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日曜日和なナニか

時は江戸中期。泰平の眠りが長う続き、米も絹も値が安定して、町人文化が爛熟の極みに達したころ。大川の水面には千の灯籠が揺れ、夜の辻々では芝居小屋の囃子が途切れることなく響く。  

 ──人の世が華やげば、その影に生きるものもまた浮かれ出る。  

「おい、今宵は百鬼座が出るんだとよ」  

 隣にいた男が小声で言った。
 そして、群衆のざわめきがひときわ高まったとき、それは現れた。
 
 黒猫を肩に乗せ、金の角冠をいただいた女。
 ゆるりと群衆のただなかを進むその姿に、誰もが思わず道を開ける。  

 名は──叉汰毘光悦。  

 妖の大道芸団〈百鬼座〉を率いる座長にして、人か妖かさえ定かならぬ存在だと噂されていた。灯火が照らし出したその容貌に、思わず息を呑む。  

 白磁の肌に薄紅を差した唇。深紅の小袖を黒錦の打掛で包み、胸元には重たげな金の首飾りを幾重にも垂らす。漆黒の髪は鋭く切り揃えられ、額を飾る金細工はまるで鬼の双角。女の肩に凭れる黒猫は琥珀色の瞳を光らせ、尾をひと振りするだけで背筋に冷たいものが走った。  

 女は群衆を見渡し、唇の端をゆるやかに持ち上げた。  

「おぅおぅ……お待ちかねかえ? 今宵は、えらい賑やかにお成りやすなァ。   さァて──人の欲と妖の戯れが交わるところ、これがうちの〈百鬼夜行〉の花道よぇ……」  

 囁くようでいて、町全体に染み渡るような声だった。  
 ぞっとした。

 けれど、耳を塞ごうとしても塞げぬ、不思議な響き。  

「目ぇ逸らしなさんな、ようよう見とくれ。ここからが、極上の地獄絵よ」  

 次の瞬間、裏路地から笛の音が高鳴り、火吹き童子が炎を吐いた。  
 紙の狐面がにたりと笑い、影から影へと百鬼がぞろぞろと現れる。  

 歓声とも悲鳴ともつかぬ声が四方から上がり、私もまた息を呑んだ。  

 泰平の江戸の片隅に、妖艶きわまる一座の幕が上がったのであった。
 天幕の内へ足を踏み入れたとたん、外の喧噪がぱたりと遠のいた。  

 そこは、赤と黒の布で張り巡らされた異界。
 吊られた無数の提灯は、油煙を吐きながら妖しげに揺れ、影絵のように怪異の姿を浮かび上がらせていた。  

「よう来なすったねぇ……。ここは、夢と現のあわい。心して覗かにゃあ、魂まで置いてきちまうよぇ」  

 座長・光悦の艶を帯びた声に、私は思わず喉を鳴らした。  

 扇をひと振りすれば、鼓の音がどこからともなく響き渡る。  

「さァ、今宵の一の手──狐火の妖狐じゃ。見とくれやす」

 焔をまとった妖狐が舞台に飛び出す。ひと声「コンッ」と鳴き、口から青白い炎を吐けば、天幕の天井まで焔が駆け上がる。  

 観客からは驚愕の悲鳴が洩れたが、炎は花びらのように散り、やがて火垂るとなって舞い落ちた。 子らは歓声を上げ、年寄りは手を打ち鳴らす。  

 ──だが、その隣で、泣いている者がいた。  
 頬を伝う涙を、袖で必死に拭う町人。  
 私は思わず目を疑った。狐火を見ただけで、なぜ泣くのだ……?  

「続いてぇ……鬼女よ。影を呑んで、怨念に変ずるわ」  

 舞台の中央に現れたのは、般若面をつけた長い黒髪の女。  
 扇を広げると、観客の影がするりと抜け出し、彼女の口元へ吸い込まれていく。  女が微笑めば、影は狐や鳥や龍のかたちとなって屏風絵のように踊り狂った。 人々は驚嘆と恐怖を入り交ぜた声を上げたが、影はやがて元の持ち主の足元にすとんと戻り、安堵の笑いが起こる。  

 しかし私のすぐ前の女は、嗚咽を殺せず、影が戻っても笑えぬまま顔を覆って崩れ落ちた。

 「お次は……お楽しみ、轆轤首。あの世とこの世を首ひとつで渡り歩くわァ」  

 ひょろ長い女が登場し、にやりと笑ったかと思うと、首がするすると伸び始めた。  するすると天井近くまで伸び上がり、観客の頭上をにゅるりと渡り歩く。 子どもたちの歓声と、母親たちの悲鳴が入り混じり、天幕の中は笑いと拍手で揺れた。  

 だが私は、若い男が蒼白になり、膝が震えているのを見てしまった。  
 首が伸びたその瞬間、まるで自分だけを狙われたかのように、ひたすらに視線を逸らし続ける。  

 ──どうしてだ。皆が楽しんでいる中で、なぜ彼らだけが泣き、嗚咽し、震えている?

 その時、光悦が扇の影からふとこちらを見やり、目を細め、嗤った。
 まるで全てを知っているかのように。  

 背筋に冷たいものが走った。喉が渇き、呼吸が浅くなる。  

 あぁ、これは、ただ芸を見て恐れているのではないのだと、ふと理解した。  

〈百鬼座〉の芸は、ただの見世物ではない。観る者の胸の奥底に隠した罪を暴き出しているのではないか。  

 しかし──暴いたところで、裁かれているわけではない。  

 いや、待て。    
 もし罪を抱えた者だけが招かれたのだとしたら。  
 私自身は、なぜ、この天幕に招かれたのだろうか?


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続きを書くことがないからここで供養シリーズでございます。

なぜならば、ここまで勢いで書いて、このあとの展開考えて「これ、ほぼ巷説百物語じゃん」と冷静になったからです。ははっ。やっちまったぜ。

そして、下田さんの批評にギャル投げるつもりだったのに締め切り忘れてしまっていましたね~。残念。まあ、次回に持ち越し。

それではみなさま、良い日曜を。

2件のコメント

  • うーーーむ。
    ジャンルは歴史かな?
  • んー。たぶん歴史ですかね。なんちゃってウソ歴史ですけれど。続き的にはちょいホラーでもあるので、ホラーでもいいかもしれませんが。いっそ、エンタメってジャンルが欲しい今日この頃です。
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