第一話「熱」から登場する佐伯雄三は、この物語で工藤晃が最後に向き合う人物です。
最初の佐伯雄三は、芝居しか見えていない狂気じみた役者でした。ところが書き進めるうちに、僕の中で彼は少しずつ変わっていきました。狂気よりも孤独が際立ち、やがて役者ゆえの業を背負う人物になりました。その業とは工藤晃の父である工藤建との関わりから出ています。そして最初にあるのが孤独です。けれど孤独のままにさせないのが黒木康介。なんとか佐伯を日の当たる場所にもう一度立たせたいと奔走します。孤独の奥にあるのは過去の贖罪です。乗り越えようにも乗り越えられず、諦めかけています。ゆえに「もう誰も俺の懐になんか飛び込んでこねぇ」というセリフをこぼします。けれど僕は思うのです。過ちとは、決して消えるものでも、忘れられるものでもない。むしろ逆で、人生のどんな場面になっても、その過ちや苦い経験は亡霊のように立ち上がってきます。佐伯雄三は、最後にその過ちを消そうとはしません。忘れようともしません。ただ、そのすべてを背負ったまま舞台に立ち、背負った先の答を芝居で示そうと過去を引き受けるのです。第一話では狂気じみた役者の部分しか見えませんが、第三十一話で佐伯雄三が見せる芝居は、剣戟の贖罪から二〇年、そして役者としての四十年そのものです。この時の佐伯は孤独から開放されるのでしょうか?読者の皆さんにはどう受け止めるのでしょうか。明日8月8日はエピソード3「性根」、4「溝」をアップします。「性根」では物語前半の彩ってくれる人物が登場します。そして「溝」、佐伯雄三の孤独が浮き彫りになる回。その時黒木はどう動くのでしょうか?