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エタるって今でも通じるの?

 初めまして、ではないけれど、始めまして。神永瞬子と申します。かみながしゅんこ、だなんて変な響き、かも。
 実は、四、五年ほどまえに、ここカクヨムで小説を書いていました。もっと前にもそういった活動はしていたのだけれど、当時の自分はジタバタして、そして何でもかんでも白紙に戻してやり直したがったから、アカウントごとエタった小説を消してしまったりして、今ではもう、何も残っていません。ネットでも、履歴書がまっしろだ! ……いちおう、エタった、というのは、小説を完結させずに放置して、実質打ち切りのような状態になってしまっていること。
 こうして自分がまた筆を執っているのは、幸運なことに小説を書き切ることができたからです。だからこれは、あとがきのようなもの。けれど、あとがきだなんて、かっこつけられるようなお話でもありませんし、なんだか気恥ずかしくて。そして何より、こうやって色々な文章を、物語というものの影に隠れずに残す楽しさを知ってしまったので、こうして近況ノートに自分の言葉でもって、色々と思った事を書き連ねていこうと思いました。

 せっかくなので、ここでしか書けないようなことを。
 『その音が止まるまで』は、様々な民俗学的用語、古典的物語の引用を多数用いています。その中には、詳しい人から見れば思わず首を傾げてしまうものもあるかもしれません。何も知らない方に、これってこうなんだ。と、誤解させてしまうようなことも、あるかもしれません。そう言ったあらゆる誤解は、全て私の責任です。ですから、どうか安心して、この物語を楽しんでもらえたら、と思います。
 また、この作品は現在自分が公開している、エタってしまった作品『その音が消えるまで』を骨子に物語を書きおろし、再編集した話です。似ているようで、やっぱり似ていないような、けれど、まぁ似ている。エタってしまっているので、途中までしかありません。当時の未熟な自分の文章そのままで、本当は消してしまいたかったのですが、自分とのやくそくですので、残しています。くやしくて、はずかしい。読まないで欲しいけれど、比べてみてもほしい。そんな感じです。

 家族ほど、不思議なものはありません。私は、家族が好きで、きらいです。ただただ、生まれた時からずっと一緒にいる、最も近しい他人。それが家族です。
 私は、血の力をそこまで信じていません。家族だからわかる、だとか、家族だから似ている、だとか、家族だから同じような過ちをする、だとか、ぜんぶ。家族の考えていることが、私には分かりません。家族の感じていることが、私には分かりません。その逆で、私が分かって欲しいことを、家族は分ってくれませんでした。私がどれほど言葉を尽くしても、伝わらない事ばかりでした。小説を書いているのに、はずかしい。体型も身長も顔つきも、似ていると思ったことは、あんまりありません。
 あるいは、みんな分かっているような顔をして、本当は分っていないのかも。もし、そうなのだとしたら、すこしだけ、安心します。
 これだけ言っておいてなんですが、でも決して、私は家族のことがきらいではありません。好きだけど、きらい。きらいだけど、好き。そんなもんだと信じています。
 私が小説を書き始めたきっかけとなった本を買ってくれたのは母でした。育ててくれた恩義も、暖かい思い出もあります。でも、それと同じくらい傷ついた経験もあります。血は水よりも濃いとは思えません。私の人生は、水の繋がりで変わったと思っていますから。
 いつか私も、この血の繋がりを大切に思える日が来るのでしょうか。

 更新スケジュールは隔日22時です。明後日ですね。また気が乗ったら読んでやってください。では、次の更新で。

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