いつも読んでくださり、ありがとうございます。
このたび、
しゃせん先生
[https://kakuyomu.jp/users/Siip114510M]
より、『きっと、この世界で僕だけが君を知らない』へレビューコメントを頂きました。
『僕は君を知らない 君も僕を知らない』
[https://kakuyomu.jp/works/2912051605293841780/reviews/2912051606661151491]
しゃせん先生は、各話にもコメントをくださっていて、とても印象に残っていることがあります。
僕が見ていた編の第一話に頂いた感想。
「触れそうで 触れられない、本物がわからないような、ふんわりとした物語でした。」
「これは主人公視点、彼女視点で感じ方が変わりそうなので、断定はできませんが。」
この感想をいただいた時点では、まだ君が見ていた編のことを認知してなかったそうです。びっくりしました。
ハルから見たシオリだけではなく、シオリから見たハルを書く。
同じ出来事、同じ言葉でも、片方では「理解」だったものが、もう片方では「不安」だったり。「距離を守ること」だったものが、もう片方では「離れていくこと」だったり。
書いている私自身も、両方を書かなければ分からなかったことがたくさんありました。
また、君を見ていた編第九話。
「お互いに少しづつ分かって、でも 分かり合えない部分があって」
分かることもある。相手の癖も、考え方も、怖がるところも、言葉にしないことも。長く見ていれば、かなり当たることもある。
でも、分かったことが増えれば、全部分かるようになるわけではない。
最終話に、
「辛い とか 寂しい とかで一括りにできない 複雑な作品でした。」
と言ってもらえたことも、とても嬉しかったです。
作品もまた、作者だけのものではなく、誰かに読まれた瞬間に、その人の中にも別の物語ができる。
そう思うと、この作品にとって、とても似合う感想をいただけた気がしています。
ありがとうございました。
◇
しゃせん先生について
[https://kakuyomu.jp/users/Siip114510M]
先生の御作品を読んでいて、感じるのは、感情を説明するというより、その感情を抱えた人には世界がどう見えているのかを、そのまま文章にしていることだと思いました。
海や空、壁、家、夕焼けみたいな景色が、ただの背景として置かれているんじゃなくて、その時の登場人物の心によって意味や質感まで変わっていく。だから「寂しい」「苦しい」と書かれている以上に、その人の中に入って、その人の視界で世界を見ているような感覚があります。
最後の一文でそれまで読んできたものの意味が少し変わるような終わり方が印象的で、新しい事実を突然出して驚かせるというより、最初からそこにあった言葉や感情を、最後にもう一度違う角度から見せられる感じ。
私自身もかなり近いところを考えることがあるので共感する部分も多いのですが、私は途中で立ち止まって考えてしまうことを、先生はもっと感情の勢いのまま景色にしていく感じがしました。
静かだったり、痛かったり、少し不穏だったりするのに、読み終わったあとに残るのは説明ではなく、その人物が見ていた景色です。