かつて白塗りの高齢娼婦が横浜にいたお話
先日無事に再会出来たお友達が、
「そういえばコリドラさん、横浜のメリーさん好きだったよね」
と、中島らもの、白いメリーさんを持参されていて。
そう!
気持ちがさらにタイムスリップしたのです。
横浜のメリーさんのことは、もう20年前からいろんなところで書いた。それぐらい思い入れがある。
メリーさんとは、横浜に95年くらいまで存在していたお顔を真っ白に塗って真っ白いドレスを着た伝説のご高齢の娼婦のことであります。
わたしが会った頃にはもう小さいおばあさんだったのだけれど、父は遥か昔のタクシー運転手時代、横浜のイセチョーで若きメリーさんを実際に乗せたことがあった人。
06年に上映された「ヨコハマメリー」の映画を一緒に観に行った時、
「そうそうこの背の高いメリーさん」と懐かしむように顔を綻ばせたのはよき思い出。
わたしはこの伝説のメリーさんが映画になるというので、楽しみで楽しみで、結局、四、五回足を運んだっけ。
舞台挨拶の回では中村監督に直接お会いし手紙も渡した。
暫く年賀状のやり取りもしてもらったくらいメリーさんの話にのめり込み、当時、図書館で働いていたこともあって、休み時間になると地下に籠り戦後の横浜歴史の蔵書をあさったりとやりたい放題、、、。見つかると怒られる。
メリーさんはなぜ、戦後の日本に振り回されながらも町の片隅を大きな荷物を引きずりながら転々とし、時にイスの上で一夜を明かし、決まった住居もなく、それでも高齢まで娼婦という人生を送ってきたのか、横浜から離れなかったのか、、、
傍から見るとその外見からしてもう、ただただ「異」という存在で、それこそ子供の頃は怖くて怖くて、伊勢佐木町を歩く時はちょっとした冒険だった。
でも、映画を観て価値観がぐるりとかわった。
世の中、いろんな人がいる。器用な人もいれば不器用な人もいたりして、それを責めたり嫉妬したり、ともすれば上っ面だけで判断して自分と異のものは認めず排除しようとしたり。
自分だってそんな時はある。
でも「ヨコハマメリー」に登場する人たちは、みんなあたたかく(そればかりじゃないんだけど)メリーさんが傷付かないように、失礼のないように、時に見守り、必要な時にはそっと手を差し伸べてくれて、そんなホンワカした空気が映画では流れていく。
それはメリーさんが高齢になったからとか昨日今日知った上での同情とかでなくて、昔からのその生き様を理解し、一人の人間として認めていたからなんだよね。
特にシャンソン歌手にして男婦だった永登元次郎さんは後年ずっと自分を投影しつつ寄り添ってくれていた人。
それがなんだか微笑ましくも心を寂しくさせるのだ。
メリーさんもきっとそんな周囲の心情をよく分かっていたから、親身になってくれたご夫婦に諭されて、とうとう故郷の岡山に帰るのです。(あの真っ白なお顔で(笑)
つらつら書いているけれど、それこそわたしはメリーさんを人づてでしか知ることは出来ないし何もわかっちゃいない。
ただ、メリーさんの生き方をなぞりながら、戦後のヨコハマを撮った、とおっしゃった監督のこの映画が長く愛される理由はきっとそこなんだなと思う。
時代がどのように流れようと、自分の生き方をかえず貫いてきたメリーさんを通して、やっぱり人の感情や生きていく姿っていつの時代も変わらなくて、そこに付随する人と人とのかかわりも普遍的なんだ、と感じるのです。
そういいつつ、ディープなようで案外あっさりとしているところが、港町ヨコハマの粋なとこだよなあとも思ったり。
大好きだったわたしの横浜に会いたくてたまに観る。
んなわけで、わたしの十八番は伊勢佐木町ブルースだよ〜ん。
サインももらった
