本日【翡翠】第88話 【光の方へ】を更新しておきました
年内百万字達成したのですが何をまだ猛然と更新しているんだもう110万字じゃねえかと思われるかもしれませんが 違うんです!!!
実はずーーーーーーーーーーっと書きたいエピソードが一つあって、それが多分そろそろなのでどうせなら2025年内でそこまで辿り着いて楽しく三箇日伸び伸び過ごしたい!!✨という野望があるのです
多分次にそのエピソードが来る……はず!! そんで年内最後の更新だ!!
遊び暮らすぞ!!🥰
あと1話! やっと書きたかったエピソード!!
ついにこの時が来たか!!! っていうやつを更新したいと思います!
ってか私もこのシーンがずーーーーーっとまだ遠くだったらこんな年内の内に……!なんてあわよくばみたいな考え起こさなかったと思うんですが、だって頑張れば辿り着けるかもしれねえなって思ったんだもん
実際、辿り着いただろ。
年内最後の更新が【翡翠】で最も書きたかったエピソードの一つになるってのもすげータイミングだな!!✨✨ なんか綺麗な終わり方ですな!
ただ軽いエピソードじゃねえんで気合い入れて頑張る
大丈夫あと実質三日ある
私ならば行ける✨
頑張れ文量の申し子(?)よ!!
長編小説の魅力は【時の経過による変容】を描ける部分だと私は思っています。
だから【時の経過による変容】を描いてない長編小説は、醍醐味を放棄しているとすら思っているので、【変容】にチャレンジしてない話は私が読んだ時に非常に印象が悪くなります。
分かります?
長く続く漫画とかでも、あるじゃないですか。
「1巻だとこのキャラこんなに弱かったのに、42巻じゃこんなに強くなって皆を守れるようになってくれてる……😭」とか
「最初は仲悪かったのに、76巻だと二人で組んで戦うようになるなんて……!✨」とか
これ書き手は「話を進めたら、話が進んでる」と思い込むことがあります。
書けてると。
読み手からすると違うのです。
「人間関係とかがしばらく見ない間に変わってる!?✨」
とか「仲良くなってるじゃん!!✨」とか
読み手は【前進】よりも【変化】の方が捉えやすいのです。
だから【変化】を書かないと、いくら物語を書き進めても「この話いっつも単調だな」「激しい戦闘シーンだけどまったく緩急がなくて飽きる」などという状況が生まれかねないのは、書き進めているだけで変化を明確に書いてないからなのです。
書く人が読んだ方がいいのは、
「読み手の視点を失わないための措置」としても読んだ方がいいと思います。
ただし出来ればプロとか上手い人の作品をね。
書き手の気持ちと
読み手の気持ちは必ずしも一致しない時があります
「何が読みたいのか」
という点が特にそれですが、
書き手が「これを書きたい」と思っても、
場合によっては読み手は「そんなの全然読みたくない」と思うものである可能性があります。
だからこれも塩梅なんですが、勿論書き手は書きたいことを書くべきなんですが、一つの趣味とか好みに拘り過ぎないことも結構必要なのです。
いわゆる第三者視点ですね。
これを失わないことがとても大切です。
前も書きましたが世界観もいい、展開も悪くない、ヒロインのキャラだけが鬱陶しい
とかは、作者の悪しき拘りの結果です。こういう作品はヒロインが良ければ素晴らしい作品になるのですから、変なこだわりは捨てて展開と世界観に集中すべきなのです。そうすればいずれ、自分好みの女の子キャラを出すチャンスは別の機会に訪れるかもしれませんし。
漢字いっぱいの役職や軍隊の正式名称とかをやたら拘って書きたがる人もそうです。
書き手は漢字いっぱい使って書けて満足かもしれませんが、
案外読み手そんなもん一字一字なんか読んでません。
読み飛ばしてます。
読み飛ばすのは「面白くないな」「興味ない」と思っているからなので、あまりにも何回も何回もそういうことすると「しつこいな」とその文章自体、嫌われることがあります。
書き進めることと
変化を書くことは
実は別物です。
だから「話進んでるけど全然展開に変化無いな」という話が生まれることがある。
そして
書き手が書きたいものを、
必ずしも読み手が読みたいと思ってくれるかどうかは
また全く一致しないことがあります。
それは個人の趣味好みを越えた領域で。
私が今日書いた【光の方へ】は魔術師二人が喋ってるという非常に私好みのエピソードなんですが、多分そんな興味ない人もいると思います。
しかし先々の展開を考えると、ラムセスとメリクの関係性の基盤がこれになるため、一度はしっかり書いておかないといけない部分なので敢えてがっつり書いています。
しかしずっと天宮の窓辺で二人の魔術師が話してる話を書くつもりはないのでどうぞご安心を。
実は次のエピソードで展開が大きく動くので、その為にもその前のエピソードはなるべく静けさを保つものにしたいという意図があったので、
いわゆる前に書いたようにこのエピソードは【凪】です。
次が【時化】。
長編小説には
①変化を描く必要性
②【凪】と【時化】の繰り返しで緩急をつける
がとりあえず絶対的に必要であることは心得てますので大丈夫だ心配するな😊
でも長編のドラマや、小説や、漫画で、
「1巻ではこうだったのに、50巻ではこうなってる……!!✨✨」
みたいなのが明確に見える時って、すっごく嬉しくて楽しくて感動しませんか?
私はすごくするんですよ。
大好きな作品は何度も読み返すって言ってますが、実はこういうちゃんと大きな変化が人間関係などに見られる作品って、飽きが来ないのです。
何回読み直しても、
1巻の未熟さや拙さが、可愛くて、愛しくなるのです。
それは50巻に到達した時の頼もしさや強さを目にしているから、感じる、二度目の新しい発見なのですよね。
スポーツの試合でも
一度見てしまえば、もう結果も展開も分かってるし、見る価値が無くなると思う人いると思いますが。
実は本当のスポーツ好きは試合結果分かっていても、展開を分かっていても
「もう一度見たい」と、
結構繰り返し試合を見ることがあるのです。
それは何故か。
凄い展開になった試合。
その試合開始の時点で、選手たちは自分たちのこれから起こる運命を何も知らないわけです。そういう顔が映っていて、これから死闘が始まることも知らない顔が無性に愛しくてカッコいいのです。
見ていると、「ここ油断したら危なかった」みたいな場面もあり、そういう時に「そうかこの人がその敵に流れが行きそうなのを防いでたんだ」とか見返して初めて気づいたりするとカッコいいし感動しますしね。
劣勢からの逆転!! とかだと、
その劣勢の時に、やたら俯くチームメイトを鼓舞している奴とかがいて、
戦う魂を失ってなかったのはお前だったのかーーーーーーーっ!!!✨✨
ってそいつの闘争本能から反撃が始まったんだとか分かって、とにかく
「まだ何も起こってない」
からの
「起こり始める」
ところが見れるから非常にドラマティカルなのです。
なのでスポーツ好きの中には結果も分かってるのに繰り返し試合を見る人がいます。
それは「結果が嬉しい」のではなく、
その人はその試合の「試合全体の展開の変化」が好きなのですよ。
変化の様子を見てるのですね。
50巻まで見た大好きな漫画をまた1巻から読み直してる少年と同じですので、
どうぞ世の中の彼女さん達いくら自分がスポーツに興味がないからって「またその試合見てんの?💢 もう試合結果分かってんじゃん!!」などと彼氏に冷たく言うのはやめてあげてください🥰