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はじまりました

シン・浦島太郎。
そもそも民話や童話ってなにかの目的があって作られたと思います。
それは子供への教訓だったり未来への戒めだったんだろうと思いますが、浦島太郎については、なにか大事な部分が欠落していて、どうも腑に落ちない。
「開けてはいけない玉手箱」を開けてしまっておじいさんになってしまう浦島太郎から得られる教訓は「言われたことを守りましょう」でしょうか。
いや、そもそも、開けてはいけないものを「贈る」方がおかしいわけで、恩人に時限爆弾を持たせて帰らせるようなもんです。
こういう意味において、民話や童話はおもしろいとも思います。
当初作られた話がだんだん伝わっていく中で、わりと根本的な部分が抜け落ちてしまって、物語の奇妙さゆえにその他の部分が残ってしまっているような感触。
浦島太郎は、異世界旅行とタイムトラベルというSF作品なわけで、その面白さゆえに残ったのだろうなと考えますが、教訓的な部分が片手落ちになっているような。
そもそも、民話や童話が教訓を備えていなければならないという考えがそもそもおかしのかもしれません。
「民話なんだから、筋が通っていて教訓を備えているべきだ」という前提に立つから、こういう違和感を持つような気もします。
しかし、多くの人にとってその前提条件はわりと共有されているように思うので、やはり違和感は違和感として現存するのかなとも思います。
深く考えたら負けなような気もしますが、そういうところを考えるのが「面白い」ということな気もするので、書いてみてよかったなと思っています。

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