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魂を吹き込む



『気ままで、自由で、楽しい。そんなのは本当の魔術師じゃない』




本日の【翡翠】のキャッチフレーズになった
このセリフは、ものすごく重要で、

つまりメリクにとって第一の生の魔術師の生は、これが総括なのです。

ひたすらに、辛く厳しく、孤独。

魔術師とはそういうものだと。

これが彼の第一の生の結論だった。



弟子を見れば、師が見える。



これは実はリュティスの結論でもあります。

そこを忠実にメリクは受け継いでしまったのです。




しかしながらラムセスは違います。


「魔術ってのはこんなに奥深くて底知れなくて魅力的で楽しいものだ!!」


というのが彼の結論なのです。

この、生前のメリクの総括と真逆の「魔術」への印象と実感を持つラムセスに出会い、彼と行動を共にした時、メリクの考え方にも変化が起きるのではないかと思うんですよね。


これは私の中で「人生」に対して思ったことに対する実感だったりします。
人生を共に楽しみ、喜んでくれる人と出会えていなかった時、
私は人生ってなんてつまんねえんだと思っていましたが、


色んな趣味や、面白い考えを持つ人間たちに出会うことで、
彼らが人生の彩りになってくれて、
無性に人間や人生って楽しいのだと実感するようになりました。

その感動を「魔術」に置き換えて、

魔術師という人間が魔術をどう思うか、

そういうのを描きたかったのです。


これは私が現実世界で「実感」を持っていたからこそ、
ここまでリアルに実際にはない「魔術」を捉えて置き換えられた部分です。



作品の展開を考える。

話を考える。

面白い内容を考える。

確かに大事な作業ですが。

皆さん自分の「実感」をどれくらい作品に込めてるでしょうか。

私はこの自分自身の経験や実感から来る【質量】こそ、
他人の心を打つか打たないかの分かれ目を作るものだと思っているのです。

AI作品を嫌うのは、この【質量】。

作者自身の【実感】、【魂】とすら言っていいかもしれません。

これが無かったり薄まったり欠けるからなのです。



カクヨム読んでいても、特に異世界ファンタジー色んな多彩な面白い設定があります。

しかしふとそういうのを読んでいて思うのです。

真新しい設定ではあるが、この作者の実感はどのくらいここに込められてるのか?

どんなに凝った設定でも、実はこの「作者の実感、魂」が欠けていて見当たらない作品はかなり多いのです。

こういう作品は本当に格好だけは付いているが、
あいつの言葉って軽いよな、って言われる人間のように、

実は想いを読み手に伝える、という部分が非常に疎かになっているのです。


実感は、

置き換えることが出来ます。


私にとって人生や人間が、「魔術」という概念に置き換えられたように。

例えば「ドラゴン」が人生の相棒に置き換えられることも出来るでしょう。
親友に置き換えれる話もあるかもしれません。


悪く言うと「作り話そのもの」である異世界ファンタジーには、
よりこういう作者の実感が求められます。

これが吹き込まれてない異世界ファンタジーはただただ荒唐無稽で、
設定だけ凝っているが、そこに出て来るキャラに全く感情移入できない、
現実感の無い空虚な話になってしまうのです。

自分の現実世界を生きる実感。
家族への実感、
兄弟への実感、
恋人への実感、
学びへの実感、
トラウマへの実感。
感動への実感。


そういったものを必ず吹き込まなければならない。


そういうものをきちんと世界に組み込んでる作品は、【質量】が違うので、
読めば必ず分かります。

展開、
人間関係、

セリフ。

色んなところに「実感」が籠ってる。



特に異世界ファンタジーは設定ばかりが先走り魂を吹き込むことが疎かになったりすることとても多い作品です。

魂の無いファンタジー作品を作るなかれ。



私も常に覇気と魂を組み込んだ、【質量】ある作品を書いていきたいと思っています。😊✨

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