラルの民にとって、斑目の一族は、畏敬 いけい侮蔑ぶべつの両方の目で見られていた。

──神々に最も愛され、また神に忠誠を誓う敬虔で有能な恐るべき一族。

 それは徐々にイスラームの勢力に呑み込まれ、衰退の一途を辿るかに見える斜陽の民族にとって、信仰と誇りの拠り所である一族だった。

 ザラストラルの最高神、アブル・マジュラは太陽と光、火を司る神でもある。

 金の斑目をもつアイシャの能力も、この光と火に由来する。左胸の下に大きな炎のような奇妙な痣と、稀に見る黄金と緑の瞳を見て、老巫覡シャーマン のバナブシャは、「一族の瑞祥であるも」喜色を隠そうともしなかったが、同時に不吉なものを見るような目で、蔑みを見せることもあった。

──この金の瞳は、一族を潤す「砂金」を生み出す瞳ではない。一歩まかり間違えば、一族を炎で焼き尽くす業火となるだろう、と息子である長老に伝えたとも言われていた。

 それに、特殊な能力を使う事は著しく体力を消耗し、また少なからず痛みを伴うものでもあった。

少年だけでなく、アイシャも大きな衝撃を身体に受けていた。

腹部に殴られたような違和感を感じていたし、弱視の左眼だけでなく、右目もよく見えない。

 口の中に広がる微かな甘みと苦味──。これはきっとヴェラドンナだ。この朦朧とした意識、体力の著しく消耗している状態で、自身の「炎の眼」の能力を使えば失明するかもしれない。でも彼を死なせてはならない。何としても助けなければいけないと、誰かが脳裏で囁くのが聞こえる。

「死なないで!」

 頭の奥で警鐘がずっと鳴っている。右眼の奥に鋭く激しい痛みを感じた。唇を小さく震わせて呪文を唱えると右手を少年の牢の鉄格子に這わせた。

 熱を帯びた黒い鉄格子が、生き物のように膨らみ激しい衝撃とともに爆ぜた。

「アァッ」

爆音と衝撃でアイシャ本人も吹き飛ばされ倒れた。

──彼は!?生きている?

 助けたい、死なせたくない。だがアイシャの心の底にあったのは、彼の胸の奥にひびき続ける孤独を癒したい、という思いだったのかもしれなかった。


***

『金色のレストラーダ』四話に続く。


 

 







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金色のレストラーダ 星宮林檎 @saeka_himuro99

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