私は、私の憧れる小説家のように、黙々と作品を作り上げ、その作品でもって全ての己の主張を完結させ、余計なSNSはせず、昼は仕事に励み、夜にコツコツと小説を書き上げ、豊かな世界観と奥深い登場人物の描写をなせる、脂はのっていないけれど、確かな実力とファン層に支えられ、その質実剛健で確かな存在感を放つような作家になりたかった。……なりたかった。
こんばんは。神永瞬子です。実は大谷翔平です。……嘘です。
憧れについて考えたいと思います。
憧れは理解から最も遠い感情だよ。と藍染様が仰られていますし、例の野球選手も「憧れるのをやめちまえよ……。」とコンビニを横切るたびに私に囁いてきます。実際、憧れは理解からは最も遠いと私も思っていますし、憧れるのを辞められれば、少なくとも五年間燻ることもなかったでしょう。……冷静に考えると五年間ってすごいぞ。本当に。何やってたんだ?
それでも、偉大な先人たちの努力により、憧れという感情が徐々に解剖され、その地位を調節する中で、時折私は思うのです。憧れが不当に下げられている。と。
冒頭でも書いた通り、私はある小説家に憧れて物語を書き始めた側面があります。側面がある、というのは、それだけが要因ではないという事です。当時は「なろうバブル」と形容するほどWeb小説の黎明~過渡期でしたし。
憧れ、というものが「私もああなりたい。あのように振舞いたい」という欲望の事を言うのなら、私は、憧れというものは決して悪くない。むしろ、それを正面から見つめることこそが大切だとすら考えています。
第一に、憧れは指針となり、その人の美学になります。私たちの行動を規定するのは、実際問題、法律ではなく共同体の中で何となくで運営されている習慣やマナーです。エスカレーターどっち側に立つ問題とか分かりやすいですよね。法律でそうと決まったわけじゃないし、むしろ公式(?)がどっちでもいいよ、と言っているのに、なかなか変わらない。
そして、美学とは自分と、自分を観測する自分、という最小単位の共同体の習慣・マナーであると考えています。憧れと己を照らし合わせる中で、美学が醸成され、自己批判の精神が育まれる。自己批判の精神、という言葉があまりにも固すぎると感じるのなら、客観視、という表現が適切かもしれませんね。自分の行動を、自分で反省できる人間は魅力的だと思いませんか?
ただ、注意点もあります。自己批判は簡単に自己蔑視に変わります。自己蔑視のスパイラルは簡単に人間の意欲を削ぎます。自己批判をする中で、主語がデカくなってきたらやめましょう。「私は」という単語が出てきた時点でアウトです。そうなったら、よるごはんをいっぱい食べて、熱いお風呂でリラックスしたあと、(好きな入浴剤もいれていいよ!)、あったかいお布団で10時間は寝てください。
自己批判、という言葉が良くありませんね。自己の行動と思考の反省、くらいが健全です。でも、楽じゃありません。なぜなら、そうやって己の醜い所、後悔を冷静に解剖するのにはSAN値が要るからです。すぐに主語をデカくして、大きな「自分が嫌い」という自己蔑視で覆い隠したくなる。反省のために、どうして? という言葉を投げかけるたびに、自分の根っこの根っこまで見ないといけなくなる。社会的、人間関係的なベールの奥で尊大に振舞う裸の王様みたいな自分を見ないといけなくなる。これは辛いです。
でも、やる価値はあります。私が憧れを大事に思う第二の理由です。
憧れを追う過程で、見えてくるのはむしろ自分自身です。「俺はキムタクにはなれないが、キムタクも俺になれない」ってヤツです。
私は、私の憧れたような作家にはもうなれません。そもそも年齢が違います。行った学校も違えば、育った都道府県も違う。違うものを何度も掃いて捨てた後に浮かび上がる共通点は、小説を書いている、のと、直立二足歩行を行っているのくらいです。
その、小説を書いている、というのも、要素を分ければ全く異なってきます。ジャンル、人称、語りのレベル、それに向き合う姿勢、エトセトラ……。(さすがに直立二足歩行を要素で分けるのはむりだった)
憧れて、その人になりたいと願って手を伸ばした先にあるのは、むしろ絶対に逃れられない自分という檻のようなもの。でも、それは一生付き合っていかないといけないものです。体質も、気質も、憧れから見れば本当に気に食わないものばかりで、鏡を見ればため息が漏れて、書いた小説は燃やしたくなる。でも、分からないまま檻に激突し続けるよりは、インドに行くよりは、ずっとマシな自分探し、自己理解の方法です。
憧れは、その人を理解するには最も遠いかもしれませんが、自分をわかるには存外近い感情かもしれません。
だからこういうのを作品で表現して伝えられるようになりたかったのになぁ……。なんで近況ノートで自分語りスレスレのビジネス本もどき書いてるんだろう……。もっと面白い話を目指してたはずなのになぁ……。
でも、書けちゃったからには投稿しますよ。いつか自分くらいは愛せる程度の甲斐性が欲しいものです。
なんかもっと軽い話をしたかっただけなのに、文章を書いてないと不安でずっと何かを書いている気がする。
明日更新です。また気が乗ったら読んでやってください。では、次の更新で。