本棚からこんにちは
よく、書店の一つの棚の中からどれだけの本を読んだことがあるか、という対決をしていた。
あっちはすこぶる読書家で、わたしはとうてい敵わないからいつも敗北するのだが、わたしが指した1冊の本に珍しく興味を示したことがある。
10代でトルーマンカポーティに出会ってからカポーティの作品をむさぼるように読んだ。
とりわけ「夜の樹」が好きだった。当時、冒頭1作目の「ミリアム」は2・3ページ暗記するほどに読みつぶした(思い出すとヒく)
翻訳をした川本三郎氏の解説がまた素晴らしく、創作に行き詰まると何度も読み返してはページを開き、垢だらけにした。
カポーティはよくニューヨーク時代とアラバマ時代に分けられるのだけれど、わたしはニューヨーク時代の閉ざされた空間の中にある彼の作品が好きだった。ミリアムもそう。
その頃の彼の作品には「闇の両義性」があると解説に書かれていて、わたしは何度も繰り返しニューヨーク時代の作品を読んでは、その言葉を思い、心をふるわせた。
暗闇はこわいが、その中にいると、いつしか闇に慣れて視界がはっきりしてくる。そしてその闇に包まれているんだという安堵感によって恐怖が親しみに変わる。
この闇の両義性について、病むほどに考えては書いて、打ちのめされて、ちぎった。
人はいろんなものを背負って生きている。でも、なるたけ気付かないように折り合いをつけながら、時に諦め、時に焦がれ、そうして生きなきゃやってられない時もあったりして、朝日を浴びて、闇に眠る。
いい時がずっと続くわけじゃないなら、悪い時だってそうだ。闇は晴れる。闇の中でだって晴れる。そう信じたい。
残念ながら、カポーティの新作はもう読めないのだけど、彼がモ〜ホでチビと言われようが、わたしの1番好きな作家なのはかわりないのDA。
追記
どうでもいい修正
10代の時でした直した