短い話だとちょこちょこ出来上がる。ディアドコイ戦争編の難しさよ! あっち紀元前4世紀の事調べながら進めたからな~。
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しかし、フィオラは動かない。億劫そうに、巨大な真紅の瞳をゆっくりと男に向けただけだ。星を一撃で消し飛ばすほどの力が、その気だるげな視線の中に凝縮されていることなど、男は知る由もなかった。
キィン、と甲高い音がして、剣は鱗に触れた瞬間、まるでガラス細工のように粉々に砕け散った。
「なっ……!? なぜだ! こういう時、竜は真っ二つにならないとおかしい!! あ゛ー!!!」
「真っ二つになりたくないわよ~ふああっ」
男が驚愕に目を見開く。その反応すら億劫だと言わんばかりに、フィオラは再び大きな欠伸をした。
「……今日はね、国境の街で、あのフェルメールの、なかなか良い贋作が手に入ったから気分がいいの。だから見逃してあげるわよ」
フィオラは寝そべったまま、こともなげに言った。そして、まるで背中が痒い時にするように、自身の脇腹あたりに爪を立てる。ポリポリ、パリ、と乾いた音がして、人の頭ほどもある巨大な虹色の鱗が一枚、剥がれて地面に落ちた。
「はい、お土産」
巨大な顎で器用にそれを拾い上げると、呆然と立ち尽くす男の足元に、ぽとりと落とす。鱗は、洞窟の薄闇の中で、まるでそれ自体が光源であるかのように、妖しい輝きを放っていた。男がそれに触れることもできずにいる間に、フィオラはもう興味を失ったようにゴロリと寝返りを打ち、再び目を閉じてしまった。
その一部始終を、少し離れた場所から見ていた三人の女たちの心には、それぞれ全く異なる波紋が広がっていた。
(中略)
カイアスとアンリ国の国境近く、灰色と土埃の匂いが混じる街。年の瀬の活気は、二つの大国の緊張をわずかに和らげているようだった。露店が並び、普段は見かけない他国の装飾品や香辛料が、道行く人々の目を引いている。フィオラ=アマオカミは、その喧騒の中を、まるで水の中を歩くかのように気怠げに進んでいた。ヴァーレンス王国からわざわざ足を運んだのは、単なる気まぐれと、この地方でしか手に入らないという希少な絵の具を手に入れるためだった。
「最強の剣聖、ですって? それを言うなら、イズモタケルさんじゃないかしら。ヤマトタケルくんはまだまだね」
フィオラは、未だに膝をついたまま虚空を見つめる男に、もはや視線すら向けずに言った。その声は、上質な絹を撫でるように滑らかでありながら、絶対零度の冷たさを帯びている。彼女の興味は、もう完全に目の前の男から失われていた。
「ミハエルでも敵わないし、もちろん、わたしやサリサが霊気を全開にしたところで相手にならないわ。冬華だって出雲さんには負ける。そして何より、あのやかましくてしょうがないさゆ……春の雪女が、心底恐れる数少ない相手、それが、出雲建さんよ。筋トレ松町リゾートホテルの悪霊退治したようだけど。
大体女神に化けてるルシファーってわたしたちよりよわいもん。今の蒼依くらいの強さよ、女神に化けてる堕天使の王ルシファー。弱い奴から力もらっても弱いに決まってるじゃない」
それは、諭すのでも、教えるのでもなかった。ただ、世界の真理を、道端の石ころについて語るように、淡々と述べただけだった。だが、その言葉一つ一つが、男がよすがとしていた「最強」という概念を、木っ端微塵に粉砕していく。彼の脳裏には、もはや女神の微笑みも、チートスキルの輝きも浮かばない。ただ、果てしない絶望の暗闇が広がっていた。
フィオラは、パン、と乾いた音を立てて手を叩いた。その仕草には、面倒事が片付いたことへの、ほんのわずかな安堵が滲んでいた。
「さ、街に寄って飲み直しましょ! この気分、どうにも吹き飛ばしたいわ」
