「この針摺石には次のような伝説があり、地名の由来になっています。
その昔、太宰権帥として左遷されていた菅公(菅原道真)が、天拝山頂で身の潔白を訴えられた帰り、この地をお通りになりました。
そして、老人が斧を石に当てて一心に摺っているところを目にされました。
「何にするのだ」と問うと、老人は「針にするのです」と答えたそうです。
その言葉に菅公はつよく心をうたれ何事も不断の努力がなければ成就しないものだと、再び天拝山に引き返し、天に向かって訴えを続けられたと伝えられています。
「筑前国続風土記」(1703年)によるとこの石は、もとは山のふもとにありましたが、近年、この場所に移されたとあります。
筑紫野市
」
第9章でリョーワがナルシスに斧を渡して「これを擦って針にしてください」というエピソードの元ネタです。
話だけ聞くと、砥石のような平べったい石を想像しますが、実物は高さが2メートルくらいある石碑のような石でした。
現在この石がある場所は、天拝山から榎社(南館があった場所)へ向かうのとは全然方向が違うので、最初は方違えでもしたのかな?と思っていましたが、案内板の最後の一文を読んで納得しました。
