少林寺拳法では拳禅一如、西田幾多郎哲学では心身不二。
スピノザでは、どちらも優位に立つことが無い、なぜならば「心・精神」でさえも、ちっぽけな自我というリミッターによって制約されているから。
ということらしいんだけどよくわからんので上腕二頭筋クンに問いかける
「どっちなんだい?」
(うーん今は森田療法、事実本位・目的本位かな。思考停止中)←考えるのをやめた
先人の巨人たちの肩に乗った巨人たちの著作を読むというのも、追いつけなくなりつつあるため、スコラ哲学とその批判、あたりがちょうどいいのかな、と感じ始めているのだった。
(もっともらしい体系を形作る方に傾倒すると、「資本論」も「わが闘争」も同列に見えてきちゃうんだコレが)