一人称と三人称についての話を聞きました。私も混ぜてください。
こんばんは。神永瞬子です。実は秋田県中の子どもを怖がらせてお金をもらっています。……嘘です。
なんだか面白いことになっていますね。一人称小説を三人称小説について云々。せっかくなので、今一度、一人称小説とは、三人称小説とはなにか、立ち返ってみることにしましょう。書き手であるのならば、無駄にはなりませんよ。きっと。
或日の事でございます。御釈迦様は極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶら御歩き
になっていらっしゃいました。池の中に咲いている蓮の花は、みんな玉のように
まっ白で、そのまん中にある金色の蕊からは、何とも云えない好い匂が、絶間な
くあたりへ溢れて
おります。極楽は、丁度朝なのでございましょう。
道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林
を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。
私はニ十歳、高等学校の制帽をかぶり、紺飛白の着物に袴をはき、学生カバンを
肩にかけていた。一人伊豆の旅に出てから四日目のことだった。修善寺温泉に一
夜泊り、湯ヶ島温泉に二夜泊り、そして朴歯の高下駄で天城を登って来たのだっ
た。
はい。それぞれ上が三人称小説、下が一人称小説ですね。言わずと知れた名作です。この時、どのような根拠であなたは二つの文章を三人称、一人称と分けたのでしょう。見ればわかるじゃだめですよ。しっかりとした文章に出来る根拠があります。
「御釈迦様」と「私」が出てきたから。いいですね。しかし、それだと説明できない文章も存在しませんか?
これはね、私の知り合いが体験した話なんだけど……。
これから私が語るのは、今から百年前の……。
どれも、「私」が出てきています。いや、そうじゃないんだけどなぁ、と、違和感を覚えていただければそれで問題ありません。もったいぶらずにはっきりとお話ししましょう。三人称小説、一人称小説、それぞれどう違うのか。
それは、語り手が語る話の中に、その語り手自身が登場するか否か、です。
物語には、必ず「語り手」が存在します。当たり前ですよね、物を語るから物語です。語り手が居なければ、物が語られることはありません。今手元にある小説、何でもいいので開いて確認してみてください。必ずソイツが居るはずです。したり顔で自分の事を、あるいは、自分の知っている「誰かの話」をするヤツが。絶対に。(よっぽど特別な小説じゃなければ……)
これだと、さっきの文章も説明がつきませんか。私の弟が体験した話、私が語るのは、というのは、語りの手「私」という一人称が現れているだけで、分類でいえば三人称小説なのです。だって、それ以降の話に語り手は出てきて来ませんから。(ただ、私の知り合い、だとその語り手も登場する可能性がゼロじゃないからなー……。うーん)
留保が多くなってきたので、もっと留保をします。
語り手は、作者とイコールではありません。作者がある特定の語り手を演じている可能性は十二分にあります。こればかりは作者のクセを読んでいくしかありません。何も想定されていないのであれば、ふわふわとした「誰か」が語り手をやっている。程度の認識で問題ありません。最近は、そういったメタ的な構造の小説が現れづらいですから。(なんてったって難しいもの)
また、三人称小説においても、あえて語り手がその人物になりきって、人物の内心を代弁したりすることもあります。けど、惑わされちゃいけません。大切なのは、語り手が出るか、出ないかです。
さて、以上が技法と定義の話。でも、なんだか騒がれているのは、これを問題にしているわけじゃありませんよね。
一人称小説、三人称小説、どっちが難しいか、そして、アマがプロがやいのやい。
まず、後者から言及します。一人称がアマチュア、三人称がプロ、なんてことは一切ありません。私が引用した一人称小説は川端康成の『伊豆の踊子』です。同じ作者の『抒情歌』もそうですね。芥川龍之介の『藪の中』、太宰治の『皮膚と心』エトセトラ。一人称が簡単、アマチュア、ライト、なんてのは全部嘘っぱちです。なんなら、読むときは一人称小説の方が難しいです。これは後述します。
逆に、では三人称小説が簡単なのか、それも違います。これらは技法の違いであって、拙巧の違いではありません。好きなように書けばよろしい。ツイッターでストレスを燃やしている暇があるのなら、その時間で自分の作品の為に手を動かした方が何億倍もマシです。
ただ、読む側になると、個人的には一人称小説の方が難しく感じます。(難しいだって個人の尺度の問題やろがい!)
なぜなら、一人称小説には、『語り手の事情』が関わってくるからです。一人称小説は、語り手が自分の事を話すもの。だとしたら、語り手が隠したいところは誤魔化すし、見せたいところは大げさに書かれたって不思議じゃないワケです。
一方で三人称小説の語り手は、比較的平等なことが多いです。ある程度語り手は冷静に語ってくれます。時折、人間の好き嫌いが滲み出てくることがありますが、それだって拙巧とは何の関係もありません。
自由に文章を書いてあげてください。
「その音が止まるまで」更新です。スケジュール変更して毎日投稿にしました。ちょっと間延びだったからね。気が乗ったら読んでやってください。また明日。